第108話 竜騎士、進学する
日本国東京都、首相官邸の会議室内、吾妻達内閣閣僚が定例の会議を開いている。討議されている案件は、
昨年の衆院選での与党大勝を受け、いよいよ現実味を帯びてきた憲法9条改正だ。敗戦による押しつけとは
いえ、現行の9条は理想的だ。これが実現できれば地球はとても住みやすい世界となるだろう。
だが、世の中の人間が全て善人ではなく悪人もいるように、国家も同様に他国や他の民族を踏みつけても
何とも思わない所がある。いや、むしろそちらの方が多いだろう。
いくら、問題は武力ではなく話し合いで、と主張する平和主義者でも、自宅にカギをかけない人は存在しない
であろう。軍備を放棄するということは、国家という自宅にカギをかけないのと同じことだ。犯罪者的国家から
見れば、財産盗り放題なパラダイスである。
え、いざという時は同盟国のアメリカが守ってくれるって? 残念ながらアメリカは警備会社ではない。金を
払っているからといって、その約束を履行してくれる保証はないのだ。自分の身は自分で守る、そんな最低限
の心構えさえできない国を、自国民の血を流してまで守ろうとは、よほど自国に危機が迫らない限り思わない
はずだ。
「では首相、自衛隊の名称は変更しないということで」
「ああ、もうこの呼び方が国民の間にも定着しているからな。無理に変えることもあるまい」
同じ敗戦国であるドイツの憲法なども参考にしながら、国土が”攻撃され得る”事態になった時も、防衛出動
が可能な改正案を取りまとめ、今後国民に提示していく予定だ。
「攻撃されてから防衛出動では、間違いなく大きな被害が出るからな」
「核でなく通常弾頭のミサイルでも、市街地に落ちれば数百人単位で犠牲者が出ますからね、、、、」
少し前なら、憲法改正を公約に掲げたら大敗間違いなしであったのだが、ここ20年ほどの間に国民の意識
もだいぶ様変わりしたものだ。そして、話は衆院選の投票率に移る。年々下がる投票率だが、昨年はやっと
50%を超えた程度に留まった。
「これを上げる施策も今後出していかないとな。民主主義の危機だぞ」
「野党も、日本をまかせて大丈夫、と言えるくらいまで育って欲しいのですけどねえ・・・・・・」
「彼女に会った時にも、今はまだ時期早々、国政にはもう少し力を付けてから討って出た方がいい、と忠告
したのですが、都議選の勢いに情勢を見誤りましたね。真珠湾奇襲で調子に乗った旧日本軍と同じですよ。
しかも、開票日に党首が外国に行ってしまうとは、一体何を考えているのやら・・・・・」
一党が長年政権の座にあるというのは、民主主義国としても好ましくはない。どっかの一党独裁の国と
変わらなくなってしまう。危機感を募らせる吾妻達の会議は深夜にも及んだのである。
「そうか、確かに日本の憲法9条は理想的だが、周囲が善人ばかりとは限らぬからな」
「本当に、余計なことをしてくれる国がなきゃ、わざわざ改正する必要もないんだがな・・・・」
東京都F市、鈴木家の居間では、日本とルーク皇国との定例会議が行われていた。いよいよ4月には大学
進学を控えたイザベルと綾香も同席している。
「吾妻殿、異世界人としての立場から言わせて頂くと、9条もそうだが日本は全体的に甘いと思うのだ。特に
犯罪者に対してな」
「そうね、この間も飲酒運転やあおり運転で人死なせた事件があったけど、これって何で殺人にならない
のかなあ?」
イザベルの意見に綾香も同調する。ルーク皇国では犯罪者は犯罪奴隷として扱われるそうだ。最初それを
聞いた吾妻と斉木は奴隷という単語に驚いたが、詳しく聞いてみると専用の収容施設に集め、そこで罪に
応じた年数を作業に従事させるという、いわば日本の刑務所と同じようなものであった。
収監者はそこで技能を身に付けたり、改心の情著しい者には出所後の就職あっせんまでしてくれるという。
ただし再犯には厳しく、再び罪を犯した場合は罪状に拘わらず終身犯罪奴隷、それ以上は死刑になる。
更に驚くことには刑事裁判は一審制であった。冤罪は大丈夫なのかと聞くと、”真実の目”という術式で
被疑者の記憶を覗くため、その心配はないそうだ。
「ダリウス陛下、その術式ぜひ導入したいな」
「ただしこの術式には、悪用されぬよう厳しい規制をかける必要があるぞ。不正に使用し無実の者を陥れ
ようとした場合は、一切の情状酌量なく死刑だ」
フェアリーアイズでは、大体どこの国も犯罪にはルーク皇国と似たような対応らしい。綾香は”向こうの法律
は厳しいんだあ”と話しているが、日本の刑法も決して甘い訳ではない。多くの国で廃止された死刑制度も
存置している。要は、その運用に問題があるのだ。かつてテロ行為を起こした宗教団体に、破防法が適用
されなかったのはその最たる例である。
「吾妻首相、刑法については現在の運用を改める必要がありますね」
「そうだな、斉木君、戻ったら法務大臣とも協議する必要があるな。一部の犯罪者のために大多数の善良
な市民の安全が脅かされる、そんな歪な事態はもういい加減改善しなければいけないぞ」
こうして、今後組織犯罪や性犯罪、詐欺、ストーカーなどの刑法犯については厳しい対応をする方向で、
政府としても取り組んで行くこととなった。悪いことをすれば罰を受ける、そんな当たり前のことがようやく
実現へと向かうのである。
「ところで首相さん、BLって法律で規制できないんですか?」
会議も終わろうとしていた時、いきなり綾香が爆弾を投下してきた。それを聞いた斉木の顔色も悪くなって
いる。吾妻や皇国側の面々は頭に?を浮かべた表情だ。
「その、びぃえるとは何じゃ?」
「あー、、、父上、伝説の邪神以上に、この世から封印しなければいけないものだ」
ダリウスの疑問にイザベルが答える。それを聞いた皇国側からは、
「何と、異世界にもそのような脅威が存在するのか!」
「邪神以上の存在とは、、、、地球の兵器でも、倒せないほどのものなのか」
等々、ひどい誤解を招きそうになったため、慌てた斉木がBLについてオブラートに包みながら説明する。
「男性同士の恋愛をテーマにした物語か。確かに普通ではないが、邪神以上とは大げさではないか」
「父上、BLマニアはほとんどが女性でな、それを読んで変態のように悶えまくるのだ。さすがにああはなり
たくないからな・・・・・・」
イザベルの言葉に綾香も同調し、ウンウンと頷いている。よほどBLが体質的に合わないようだ。
「イザベルさん、綾香さん、日本は表現の自由が保障されているから、BLを規制するのは無理ね。それを
やったら中国あたりと同じになっちゃうわよ」
「くっ、、、そうか、国家権力をもってしても無理だとは、無念だ、、、、」
規制の厳しい中国でも、パンデミックのごとくBL愛好者は増殖しているのである。ましてや日本でそれを
押えようなど、邪神の封印以上に無理ゲーな話だろう。
「まあ、それはともかく来週は2人とも卒業式ですね。まずは卒業と大学進学おめでとう。これはささやか
ながら首相と私からのお祝いですよ」
斉木からはイザベルと綾香に、ブランド物の高級万年筆が贈られた。思いがけないプレンゼントに2人は
吾妻と斉木にお礼をした。
「イザベルよ、良い物を頂いたな。大学での目標はなんとするのだ」
「うむ、父上、大学では高校では叶わぬ夢であったリア充になってみせるぞ!」
ダリウスの問いに対するイザベルの答えに、周囲は皆噴いてしまった。
「ゲホゲホ、、、、おい姫さん、そりゃ一体どういうこった」
「む、吾妻殿、世間で俗に言う”いちゃらぶ”というものを、ぜひ体験してみたいだけの話なのだが」
「そうね、全くあいつらときたら人の前で彼氏のノロケばっかし、、、ああ、憎らしや恨めしや」
綾香からはドス黒い瘴気まで湧き出てきた。しかし、そんな2人に良枝が釘を刺した。
「アヤちゃん、ベルちゃん、男ばかりに夢中になって、留年でもしたらどうなるかわかっているわよね」
「「イエス! マム!」」
態度を急変させた2人に、周囲も苦笑する。ともあれ、イザベルも無事、都立F西高を卒業する日を迎えた
のである。卒業式を終えた彼女たちは、クラスメイトと別れを惜しんでいた。
「彩絵はもう社会人になっちゃうのね。プロの選手なんてすごいわあ」
「んー、まあこれまで以上にバレーボール漬けになるけどね」
彼女は進学せず、Vリーグの強豪チームに所属することが決まっている。そこから日本代表、五輪での
金メダルを目指すそうだ。
「イザベルと綾香は実家出るんだって?」
「ああ、F市からだとキャンパスに通うの大変だからな」
「もう、おとーさんが”絶対に認めん”って説得するの大変だったのよ・・・・・」
2人の通う大学は都心部だ。そこで、セキュリティの高いマンションを2人で借りることにしたのである。
達夫は家を出ることに猛反対したらしいが、実家から通ったら勉強する時間もない、単位落として留年
する可能性もある、と何とか説き伏せたのであった。
さて、クラスを見渡すとおいおいと泣きながら、別れを惜しんでいるグループがあった。麗華とその腐った
同志たちである。彼女は帰国する両親について、中国の大学へ進学するそうだ。
「麗華さん、短い間だったけど楽しく萌える日々だったさー」
「みんな泣かないで! 私たちはBLという旗の元に集う同志なのよ。例え国は別れても、常に心は一緒
だわ!」
「「「「「おおっー!!!」」」」」
何だか盛り上がるグループを横目に、イザベルたちは関わらぬようそそくさと教室を後にするのであった。
・・・・・・そして4月、満開の桜の中、イザベルは日本の最高学府の門をくぐったのである。
実際の選挙も投票率、低いですねー
昔、外国の皮肉屋がこんなことを言っていたそうです。
「皆さん、選挙に行きましょう! あなたの運命を、ヤツラが握っています!」