エリザの小冒険 その4
拝啓、現実世界のお母さん。私に家事全般の手ほどきして頂いて大変ありがとうございます。当時は超面倒で、お手伝いさんがいるからだとか、将来主夫を婿に取るからなどと言って料理修行を嫌がって申し訳ありませんでした。
不肖このエリザ、エノクオンラインから帰還した際はお母さんからの花嫁修業をより真剣に受けたいと思います。
「だーっ! 塩味を相殺する為に蜂蜜入れようとしないで下さい!」
だって、不味いご飯を未然に防げるのですから。
「塩には糖分だろ」
「だからってそのまま油ぎったフライパンの上にぶっかけようとしないで下さい」
私の目の前にいる男は、塩をかけ過ぎたお肉をなんとかしようとして、更に悪化しかねない事をしていました。初心者とかいう次元じゃないです。味付けが大雑把過ぎます。
「しょうがないので、他の材料をぶち込んで味を薄めましょう」
「大雑把な奴」
貴方にだけは言われたくありません。
フライパンの上に食材アイテムの各野菜を寸切りにして入れていきます。
「野菜と一緒に食べれば、多少はマシでしょう」
「いただきます」
「いきなり食べようとしないで下さい。せめてもう少し火が通ってから…………」
「早く食わねえとお前の分無くなるぞ」
お願いだから人の話を聞いて下さい。この人食べるスピード早くて本当になくなりそうだし。
慌ててマイフォークを取り出して、私も食事にありつきます。お皿がないので、火から離したフライパンを皿代わりに二人で共有します。
やっぱりまだしょっぱいですが、野菜に包んで食べれば緩和されますし、塩味が疲れた体によくききます。エノクオンラインに栄養の概念があるのかは知りませんが。
「ちょっと残念な塩加減ですけど、このお肉おいしいですね。何て食材アイテムですか?」
「さっきの両生類」
「ぶふっ――な、なんて物食わせるんですかーっ!」
そりゃあ、肉系の食材アイテムなんてモンスターが落としますけどね!
「ばくばく食ってる奴が言ってもなぁ」
「うっ…………」
そ、それはお腹が空いてたんでつい口に運ぶのが止められないというか。
あれ? そういえばどうして私は彼と一緒に食事なんてしているのでしょうか。流れというか、勢いでというか。
「しっかし、どうしてこう人がわんさかいるのか。あれだな。ああして固まってるのを見ると、爆弾とか岩とか落として散らしてみたくなるよな」
「止めてくださいよ? 本当に止めて下さいよ!?」
この人、ちょっと目がマジでした。
「さすがにやらないって。――ああ?」
あっと云う間に食事を終えた彼が不意に、ギルドやパーティーごとに集まってキャンプしている場所の一点を見つめ始めました。
フォークの動きを止めてその視線を追ってみると、彼が見ているのは<オリンポス騎士団>のメンバーがキャンプをしている場所でした。
「オリンポス騎士団がどうかしました?」
「別に。てか、オリンポス騎士団ってなんだよ」
「ゲーム攻略を目指す有力ギルドですよ。もしかして知らないんですか!?」
「知らない。ギリシャの人に怒られそうな名前だって事は分かった。ギルドの名前とか大抵そうだよな」
確かに突っ込みどころ満載ですし、ゲームの世界から脱出するのを目標にしてるならもっと分かりやすい名前とかあったでしょう。
でも、別に私達は軍人でも警察でもなく、ただゲームが好きで普通に遊ぶエノクオンラインにダイヴした一般人です。さすがに、あんまり堅苦しいのはやっぱり嫌でしょう。
それはともかく、
「超有名なのに、オリンポス騎士団とか知らないとか。新聞、読んでないんですか?」
有志のプレイヤー達によって発行されている新聞があります。この世界独自の新聞もあるんですが、やはり攻略情報や現在の魔王攻略情報、有名プレイヤーの話題がある分みんなそっちを読んでいます。
「読んでる。四コマ、センスあるよな」
駄目だこの人。いや、確かにあの漫画は面白いですけど。
「いいですか?」
ようやく食べ終え、フォークをアイテムボックスの中に仕舞い(洗わなくていいので便利です)、ペイントウィンドウを開きます。
そして私は指でウィンドウをなぞり、円を描いて四等分するように×印を描きます。
「そんな機能もあるんだな」
「執筆スキルの一つです。英語かドイツ語分かります?」
「一般的な日本語しか分からん」
「あーはいはい」
上下左右に四等分した枠の中に更に文字入力用の枠を描きます。そしてキーボードを出現させて、それぞれ『東』『西』『南』『北』を書き込みます。
電脳世界では翻訳機能がデフォで、よほどのスラングじゃない限りはリアルタイムで翻訳されます。それは当然、独自の言語まで設定してあるエノクオンラインにも適用されています。
ペイントで書くと文字じゃなくて図形扱いにされてしまいますから、キーボードで入力していきます。
「攻略者の人達は大勢いますけど、その中で攻略ギルドは四つの地方にバラケているんです」
現在見つかっている四体の魔王が東西南北に分かれているせいですね。転送装置を使えばある程度はショートカットできますけど、やっぱりすぐ近くの方が何かと都合が良いですから。
「オリンポス騎士団はこの東方地方を攻略するギルドで、他地方の攻略ギルドと比べても大きなギルドなんです。団長がβ経験者で、初期からその情報を開示しながら他のプレイヤーと一緒に攻略を進めていたらしいです」
ギルドの成長と規模に反して、意外と本人は慎重な人なんだとか。βでエノクオンラインのリアル性を先に味わったが故、なんて話も出ています。β時は死亡してもペナルティがあるだけで本当に死ぬ訳ではなく、でも本当に死んでしまったかのような冷たさが全身を襲ったそうです。怖いですね。
「ふーん」
わあ、どうでもよさそう。
でも、わざわざ図まで描いてしまったのでこのまま説明してやろうかと思います。
「南にはイルミナートというギルドが筆頭ですね。規模は中堅ギルド程度ですけど、メンバー全員が前線に出れるほどで連携も軍隊みたいにとれています。ここ団長がなんとエノクオンラインを作った会社社長の子息で、風当たりが強い中ここまでギルドを大きく、いえ、強くしたのはさすがですねえ」
風当たりが強いどころの話じゃなかったようですけど、その子息様は――
『社の一員としてそれに対する責任は攻略に全力を注ぐ事で取るつもりだ。それでも不満があると云うのなら、こういう世界だ、私を殺しにくればいい。抵抗はするが恨みなどせんよ。だからかかってくるといい。なに、慣れているからな。気兼ねする必要はない』
なんて新聞のインタビューで堂々と答えたそうです。恐ろしいですね。何が怖いって、その慣れているのがエノクオンラインでなのか、現実世界でなのかってところです。
実際、何人が返り討ちにあって、何人が日の目を見たんでしょうか。考えたくもないです。
「………………」
あれ? 社長子息の話題が出たら微妙な顔になりましたね。さすがに新聞でのインパクトとが強かったので、それを思い出しているんでしょうか。
「……続いて西の方ですけど、こちらは少数精鋭のギルドが多数集まっている感じですね」
西方が砂漠地帯で、拠点となる街が少ないからでしょう。人数が多かったり、メンバーの平均熟練度が低いと維持が大変でかなり苦労するそうです。
「その中で知名度が高いのが鈴蘭の草原というギルドですね。元々対戦アクションや格闘ゲームの世界大会で上位に入るゲームサークルの人達らしくてプレイヤースキルが高いんだそうです」
「ふーん」
あっ、とうとう食後のコーヒーまで作り始めやがりましたよこの人。
「こ、ここのギルドリーダーにはお姉さんがいるんですが、この姉妹がすっごい美人で有名なんですよ」
私は会った事はないんですけど写真で見たことがあります。新聞に載ってたりで、よく話題になっています。強くて背が高くて胸もおっきくて美人。なにその勝ち組、みたいな感じの姉妹だそうです。
「姉妹、ねえ……」
おや、美人姉妹に反応しましたよ。男の人ってこれだから。
「北は?」
「え?」
「だから、北方地方のギルドはどうなってるんだ?」
「え、えっと、それは……が、頑張ってますよ?」
「なんで疑問系なんだよ。まあ、いいけどな」
彼は話は終わったと言わんばかりに座っていた簡易イスの位置をずらして岩の手前に移動すると、それを背もたれ代わりにして、星空のような天井をコーヒー片手に眺め始めました。
「………………」
彼は気にしていないようですが、北のギルドの話になった時はさすがに露骨でした。私が前にいた、というより一応今も所属しているギルドが北にあるから、ちょっと話し辛かったのです。
「お前、テントは? もうみんな設営終わってるぞ」
言われ、周囲を見渡せばもうほとんどのプレイヤーがキャンプの準備を終え、中にはもう休んでいる人達もいます。本当にここからだと全体を見る事ができるんですね。
「私、寝袋派なんで」
「………………」
って、なんですかその可哀想のものを見るような目は。
「予備のテント貸してやるからそっちで寝ろ。寝袋よりテントの方が疲労値が回復する」
疲労値が一定以上溜まると病気状態になってしまいます。私自身、バッドステータスの『病気』にはなった事はありません。それに疲労値自体が隠しステータスなので確認のしようがありません。
「そんな、悪いですよ。それに私は……」
――死神なんて呼ばれてる女。
その言葉が、何故だか喉に引っかかって声として出せませんでした。もう自分でも認めてしまった筈なのに。
私が何か言いたそうにしているのを気づいていながら、彼は無視してメニューウィンドウからアイテムウィンドウを開きます。
彼が最初に設置したテントから少し間を置いた隣に、青い光が集まって形を作り、光が弾けたかと思うと簡易テントが代わりに現れました。
「明日もマップ埋めに出るんだろ? とっとと休んでしまえ」
「…………はい」
エノクオンラインに閉じこめられてから、早寝早起きが基本になっています。現実世界では学校があるのでそんな夜更かしなんてしていませんが、それでももの凄い早い時間に床についています。
路上に街灯やら店がいつまでもやっている訳でなく、現実世界よりも空が近く、星や月の光が強いとは云え夜になれば辺りは本当に何も見えないぐらい暗くなります。
なのでとっととお休みするに限るのです。
なんですが、
「眠れない」
テントの中、寝付けない私はゴロゴロ転がります。
今日は色々ありました。触手に絡まれるという貞操の危機から彼に救われ、続いて縦穴に落ちて助けを求めたら拒否されて、湖に落ちた私を無視して湖底へと進んでいき、戻ってきたかと思えば洪水起こしてモンスターまで引き連れて、二度目は無視したのにまた私を助けて、一体何なのでしょうか、あの男の人は。
あっ、そういえば名前聞いてない。
そんな名前の知らない異性と同じ釜の飯を食べた上に隣のテントで寝ているのですか。私は。
うぅ、どうしてこうなった。いや、別に目立ったような、嫌悪するようなところは無いんだけど、何だか向こうのペースに流されっぱなしというか、何と云うか。
やっぱり、勘違いされそうな言い方ですけど、私は人が恋しいのでしょうか。ギルドから距離を取り、自分から距離を取っていた筈なのに。
「ううぅ~」
本当、どうしてこうなったんでしょう。
私が寝付けない夜を過ごしていると、外から何やら話し声が聞こえてきました。どちらも聞き覚えのある声です。
気になった私はこっそりとテントの出入り口に移動して蓋となっている布を小さく持ち上げて外の様子を窺います。
テントから少し離れた場所、火の勢いの弱い焚き火の傍にまだ寝ていなかった彼が座っていて、その隣ではあの<オリンポス騎士団>の副団長さんが彼を見下ろすように立っていました。