第130話 竜騎士、銀ブラ初体験
クリスマスも間近に迫った12月のある日、買い物客で賑わうJR有楽町駅に、緊張した表情の2人の女性が
降り立った。イザベルとその友人宝京子である。
「ふっ、京子よ、とうとう我らも銀座を訪れる時がやってきたな」
「うう、なんか周りから”場違いなヤツがいる”って目で、見られてるような気がするよ・・・・」
2人とも東京にはそれなりの期間住んでいるのだが、銀座を訪れるのは初めてだ。イザベルは、これまで
ちょくちょく買い物に出かけていた渋谷や原宿とは、客層や雰囲気もだいぶ異なることに、まるで初めて
戦場に立った時のように緊張していた。
「京子よそれは気のせいだ。堂々としていれば誰も気にすることはないぞ」
「そういうイザベルこそ、手と足が同時に出ているよ・・・・・」
銀座、その歴史は江戸時代、幕府の銀貨鋳造所の設立から始まった。ここが注目を浴びるようになったのは
明治維新以降、西洋の文化を伝える飲食店や小売店が続々と開店してからだ。それ以後、銀座は伝統を
守りつつも先進的な流行も取り入れる街として、感度の高い人達を引きつけてきたのである。
すでに第二次大戦前の銀座は、当時の世界で最もアメリカナイズされた街であり、そこを闊歩していた
モボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール)の服装は、現在の目で見てもお洒落である。日本の洋装文化
は銀座から広まった、といっても過言ではない。
さて、イザベルと京子がそんな銀座を訪れたワケとは、
「我らも来年は二十歳なのだ。ここらで”大人のいい女”を目指すには、銀座で修業するのが一番で
あるぞ。渋谷や原宿など子供の場所は卒業するのだ」
「うんそうだね。目指すは”できるキャリアウーマン”よ!」
さすが友人同士である。どこかズレてる2人であった。
有楽町駅を出た2人は、晴海通りに向かって歩いて行く。外堀通りとの交差点に近づくと、そこにはすごい
大行列が見えた。銀座の師走名物年末ジャンボ宝くじを買い求める人々の列である。特に1番窓口は購入
まで1~2時間待ちはざらである。2人はそこまでの時間はないので他の窓口で、しっかり連番とバラ10枚
ずつ購入したのであった。
「このお店、カメラいっぱいあるね」
「ああ、でもニコンのカメラばっかりだな」
宝くじを購入して交差点を渡った2人が真っ先に目についたのは、ニコン、それもフィルムカメラを専門に扱う
ショップであった。往年のニコンSP、ニコンF、F2等の名機は現在のデジカメとは違い、いかにも精密光学
機器といった風情が魅力的である。近年はデジタルに飽きた若い層も、これらのクラシックカメラを求めに
くることが多いそうだ。
「ニコンF、カッコいいなあ・・・・・」
そう京子がため息を漏らしたニコンF、ピュリツァー賞を受賞した酒井淑夫氏を始め、多くの著名なフォト
ジャーナリストに愛用された一眼レフカメラである。ニコンFのすごいところは製造終了後40年以上経って
いるのにもかかわらず、メンテナンスさえしっかりしていれば現在でもシャープな写真が撮影できることだ。
その信頼性は現在のデジタルカメラの比ではない。
「くっ、、、今回は予算が、必ず身請けにくるから待っててね、ニコンFちゃん」
「京子よ、何をカメラに話しかけておるのだ。危ない人みたいだぞ」
さすがのイザベルも呆れてしまう。更に晴海通りを進むと今度は高級腕時計やジュエリーを扱う専門店に、
2人の関心が向けられた。早速店内に入ってみるも、そのお値段は先ほどのカメラの比ではなかった。
「おお、これはなかなかお洒落なデザインの腕時計であるな。お値段は800万、、、、えっ!」
「あら、これはパーティ用に着けて行くのにいいわね、てっ、250万!」
2人がお値段を見てお口あんぐり状態になってしまったのは、ジャガー・ルクルトなどの超高級ブランド物の
腕時計であった。ショーケースを眺めて愕然とする彼女達に、店員が苦笑しながら”お求めやすい製品も
ございますよ”と勧めてくれた。だが、それも20万を超えるお値段だ。
「うう~、すまぬ店員殿、我らにはまだ銀座の敷居は高かったようだ・・・・・」
「こうなったら、さっき買った宝くじが当たるのを祈るしかないわね」
これらの時計はゴテゴテと宝石で飾られた成金趣味のデザインではない。極めてハイセンスなデザインの
逸品なのだ。時計に限らず衣服や靴なども気品を感じさせる、真の一流品を扱うお店が集まるところ、これが
銀座の魅力でもある。
さて、いきなり銀座の洗礼を受けたイザベルと京子、悄然とした様子でお店を後にするのであった。そんな
彼女達にも店員は、”ぜひ、また当店にお越しください”とにこやかに見送る。さすがは一流店の店員だ。
トボトボと銀ブラを再開した2人は中央通りとの交差点に差し掛かる。ふと左側を見ると、何やら店先に人
だかりができているのが確認できた。
「む、これは・・・・」
「あーここは、あんぱんの元祖のお店らしいよ」
「おお、これなら我らのお財布でも、手に入れることができるな!」
次にイザベル達が入ったお店は、まだパン食が珍しかった明治の始め、酒種を使ったあんぱんを売り出した
老舗パン屋である。たかがあんぱんとあなどるなかれ、明治天皇にも献上されお褒めの言葉を頂いた由緒
正しき一品である。発売開始以来140年、ほとんど変わらぬまま販売されているロングセラーなのだ。
さて、小腹を満たした彼女達、道路をはさんだ向かい側から音楽が演奏されているのに気がついた。これも
師走の銀座名物、救世軍の社会鍋である。
ささやかながら寄付をした彼女達は、今度は中央通りを新橋方面に向かってブラブラと歩き始めた。ウィンドゥ
ショッピングを楽しみながら到着した場所は、有名化粧品メーカーの名を冠したビルである。その中にある
レストランで、本日のランチを楽しもうという算段だ。
「いや、、、これはなかなか・・・・」
「思ってた以上に、格式高そうね・・・・」
予約していた席に丁重に案内された彼女達、ランチコースは安価ではないが、背伸びすればイザベルや
京子達学生にも、何とか手の届くお値段である。さすがに皇女としてテーブルマナーを叩きこまれている
イザベルは、こういう場では堂々としたものだ。昭和初期からの伝統を受け継ぐ洋食のコースを味わった
2人は、食後のコーヒーとこれまた昔ながらのアイスクリームを堪能した後、新橋に抜け初めての銀ブラを
終えたのであった。
「ふーん、で、これが銀座のお土産なの」
「うむ、そうだ、和菓子のようにあっさりした甘さであるな」
自室で名物のあんぱんをもしゃもしゃと食べながらくつろぐイザベルと綾香、ふと、綾香がイザベルに質問
をする。
「それで、他には何も買わなかったの? 服とかバッグとか」
「それがな、いいなと思った物はどれも10万以上のお値段でな、残念ながら今の経済力ではとても手が
出せなかったのだ・・・・・」
最近は銀座にもファーストファッション等の店舗が進出しているが、さすがにご近所でも手に入る物を、わざ
わざ銀座まで出かけていって買う気はしない。イザベルは、いつか必ず老舗でさりげなくお買いものができる
レディになることを、心に誓うのであった。
最もその前に、パープー卒業しなくちゃいけないことに、彼女は残念ながら気がついていない・・・・・
※参考書籍
銀座の本 講談社刊
撮るライカ 神立尚紀著 光人社刊
作中の登場するお店は、いずれも実在しています。今話は銀ブラのガイドブックにも
なるように書いてみました。
・カメラ店 → ニコンハウス銀座
店名の通りニコン専門のカメラ店、大抵のニコン製品はここで揃う。ニコンマニアには
聖地的存在
・宝石、時計店 → 天賞堂銀座本店
宝石や高級輸入腕時計の販売の他、鉄道模型のメーカーとしても有名、天賞堂のブラスモデル
(真鍮製模型)といえば、世界の鉄道マニア憧れの的である。
・パン屋 → 銀座木村屋總本店
あんぱんの他後にジャムぱんも発売、日本の菓子パンの元祖的存在である。
・レストラン → 資生堂パーラー銀座本店レストラン
ミートクロケット、ハヤシライスなどかつてのモボ・モガをうならせた伝統的な洋食を、現在も
守り続けるレストラン。当時のハイカラな雰囲気は是非一度味わっていただきたい。