第14話 昭和レトロな味
綾香おススメのラーメン屋”宝来軒”は、F市駅前商店街の一角にある老夫婦のみで営んでいる
小さな店で、寅さん映画にでも出てきそうな、昭和のレトロ感溢れる外観だ。
少しガタピシとする引き戸を開けて店内に入ると、壁には手書きのメニューが貼られ、カウンターと
テーブルが3つあるだけの、寅さんがラーメンをすすっていても全く違和感ない雰囲気である。
しかし、古いからといって小汚いわけではない。テーブルにも油汚れなどは全く見当たらない。
これは店主の”食べ物屋は清潔でなければいかん”という信念によるものである。
まだ12時前にもかかわらず、カウンターには数人の先客が舌鼓をうっていた。
「おや、アヤちゃん今日は大勢できたねえ」
「うん! ここのラーメン味わってもらおうと思ってね」
綾香も小さい頃からこの店に通っており、店主夫婦とはすっかり顔なじみである。
「ここにきたら最初はやっぱり半チャンラーメンね、あと餃子と、私は久々にとりそばにしよおっと」
さて、運ばれてきたラーメンは、中細のちぢれ麺に具はチャーシュー、メンマ、ナルト、ほうれん草に
海苔、スライスしたゆで卵が載っている、正統派の東京醤油ラーメンだ。イザベルは内心あまり期待
していなかった。これまでも何度かラーメンを食したことはあったが、やたら魚の風味が強かったり
脂っこかったりと、あまり口に合わなかったのである。だが、一口すすってみて、
「む、このスープは、まるで上等なコンソメのような上品な味わいだな」とイザベル。
斉木も「あら、こんな昔ながらのラーメン久しぶりだわ。おいしい~」と絶賛する。
この店のスープは鶏ガラをメインに豚骨と何種類かの野菜をブレンドし、丁寧に丁寧にアクを取り除き
ながら長時間煮込んだものだ。チャーシューは煮豚を使う店が多い中、専用の炉でじっくりと焼き上げた
逸品、そしてメンマは台湾直輸入の塩漬けメンマを2日かけて塩抜きし、特製のタレで適度な弾力を
保ちながら味付けしたものだ。
ヘタな店のメンマだと、噛んでいるうちに口の中に繊維が残ったり、煮込みすぎて歯ごたえがなかったり
するものだが、宝来軒のメンマは適度な歯ごたえがありながら、不快な繊維質も残らないという絶妙の
仕上がり具合となっている。
近所の主婦がこのチャーシューやメンマを惣菜として買いにくるほどの、人気の品である。
「イザベルよ。このチャーハンもなかなかだぞ。米がベチャっとならず口の中でパラリとほどけるのだ。
シンプルな味付けながら、実に奥深い味だ」
「ヴィド、この餃子もな。口の中にあふれる肉汁がたまらんぞ」
チャーハンは刻んだチャーシュー、ナルト、ネギなどを塩コショウとタレで味付けして、さっと手早く炒めた
もの、餃子は皮から手作りの、キャベツや豚肉などを具材としたオーソドックスなものである。
故に、下ごしらえから調理まで、料理人の力量がもろに現れてしまう。ちなみにこの店の餃子は浜松や
宇都宮の名だたる名店を食べ歩いた食通をして、「この店に勝るものなし」と言わしめた逸品だ。
「・・・・・・・・・・・・・・・・」
しかし、吾妻は無言でラーメンをすすっている。綾香が「首相さん、お口に合わなかったの」と心配して
声をかけたその瞬間、吾妻はくわっと両目を見開き叫び声をあげた。
「これは西興園、銀座西興園の味だ! ご主人は西興園で修業されてたのか!」
「はは、お客さんよくわかりましたねえ。昔西興園の厨房で働いておりました」
「ああ、まだ先生の使いっ走りだった頃、よく食べにいったもんだよ」
銀座西興園、かつては銀座一、いや東京一との名声を誇るラーメン屋であった。しかし、バブル末期の
地上げブームのあおりを受け閉店、ラーメン好きの間では伝説的な存在なのだ。
ちなみに綾香の注文したとりそばは、麺の上に厳選された地鶏、エビ、野菜類がトッピングされていて、
これは西興園の料理を自分の映画に登場させるほどひいきにしていた、有名映画監督のアイデアで
生まれた名物メニューである。
「今でも、たまに西興園時代のお客さんがくることがありますよ。でも、みんな値段みてびっくりして
ますけどね」
西興園では銀座という土地柄もあり、ラーメン一杯1000円近いお値段だったが、宝来軒では半チャン
ラーメン600円、餃子250円、一番高いとりそばでも700円であった。
しかも、この値段でありながら化学調味料は一切使用していない。
「手間暇かければ普通においしくできますよ。それにウチは婆さんと2人きりでやってますし、お客さんも
学生さんが多いから、なるたけ値上げはしないようにしています」
まさに、飲食店の鑑のようなお店である。イザベルたち一行は大満足で宝来軒を後にした。
「斉木君、次にここにこれそうなのはいつになるかな」
「首相、通う気満々ですね。では、イザベルさん、ヴィドローネさん、私たちはこれで」
鈴木家の前で吾妻と斉木は車に乗り込んだ。
「やれやれ、これで一安心だな。ところで斉木君、周辺の安全確保はどうなっている」
吾妻からこれまでのにこやかな笑みが消え、冷徹な政治家としての顔が表れる。
「周辺の”お掃除”は完了しています。当分の間、おいたをする事はないでしょう。その過程でかの国
から資金提供を受けたり、情報提供をしている政治家や知識人、官僚などの氏名と、その証拠もほぼ
握っています」
「まったく、簡単にハニートラップなんかに引っかかりやがって、こちらも早く片付けておきたいな」
「彼らの性癖とかゴシップ誌が喜びそうな情報もありますから、少しずつ”センテンススプリング”さん
あたりにリークしておきますね。もちろん、発信元はわからないよう何重にも擬態しておきます」
そしてこの数か月の間に、何人かの政治家や知識人のスキャンダルが発覚、彼らは表舞台から
消え去っていった。
※参考書籍
ベスト オブ ラーメン 文藝春秋社刊
文章で美味しさを伝えるのって、難しいですねー。料理ジャンルの小説を執筆されている
方々は、ホントにすごいと思います。