第135話 元公爵令嬢のニッポン見聞録(後編)
まぶしい光が納まった時、わたくし達は神殿の間ではなく倉庫のようなところにおりました。無事日本に
到着したようです。目の前には中年の男女が立っています。男性の方は日本の宰相、女性の方はその
補佐のような役職についているとのことです。
その時、誰かがフェンリルの姿が見えないことに気がつきました。キョロキョロと辺りを見回すと、何とも
可愛らしい子犬がちょこんとお座りしていたのです。ティワナさんのお話しでは、地球にはマナがないので
縮んでしまっちゃったようです。ニールちゃんのツノと翼も消えていました。事前にマナがないことは説明
されていましたが、実際体験してみると何とも不思議な感覚ですね。
別室に移動して、いよいよイザベル様のご家族と面会です。最初にフレル殿下とルレイ筆頭魔導師が勝手に
召喚したことをお詫びし、その後はわたくしの番になりました。当然のことながらご家族のわたくしを見る目
は敵意のこもったものです。イザベル様と実の姉妹のように仲の良いという綾香さんからは、
「あなた、イザベルの命を狙っておいてよくのうのうとここに来れたわね。一体どういう神経してんのかなあ」
と、厳しい言葉をかけられました。しかし、イザベル様のとりなしもあって、わたくしは鈴木家の皆さまにも
もう一度だけやり直しのチャンスを与えられたのです。これには感謝の言葉もございません。わたくしは
今度こそ道を間違うことのないようにと、固く心に誓ったのでした。
「ふうん、、、本当にゴスロリ幼女魔王って存在していたんだ。ニールちゃん、僕は聡って言うんだ。仲良く
しようね」
ニールちゃんのことに話が移った時、聡さんという方がどう見ても下心ありありな表情でにじり寄って行き
ました。それにイザベル様は激高し、その首を刎ねる寸前まで騒ぎになったのでした。その場はなんとか
納まりましたが、イザベル様も常にニールちゃんのそばにいるわけではありません。わたくしは聡さんの
魔の手から、ニールちゃんを守り抜くことを固く心に誓ったのでした。後で聞くとティワナさんも同じことを
思っていたそうです。今度やったら容赦なく焼き払うと・・・・・
そんな騒ぎはありましたが、わたくし達は目立たないようこちらの服装に着替え、用意されたバスという
乗り物に乗って食事に出かけました。斉木さんから口を酸っぱくして言われたのは、絶対に異世界人だと
バレないようにする、ということでした。何でもイザベル様はドラゴンに乗って首都の上空に現れたため、
異世界人と分かってしまい、魔法を手にいれようと他の国から狙われたりと、大変だったそうです。
「あなたたちの存在は国家機密です。もしそれを漏らしたら、身の安全は保障できませんよ」
イザベル様はその凄まじい剣技で、他国の間者を一蹴したのですが、わたくしにそんなマネはできません。
斉木さんの真剣な表情に、わたくしとニールちゃんはコクコクと首を縦に振るのでした。
さて、バスの窓から眺める日本の風景は、当初は田園地帯が続いていたのですが、首都東京に近づくに
つれ建物が増えていき、都心部に入った時はわたくしだけでなくフレル殿下達もお口あんぐりな状態でした。
ブライデス王国の王都なぞ、ここに比べたら田舎村のようなものでしょう。この世界はマナがない代わりに、
科学技術というものを発展させて文明を築いてきたそうです。わたくしとニールちゃんは日本で学校に通う
ため、後で科学のお勉強をすることになっているのですが、この時はまだ、あんなに大変だとは思っても
いませんでした・・・・・・
都心部を抜けF市という街に到着したわたくし達は、一軒の食堂に入りました。初めて日本にきたわたくし
でも、平民向けとわかる外観でした。ですが、ここが日本の高貴な御方や外国の首脳を虜にするお店
らしいのです。半信半疑でラーメンというものを口にするわたくし達、ハシという日本独特の食器は使え
ないのでフォークですすりましたが、後頭部をガンっと殴られたような衝撃に襲われました。
フレル殿下などは、店主にレシピを教えて欲しいとまで嘆願されていました。ちなみに店主はイザベル様と
同じ世界からやってきた魔王で、奥さんは魔族だということです。ニールちゃんはこちらのご夫妻に養子と
して、無事迎え入れられることになりました。
「それでは2人とも、研修頑張るのだぞ。ティワナよ、サポート頼んだぞ」
その後わたくしとニールちゃんは、日本語を始めこの世界の基本的なことを学ぶため、1か月に渡る研修を
受けたのです。
正直、この期間のことは思い出したくありません、、、天才と言われたティワナさんでさえ、泣きそうになった
そうです。様子を見に来られたフレル殿下とルレイ筆頭魔導師も、日本の学生が使う教科書を見た瞬間
固まってしまわれました。
「イザベル様は、日本の国民のほとんどが王国なら文官になれるとおっしゃられていたが・・・・・」
「文官どころか、王宮魔導師になれますよ・・・・・」
しかし、これが理解できないと日本ではまともな職にもつけないので、本当に死ぬ気で頑張りました。その
甲斐あって何とか普通に学校に通えるレベルにまでは、達することができたのです。日本語にはずいぶん
苦労させられましたが・・・・・・
・・・・・ひらがなにカタカナ、それに漢字と文字が3種類あるって、なんなんですか! 更に場合によっては
アルファベットという別系統の文字まで入るなんて、悪魔が考えた言語としか思えないですよ・・・・
・・・・そして地獄の研修を終えたわたくしとニールちゃんは、何とかティワナさんの翻訳魔法が無くても日常
生活を送れるくらいになり、F市へと戻ったのでした。鈴木家の皆さんとあらためて挨拶を交わし、その後は
街の案内も兼ねて、イザベル様と綾香さんが買い物に付き添ってくれることになりました。
「ふえ~~、すみません人酔いしてしまいました・・・・・」
「ここは日本でも、最も賑わっているところだからな」
渋谷に出かけたわたくしは、あまりの人の多さに圧倒され気分が悪くなってしまいました。スクランブル
交差点ではお二人の助けがなければ渡れなかったほどです。休憩で寄った近くのカフェでは、ケーキ
セットを注文したのですが、これも王国では高級品に相当する一品です。
「本当に、地球は豊かなところなのですね・・・・・」
ケーキを食べながらわたくしがそう呟くと、イザベル様は地球でも今日明日の食事に事欠く国や、戦争で
苦しんでいる国は多いことを教えてくださいました。そして、わたくしが日本に来たのは幸運だったと。
少し話がしんみりした方向に行きかけたところで、綾香さんが場の雰囲気を変えるようにカラオケへと誘って
くださいました。わたくしがカラオケとは何ぞやと質問すると、
「え、カラオケのこと研修で教わらなかったの」
「研修では日本語や学校で受ける勉強ばかりで、その他のことは皆さまに教われと・・・・」
「よし、ではこのイザベル直々にカラオケの極意を伝授するぞ。早速F市へ戻ろう」
そうして、生まれて初めてカラオケなるものを体験したわたくし、当初は戸惑いもありましたが、次第に声を
出して歌うことの気持ち良さに目覚め、お勧めの曲を何曲か熱唱したのです。しかし楽しい時間の過ぎるのは
早いもの、気がつくと門限の時刻をとっくに過ぎていたのです。
「や、やばいな、、、すっかり遅くなってしまったぞ。良枝かーさんは何か言っていたか」
わたくしは、すっかり怯えている様子のイザベル様を見て、小首を傾げてしまいました。闇ギルドの暗殺者
を一刀のもとに斬り伏せ、魔王軍を壊滅させた彼女が、なぜそんなに家族のお小言を恐れるのかと。
・・・・・そんなわたくしの疑問は、鈴木家の玄関前に仁王立ちで待ち構えていたご両親を見て、吹っ飛んで
しまいました。確かにこのお二人に対峙するなら、まだ魔王軍を相手にしていた方がマシですわ。そして、
最初は冗談かと思っていたのですが、本当に簀巻きにされ庭の木に吊るされてしまったのです。
「どうだラミリア、真実であっただろう・・・・・」
「はい、もう二度と言いつけに背くことはいたしませんですわ・・・・」
プラプラと揺れながらとりとめのない会話を続けていましたが、不意に綾香さんが、
「ねー、もう鈴木家の一員なんだから、様やさん付けで呼ぶのはやめにしない?」
とおっしゃられたのです。
「うーん、それもそうだな、これまの呼び方は他人行儀すぎるからな」
いろいろと考えた末に、ベルお姉さま、アヤお姉さま、ご両親のことは達夫お父様、良枝お母様と呼ぶことに
決めたのです。それから1時間ほどでご両親のお許しが出て、わたくし達は木から降ろされたのでした。
「ラミリアよ、次やったら恐らく一晩中吊るされるからな。気をつけろよ」
「は、はい、ということはベルお姉さま、一晩中吊るされたことがあるのですか?」
「ノーコメントだ・・・・・」
家の中に入ると、室内には夕食の準備がされていました。すき焼きという日本独特の料理とのことです。
そして一つの鍋をつついていると、ふと脳裏にまだニールちゃんと同じくらいの歳の頃の想い出が、昨日
のことのように浮かんできました。まだ公爵家が犯罪に手を染めていなかった頃は、必ず両親と食卓を
共にしていたのです。
「どうしたラミリア、なぜ泣いておる」
「そうよ、木に吊るされたのがそんなに辛かったの?」
「ちょ、ちょっとアヤちゃん何言ってるの。ごめんねラミちゃん、ついこのパープー娘達と同じ扱いにして
しまって・・・・・」
慌てたわたくしは涙をゴシゴシ吹いて、木に吊るされたから泣いたのではないことを伝えました。
「いえ、小さい頃は今日みたいに、両親と食卓を共にしてたことを思い出しまして、、、、公爵家が犯罪行為
に手を染めるようになってからは、食事もバラバラになり、両親が微笑みかけてくれることもなくなったの
です・・・・・」
わたくしの言葉に皆さんは沈痛な表情になってしまいました。新しい家族の前で以前の話をするなんて、
無神経なことをやってしまったと後悔するわたくしに、良枝お母様がやさしく声をかけてくださいました。
「ラミちゃん、いいのよ、泣いても」
「えっ・・・・・」
「今まで我慢していたんでしょう。いいのよ。思う存分泣いても」
その言葉に、わたくしの目から堰を切ったように涙があふれ出てきました。
「う、うあぁぁぁっ、お父様、おかあさまあぁぁぁぁっ!」
慟哭するわたくしを、良枝お母様はやさしく抱きしめてくださいました。この涙を流すことによって、わたくしは
この日新たな人生を歩むことになったのです。
みなさま、新年あけましておめでとうございます。
2018年がみなさまにとっても良き年になるよう、お祈り申し上げます。
本年もよろしくお願いいたします。