エリザの小冒険 その3
可愛くないウーパールーパーもどきに追いかけられて数十分、私達はなんとか逃げきる事に成功しました。
「し、死ぬかと思いました」
そして例の男は隣でゴクゴク喉を鳴らして飲み物を飲んでいます。信じられません。それを分けてくれる訳でもなく、目の前で普通飲みますか?
彼が飲み終わると容器の方は青い光となって消えていきます。それを恨めがましく見上げていると、洞窟の向こうから人の声が聞こえてきました。それに明るい光も漏れています。
「――もしかしてっ」
私は駆けだし、急いでそこへ向かいます。
「わぁっ……」
そこは地下にあるとは思えない程の広い空間が広がっていました。地面が座るのに丁度いい大きさの岩肌となっているためか、大鍾乳洞を探索に来た多くのプレイヤー達がキャンプを張って休んでいます。
何より私が感嘆の声を上げたのは鍾乳洞の天井には暗闇の中に点々と輝く星空のような光景が広がっていたからです。
フィールドで野宿している時も、すっかり空が遠くなった現実世界の月や星と比べ物にならないほど綺麗で、この鍾乳洞だと閉鎖的ながらも広い空間なのでまるでプラネタリウムです。
「すごーい!」
我ながら年甲斐無くはしゃいでしまいます。
「見てください。まるで天の川みたいですよ!」
なのでつい後ろにいると思っていた彼に振り返ったのは仕方がないと思います。そしてその彼は――
「もうキャンプしてる!?」
いつの間にか野宿の準備を終えていました。サバイバル生活必需品である簡易テントを岩の上に設置し終え、しかも簡易イスまで取り出して既にお湯を沸かしています。
「て、手慣れ過ぎてる……」
しかもこっちのはしゃぎように反して、温めたお湯で作ったコーヒー片手にのびのびと天井を眺めています。
その余裕がなんかムカつく。
なんて負のオーラ噴き出しそうになっていると、鍾乳洞の奥で人が集まっています。その中心になっているのは大ギルド<オリンポス騎士団>のギルドマスターです。
他のプレイヤー達とマップウィンドウを開いて話し合っており、ギルドメンバーと思われる人が――マップデータの共有をお願いしますと、呼びかけていました。
「行かないと」
「なんで?」
「いや、なんでって…………」
ここにいるのは大鍾乳洞のマップデータを完成させ、魔王への道のりを確保する為です。なので、データを共有するのは当たり前です。
「知らんから、そんな事。だいたい、そんなの頼まれてないし、協力した覚えもないから」
しかし、コーヒーをススって天井から視線を外さない彼は関係ねえと言わんばかりの態度です。
この人、もしかして私達が来るよりも前にダンジョンで探索をしていたんでしょうか。いや、それよりも協力してもらうよう言いましょう。それに先に来ていたと云うのなら、もしかするとマップデータがかなり埋まっているかもしれませんし。
「い、今知りましたよね。なら、一緒に行ってマップデータを共有しましょう」
「えー」
えーって、え~~…………。
そんな子供みたいな。そういえばこの人、私が縦穴に落ちて行っている時もそんな態度でした。
「で、でもでもっ、現実世界に帰るためには魔王を倒すしかなくて、その為にはこのダンジョンにあるという抜け道を探すしかないんですよ?」
私の説得が通じたのか、彼はマップウィンドウを開いてこちらに滑らせてきます。いや、マップウィンドウだけ渡されても<書類作成>のスキルがないのでコピーする事ができません。
向こうで情報交換している人なら、きっと持っているでしょうが、マップだけとは云えウィンドウに表示されるのはその人が集めた大切な情報です。ホイホイと他人に見せていい物ではありません。まあ、私にすんなり渡したんですが。
「お前一人で行ってこい」
「いいんですか? 私が言うのもなんですけど、後で文句言っても知りませんからね」
彼は気にした風もなく、まるで犬猫でも追い払うように手を振りました。なんだか失礼です。
まあ、マップを貸してくれただけでも良しとしましょう。私は小走りで作業中の一団に向かいます。
「きゃっ?」
「あっ、すいません!」
その途中、行き交う人の流れの一部とぶつかってしまいました。
「お怪我はないですか?」
ゲーム内で言うのも変ですが、ここはダンジョン。パーティー登録していないプレイヤー達はダメージを互いに与える事ができ、肩がぶつかっただけでも場合によって体力が減ります。何が起きるか分からない未知のダンジョン、さっきもモンスターに追われた身としては僅かな体力の減りも見逃せません。
「いたた…………もう、気をつけてよね。お姉さん」
「――ご、ごめんなさい。こちらの不注意でした」
肩がぶつかった相手は私よりも小柄な、褐色の肌を持った少女でした。しかも美少女です。思わず同姓の私でさえビビるくらい可愛らしいお嬢さんです。
「んん?」
と、少女がいきなり私の顔をのぞき込み、その後顔を離すと魔法媒体である宝石付きの杖を抱きしめるように持ち、何かを思い出すように頬に指を添えます。
あざとい、とも取れるポーズ。しかし、この少女の場合そうは全く見えず、違和感がない自然な感じで可愛く見えます。
――ぬぅおおおおっ、これが最初から生まれ持った者の差! 神は死んでいた!
なんて生まれた瞬間から起きる不平等を呪っていると、考えがまとまったらしい少女が笑みを浮かべました。
大変可愛らしい笑みの筈なのに何だか厭な感じがしました。
「思い出した。お姉さん、噂の死神さんでしょ」
「――――」
「掲示板で見たわ。お姉さんとパーティー登録をすると、皆死んじゃうでしょ?」
「そ、それ、は…………」
近しい人が次々と死んでいって、それで…………。
「あっ、ごめん、違った。近くにいるだけでも駄目なのよね。同じギルドにいた人が死んじゃったんでしょ? 他の関係無い人達まで巻き込んで一緒に」
「あ、う…………」
私を受け入れてくれたギルドでも人が死んで…………。
「なにやってんの、セティスちゃん」
数人のプレイヤーが、笑みを浮かべたまま私を見上げる少女に集まってきます。
「ううん、別にー。ただ、噂の死神さんと会っちゃっただけ」
死神という言葉に彼らの視線が少女の頭上を飛び越えて私に向きます。
「死神って、あの?」
「パーティー二つだけじゃなくて、ギルドにも被害を出したっていう…………」
「おい、行こうぜ。巻き添えなんてごめんだ」
ああ、私を噂する声が聞こえます。聞こえないよう、もしくは聞こえるかどうかの声量をあえて出しているのかバッチリと会話は私にまで聞こえ、彼らの視線は疫病神を見るようなものでした。
「セティスちゃん、行こうぜ」
「そうね、行きましょう。このまま一緒にいて、巻き添えなんて嫌だもんね。ごめんね、みんな」
「いいんだって。それにもしそんな事が起きても俺が守ってやるよ」
「二刀流が何言ってんだよ。守るっていうなら、この中で一番盾スキルの熟練度が高い俺だろ」
「いやいや、俺だって」
「あははっ、みんなありがとうね~。でも、喧嘩しないようにね」
そのまま彼女らは、私の存在なんて忘れて笑いながら去って行きました。
後に残された私には、会話が聞こえていたのか周囲にいた他のプレイヤー達の畏怖にも似た視線とヒソヒソ話が聞こえてきました。
「はぁ…………」
<オリンポス騎士団>に鍾乳洞のマップデータを提供し、同時に他のプレイヤーが探索したエリアのデータを貰った私はトボトボと、借りたマップウィンドウそのものを返しにあの彼がテントを張った場所に向かいます。
データ交換の際、やはりその周囲はさっきの少女との会話が聞こえていたらしく、嫌悪という訳では無かったんですが、扱いづらい、厄介だ、と言ったような空気が流れていました。
幸いなのは対応した<オリンポス騎士団>の副団長さんは普通に接してくれた事でしょうか。さすがに直接会話する相手まで周りと同じだったら私としてもより気が滅入ってしまったでしょうから。
ただ、あの彼のマップウィンドウを見て怪訝そうに目を細めたあの一瞬はなんだったんでしょうか。確かに効率も計画性も何もない、ダンジョン攻略というよりは一人観光のような独特というか個性が出るものでしたが。
なんて思い出しつつ彼がテントを張った、他の設営陣地よりやや高い、丘のようになった岩肌に足を踏み出します。
その時、顔を上げてテントのある方を見ると二つの人影がありました。
「あれは…………」
焚き火の上でフライパンを置き、調理スキルをアクションで使用している彼の横で、先ほどの少女が腰を曲げて彼の横顔をのぞき込んで何か喋っています。そこから少し離れた場所では、彼女と同パーティーと思われる男性プレイヤー達がその様子を不満そうに見つめていました。
微笑みを携えて喋りかける少女に対し、彼はフライパンを熱心に見つめながら黙々と調理しています。アクションで味付けをしている事から、現実世界でも料理が出来た人なんでしょうか。
いや、そうじゃなく――彼は少女と顔を合わせる事も無く、ふーんとかへぇ、あっそう、とかテキトーな相槌だけを打っていました。
さすがに頭の来たらしく、少女は彼に喋りかけるのを止めてそっぽを向くと、仲間のプレイヤー達の所に戻っていきました。
私はなるべく彼女らの視界に入らないよう彼の元へ行きます。
「あの…………」
「はあ――あ? ああ、お前か。どうした」
「………………」
彼は角切りにしたお肉を焼いているフライパンから顔を上げます。
あんな受け答えしてたら確かに
「どうしたって、お借りしてたマップウィンドウを返しに来たんですよ」
「…………?」
忘れてる! この人マップウィンドウごと人に貸してたの忘れてる!
「ああ、そういやそうだった」
そう言って、彼はメニューウィンドウを開き、マップウィンドウを閉じる操作を行いました。
「ダンジョンマップの更新もしてもらいました。ところで、その…………」
あの褐色の少女と何を話していたのか。だいたい予想は付いています。だからこそ聞きたいような聞きたくないような複雑というか微妙な心境です。
「そういや、アレ、なんだ?」
アレ、とは?
彼の持つ包丁代わりのナイフがある場所を指します。その先にはあの美少女と取り巻き達がいました。
「あのムサ苦しい集団の中、一人だけ女がいて周りからチヤホヤされてっけど、何だアレ? 逆ハーレム?」
「いや、何だと言われましても」
多分、二パーティーの内の男女非が十一対一になっている構成の事を言っているんでしょう。
「多分、姫プレイですよ」
「姫プレイ?」
呟き、彼はナイフをフォーク代わりにして焼いていた肉を口に入れました。危ないなぁ、もう。
「エロいな」
「そのプレイじゃないと思いますよ!?」
いや、まさか本当にそっち? いやいや、まさかぁ。でも、可能性として有り得るわけで……。考えるのは止しましょう。うん!
「姫プレイって言うのはですね」
「女王様プレイの亜種だよな」
「だーかーらーっ、違いますー! 姫というのは他プレイヤーからの人気があって色々支援して貰ってる人の事です! まあ、アイドルとファンみたいな感じですかね。ちょっと違うと思いますけど」
ちなみに、中にはそれを利用したり当然だと思って人に迷惑をかける人もいるらしいですが、あの彼女はどっちでしょうか?
「SM?」
すぐそっちに繋げるの止めません?
「女王蜂とそれに服従する働き蜂って人で表現すると、ああいう構図なのかね」
女王じゃなくて姫ですから。
「さあ?」
もうどうでもよくなりました。
と、彼と一緒に設営陣地でモテモテの彼女の後ろ姿を見ていると、彼女の取り巻きの一人がこちらに振り返りました。
中肉中背、少女と同じ褐色の肌を持つ男性プレイヤーがこちらを見上げます。他の取り巻きとは違う、妙な雰囲気を持った方です。
「なあ、これ食ってみてくれ」
口の中の肉を飲み込んだ彼が、今度は私に肉を差し出してきました。だから、ナイフをフォーク代わりにしないで下さい。ましてそれを人に向けないように。
「ほれ、食え。ほれほれ」
なんか野良猫に餌やる感じで失礼ですね。
ですが、眼前に突き出されては食べるしかありません。この人の場合はそのまま人の顔面に押しつける事ぐらいやりそうですし。
「では…………ん」
ナイフの刃先が肉のどこまで食い込んでいるのか分からず危ないので、最初は肉の端を歯で噛み、そこから肉を引っ張って口の中に入れます。
恋人同士がする、あーん、みたいな気がしなくもないですが、雰囲気も何もあったもんじゃないので気になりません。
「犬かお前」
うるさいで――――と言おうとした瞬間、口の中に広がる肉汁が舌に触れ、
「しょっぱぁーーーーっ!!」