男は暴風と大雨の海岸を走っていた。背後から忍び寄る殺意の塊から必死に逃げていた。
「はぁ、はぁ……いったい何なんだよっ!」
今から十時間前、眠りから覚めると男は後ろに手を縛られ、名も知らぬ無人島の山の中に寝かされていた。周りを見渡すと十数人の男女が自分と同じように縛られて座らされていた。
誰もが不安に苛まれるなか、黒装束に覆面を着けた男が近くにいた男を前に引きずり出し、躊躇いもなく手に持った刀で目の前の男の首を掻き斬った。
辺りは血の海となり悲鳴と怒号が飛び交う中、覆面の男は皆の前で言い放つ。
今から10時間、自分たちから逃げろ。時間までに逃げ切れたらこの島から出してやる。逃げ切れなければ今、殺された男のようにお前らを殺すと。
わけもわからぬまま散々に逃げていく人達。男も恐怖で足をもつれさせながら逃げた。逃げて逃げて嵐にあいながらも気がついたら深夜の海岸を走っていた。
「何なんだよっ!?俺が何したって言うんだよっ!」
男は顔を恐怖でひきつらせながら自身の不運を嘆き叫んだ。その間も逃げる足は止まらない。
「……殺したな?」
どこからともなく声が聞こえた。周りは暗く大雨の音で何も見えないし聞こえない。だか確かに声が聞こえた。
「殺したな?」
また聞こえた。少し幼い少年の声だろうか?その声は降りしきる雨よりも冷たく恐ろしい。
「お前は人を殺したな?」
またも男の罪を糾弾する声が聞こえた。脈絡もなく人殺し呼ばわりされた男は暗い海岸で立ち止まり叫ぶ。
「何のことだ!?俺は知らないっ!」
「いいや、お前は人を殺した」
「だから何の話だっ!?いい加減にしろっ!!」
「お前の愚かな欲望で人が二人死んだ」
その言葉に男はハッとした。
男には好きな女性がいた。だがその女性は婚約者がいたのだ。どうしてもその女性を手に入れたい男は女性の婚約者を罠に嵌め、職を失わせ夜の裏通りでチンピラを雇い婚約者をリンチした。当たりどころが悪く女性の婚約者は帰らぬ人となり、その女性も後を追い自殺した。
だがそれは男が直接手を下したわけではない。婚約者はただ運が悪かっただけだと、女性は勝手に自殺したと男はそう自分の中で片付けた。誰かに責められる道理などないと思っている。
「あいつらは勝手に死んだんだ!俺には関係ない!!」
「いいや、貴様さえいなければあの二人は幸せな人生を送っていたはずだった」
「違っ……!」
「お前が殺した」
「やめろぉぉぉ!!」
男は遂にその場にうずくまり耳を塞ぐ。塞いだはずの耳の隙間からまたあの声が届く。
「逃げなくていいのか?俺はもうお前のすぐ近くにいるぞ?」
「うわぁぁぁぁぁぁ!!」
男はなりふり構わず走り出した。浜辺から海の浅瀬に入ろうとも気にせず一心不乱に逃げた。
「俺は殺してないっ!俺は関係ないんだぁ!!」
誰に向けるでもなく男は叫ぶ。自分は無実だと声の限り叫ぶ。
「嘘を吐く口、何も聞き入れぬ耳、都合のいいものしか見えぬ眼、悪知恵しか働かない頭、貴様にはどれも必要のないものだ」
声は男の足下から、満潮で気づいたら自分の腰まで海水が上がっていたその下から聞こえた。
「貴様は別離れろ」
「えっ?」
男の視線がクルクルと回った。回りながら落ちていく視線。見上げれば首から上がなく大量の血を噴き出す自分の身体。
その横には紅い刃を持った年端もいかぬ少年が男を冷たく見下ろしていた。