第156話 不穏な影
”北には気をつけた方がいいぞ”
隆の警告に、イザベルは訝しげな表情で尋ね返す。
「しかし、北は体制も変わってずいぶん穏やかになったそうだが、何か問題でもあるのか」
「これはあくまで私の勘なのだが・・・・・」
そう前置きして、隆は話を続ける。
「あのプライドだけは高い民族が、国際社会に急に媚びてきたことが気にかかってね。裏で何か企んで
いるのではないかと」
「企みとは?」
「そう、例えば放棄した核の代わりに、異世界人の魔法を狙っているとかね」
その言葉に、イザベルは眉根を寄せる。
「しかし、北も中国の失敗を見てるではないか。それに、核と違ってこの世界では理論もわからぬ魔法に
賭けることなど、しないと思うが」
「まあ、普通ならそう思うだろうね。だがイザベル君、北、いやあの民族の根っこにあるのは”恨”なのだ」
「”恨”?・・・・・」
「ああ、彼らの根幹にあるのはそれだ」
隆の言葉を聞いても、まだイザベルは理解できないようであった。まあ、地球世界でもほとんどの人々が
理解できない思考であるから、異世界人である彼女がそうなるのも無理はない。
「なにしろ有史以来、一部の特権階級や異民族に支配され続けてきた民族だからねえ、、、、そうなって
しまうのも無理はないかもしれんな」
「しかし、北は日本の組織と縁を切ったり、だいぶ変わろうとしてる印象だが」
「それも、世界を欺くための手段かもしれんぞ」
「おいおい、さすがにそこまでやるか・・・・・」
「ああ、魔法を手に入れて、この世界の覇権を握ろうと考えているかもな。彼らの”恨”は、それほど根深い
のだ」
かつても融和姿勢を取りながら裏では核開発を進めてきた国だ。イザベルはともかく隆は、彼の国、そして
民族について良く理解しているようだ。
「それなら、同じ民族の南もそう考えているかもしれぬな」
「いや、それはない」
イザベルの言葉を隆は完全否定する。
「今の南の大統領はボンクラだからな。北がちょっとウィンクしただけで尻尾を振る阿呆だ。だがリは違う。
彼と会った時私はぞっとしたよ。彼の笑顔の奥に燃え盛る”恨”の炎を見てね・・・・・」
「そうか、警告痛み入る。私も身の回りには気をつけることとしよう」
隆の警告を、イザベルも聞き入れることとした。しかし、隆の話はそれだけにとどまらない。
「ふむ、、、、、確か君は来年大学卒業だな。もし進路が決まってないのなら、我が国で働いてみないか。
君の能力は私も買っている。前は大変無礼なことをしてしまったが、今回は違う。政府の職員として高報酬
を約束するよ」
「いや、私は日本や受け入れてくれた家族に恩義を感じているからな。この国のために力を振るおうと
思っているぞ」
国家主席直々のヘッドハンティングにも、イザベルは首を縦に振らない。しかし、隆はとんでもない爆弾を
用意していた。
「そうか、、、、もし君が中国で働いてくれるのなら、個人では飼育の許されていないジャイアントパンダの
贈呈も考えていたのだが、残念だな」
「隆主席、その話前向きに検討してみよう。それなら我が力、貴国の役に立てるよう・・・・・」
「はいそこまでです! イザベルさんも一体何言ってるんですかっ!」
パンダの魅力に恩義も吹っ飛んだイザベル、そこで宝来軒のドアがバンっと開かれ、斉木の怒声により
ヘッドハンティングは中断されたのであった。
「ははは、さすが斉木官房長官、よく私がここにいるとわかったね」
「隆主席、、、、全く油断も隙もないですね。それにイザベルさん、パンダであっさり寝返ろうとするなんて、
それでも騎士ですかっ! ご家族も泣きますよ!」
「ううっ、だって、パンダと暮らすのは夢であったのだ・・・・」
斉木の剣幕にイザベルも小さくなってしまう。その様子を隆も面白そうにながめていたが、斉木の後ろから
店内に入ってきた人物に気がついた。彼は中国の丁大使である。
「主席、、、、護衛もつけずに出歩くなど危険ですよ。本国からも早く帰国して頂きたいとの要望が大使館
に入っております。今日は大使館にお泊りください」
「ははは丁君、私はまだ日本の観光途中でね。あと2日はここにいる予定だ。余計な気遣いは無用だぞ」
「そうですか、では仕方ないですね・・・・・」
ため息をついた丁は、どこかに連絡を入れる。するとほどなくして、隆のスマホに着信のメロディが流れた。
主席らしく中国国歌である。ちなみにこの歌詞は日中戦争当時に作詞されたもので、その内容は
『立ち上がれ、中華民族に最大の危機がやってきた。敵の砲火をくぐり前進せよ』
というものだ。
もちろんその敵は日本である。思いっきり反日な内容の歌詞なのだが、不思議なことに日本の良識ある
マスコミや知識人の方々が、これを問題視したことは全くない。自国の「君が代」には散々文句をつけてる
くせになぜなのだろう。本当に異世界以上にファンタジーな案件だ。
なお、君が代の歌詞は世界の国家の中では、極めて穏やかで平和的な内容である。
閑話休題
スマホの着信を見た隆の顔色が、見る見るうちに青ざめている。相手は彼の妻であった。
『あなた、”お一人”での日本旅行、楽しいかしら』
「うっ、文玉、なぜ日本にいることがわかった・・・・」
『うふふ、斉木さんが親切に教えていただいたの。彼女とはメル友なのよ』
思わぬ事実に絶句する隆、斉木の人脈は、中国国家主席の妻にまで及んでいたのであった。
「勝手に1人で行ってしまったことはすまなかった。お土産は買っていくから、何がいいかな」
何とか、妻のご機嫌を取ろうとする隆に、彼女が特大の爆弾を投下した。
『あら、それなら日本の土産話でかまわないわよ。ほら、昨日行った”雄琴”とか、今夜は吉原行くそうね』
その言葉に、隆は顔面蒼白、全身冷や汗ダラーな状態となってしまった。
「ハハハ、イッタイナニヲイッテイルンダカ、サッパリワカラナイナー」
『あらあなた、なぜに棒読みなの』
すっかりばれてーら!
『うふふ、お帰りを楽しみに待っているわよ。あ・な・た』
「文玉、待ってくれっ! 誤解だ誤解っ!」
隆の懇願もあえなく、電話は切られた。彼はリアルorz姿勢になってしまった。
「さあ主席、お車も用意しておりますので・・・・・」
だが、隆はガバっと起き上がると丁の言葉も無視して、
「うむ、私は日本に亡命するぞ!」
「「「「「はあっ!」」」」」
よほど家に帰るのが恐ろしいのか、いきなりパープーな発言をかます隆、しかしそれは斉木にあえなく
拒否され、大使館員に車の中へ連行された。
「嫌だあぁぁぁぁぁっ! 帰ったら文玉に殺されるうぅぅぅぅっ!」
悲痛な叫び声を残しつつ、隆は帰国の途に無理やりつかされる。
「さてと、イザベルさんはもうお昼食べたのかしら」
「いやまだだ、今日はとりそばにしようか」
そして残ったイザベルと斉木は、何事もなかったかのように宝来軒の味を堪能するのであった。