エリザの小冒険 その2
祟るのは無しで。私、生きてます。はい。
縦穴の底は湖になっていて、それのおかげで命拾いしました。下が水になっていれば、落下ダメージは受けないのです。あんまり高いと話は違ってきますが。
高い所から落ちた心理的恐怖でビクビクですが、体は無事なので何とか泳いで地面のある所に辿り着きます。
「はぁ、はぁ……死ぬかと思った」
本気でそう思いました。
「――あっ」
いつの間にか、目の前にさっきの薄情者が立っていました。
変わらず干し肉をモグモグしつつ私を――いえ、私の背後にある湖へと目を細めて眺めています。眩しそうに、魅入られるように。
「ん? ああ……生きてて良かったな」
そして、まるで今気がついたと言わんばかりに彼は、地面に手と膝をついて呼吸を整える私を見下ろしました。
干し肉を噛みちぎる為に犬歯を覗かせた彼の顔を見て、なんとなく悪魔を連想してしまったのは何故でしょうか。
彼は干し肉を完食すると、私の横をすり抜けてそのまま――ええええぇぇ!?
そのまま湖の中にザップザップと進んでいきました。
私が驚いている間にも彼は奥へ進み、段々と湖に沈んでそのまま視界から消えてしまいます。いや、確かに湖の底とかRPGじゃ抜け道があったりしますけど、あの人の装備は見るからに水中向けではありませんでした。
私みたいに海面近くで溺れないよう陸にまで泳ぐのと、水底を泳いで探索するのとでは難易度が大違いです。
水泳スキルが高かろうと、装備品やアイテムボックスの重量は水中では大きな影響を与えます。場合によっては沈んでそのまま――なんて事もあるらしいです。
彼は軽装装備でしたが手足は重装、最初に助けられた時に見たたくさんの武器からアイテムボックスや収納ベルトには相当重量があると思います。
水泳スキルの高い人だって慣れた場所でも必要最低限の装備で飛び込むと云うのに、あの人は躊躇なく行ってしまいました。
慌てて湖に首を突っ込みます。
透き通った湖の奥底、そこにあった洞窟の中へと底の地面を歩きながら進む彼の後ろ姿がありました。そしてそのまま、彼の姿は闇の中に消えてしまいました。
「あ~あ~…………」
「底を歩いていくとか、何考えてんでしょうか」
とりあえず、私はその場で焚き火をしつつ、待ってみる事にしました。ほら、さすがにこのまま無視する訳にもいかないですし、だからと言って追いかける事もできず、妥協案としてここで待つ事に。
どのみち、あんな高い所から落ちて精神的に参っていたところです。モンスターの姿もありませんので、休憩を取ってしまいましょう。
と、携帯食料を取り出した時、ドーッンという大きな音と揺れが聞こえ、驚いて食料を落としてしまいました。そして青い光となって砕け…………ああ、貴重な食料が。
って、そんな場合じゃないです。一度の大きな揺れの後、ゴゴゴゴッ、という水の音が聞こえてきたのです。
「水?」
反射的に湖に振り返ると、ぶくぶくと泡が溢れていました。
「ええっ!?」
泡が出ているのは先ほどの男の人が潜っていった洞窟の真上です。もしや、何かあったのでしょうか。
驚いている間にも揺れや泡が激しくなっていきます。そして、陸近くの水面に新たな泡が出、そこから人間が飛び出して来ました。
「きゃあああっ!?」
思わず悲鳴を上げるも、すぐにそれが先ほどの彼だと分かりました。
彼は濡れた前髪を手櫛でかき上げ、そのまま走り出します。
「――え? え? えええぇっ!?」
本日何度の驚きでしょうか。突然現れ去っていった男の人がさっきまでいた湖の向こう、何だかスゴい勢いで水が溢れているようにも見えます。未だ続くゴゴゴゴッ、という音もアドベンチャームービーなどでよく聞く音です。
つまりはピンチな予感。
「わーーっ!」
焚き火を放棄し、慌てて男の人を追いかけます。
湖の天井、私が落ちた縦穴には人が通れる程の道が壁沿いに螺旋状となって天井へ伸びています。
男の人がその道を走るところで、私もそれに続きます。
その判断は正しかったようで、直後大きな音と共に大量の水の音がしました。
走りながら後ろを振り返ると、大量の水が津波となって縦穴内を蹂躙しながら迫り来ていました。しかも、波に乗ってウーパールーパーなのかカエルなのか分からない、目の無い両生類系のモンスターが大量にいました。
「わぁ…………」
どう見てもヌメヌメしてそうで気持ち悪い。
とにもかくにも、必死こいて走ります。しかし、ダッシュするためにはスタミナが必要。スタミナは有限で、私の視界の隅で目に見えて減り続けています。
「ハァ、ハァ、ハァッ」
スタミナが減るにつれ、現実世界のように私の息が乱れて体に疲労感が圧し掛かってきます。
前では変わらず男の人が走り続けており、息切れを見せる気配もありません。
どんだけスタミナ持ってるんですか。
「きゃっ!?」
スタミナがとうとうゼロになって、私は転んでしまいます。
後ろからは縦穴を満たし溢れる水、そしてそれに乗って迫るモンスター達。ていうか仲間をボード代わりにしてないですか?
ともかく、絶対絶命です。
ああ、現実世界にいるお父さん、お母さん。エリザは親不孝者です。先立つ不孝をお許しください。でも、私みたいな人間にはお似合いの終わりなのかもしれません。
私のせいでいろんな人が取り返しのつかない事になりました。ごめんなさい、みんな。ごめんなさい、ユ――
「いたーーーーっ!?」
いきなり胴体に鈍いのか鈍いのか分からない痛みがきました!
閉じていた目が開き、クリアになった視界で自分の体を見ると、いつの間にか体に鞭が巻き付いており、その鞭が伸びる先にはあの男の人が立っています。
「――って、鞭スキルの束縛でダメージが!? 体力がジリジリ削れてる!」
地味に殺す気ですか。
とか思っていると、鞭に引かれて私の体が宙を舞い、拘束が解けて彼の目の前に落下します。
「きゃあああーーっ!?」
地面にぶつかると思った瞬間、彼は非常に面倒そうな表情で私を腰と左腕で囲むようにして受け止めました。
「…………重い」
「はぁ!? そんないきなり重いとか女の子に対して失礼です。それに私学校でも軽い子と評判なんですよ!」
「………………」
――それ、違う意味じゃね? と言いたげな顔をしつつ、彼はそのまま私を脇に抱えて走りを再開させました。
「あの、あぅ、な、何を――」
その走りは私のとは比べものにならないほど速く、軽やかながらも力強く、しっかりと地面を踏みしめ前へ前へと進んでいきます。
前へ前へ、壁に向かって。そう、壁に向かって。
「ち、ちょっ――!」
私が叫ぶ直前、彼は地面を蹴って跳躍して、縦穴の壁をそのまま走り出しました。
「えええええぇぇーーっ!?」
スキルで<壁走り>なんてものがあるのは知っていました。けど、あれってスカウト系のスキルであって、とてもこんな前線にソロで来るような人が覚えているスキルでは…………。
私の疑問を他所に彼は壁を走り、螺旋状の道に着くと歩いて前進、そしてまた壁の前に来ると再び走り登ります。
そうやってインターバルを挟んでいるとは云え、スタミナを大きく消耗すると言われている<壁走り>をこれだけ長い事使用するなんて、どれだけスタミナのステータスが高いのでしょうか。
彼が私を抱えたまま、とうとう出口へ、私が落っこちた穴ではなく正規のルートと思われる横穴へと着地します。その頃には水の音が小さくなって、横穴から縦穴を見下ろすと、横穴から人一人分ほど下で水は止まっていました。
「下ろすぞ」
「あうっ!?」
その言葉を認識するよりも早く、手を離されて地面に落下します。カエルのように五体倒置で。
「も、もうちょっと丁寧に下ろしてくださいよ!」
あっ、なんですかその――わがままな奴だなって目は。まったく、助けてくれたとは云え失礼な人ですね。あれ? そういえば二度目に出会った時はあっさり見捨てられた筈……。
「それはともかく、一度ならず二度も助けてくれてありがとうございました」
「んん? ああ、あの触手娘」
「人を擬人化された軟体生物みたいに言わないください! もう……それより、何があったんですか?」
並んで、縦穴に張った水を見下ろします。
「爆弾投げたらこうなった」
「当たり前ですよ!」
ああ、会ってさほど経ってない人相手にバシバシ突っ込みを入れる羽目に。私のキャラクターがぁ。
エノクオンラインはフィールドのオブジェクトなどが破壊可能で、あんまりやるとフィールドが変化したり、予期せぬ二次災害が起きたりします。今回は水が溢れましたけど、こんな洞窟で爆弾なんかを使ったら崩落が起きて生き埋めになってしまいます。
そういえば昔、ゴブリンの森に火災が起きてフィールドが変化したらしいです。一体誰なんでしょう。そんな放火した人は。
「向こうさ、アレの巣だったんだよ」
「アレ?」
向こうとはおそらく湖の下を行った先の事でしょう。なら、アレとは?
男の人が水面に向かって指さしたのでそれを追うと――
「うぇっ!?」
水の中から、先ほど目撃した両生類系の生物が壁に張り付いて這い出てくるところでした。それも大量に。
「な、なんだかこっち向かって来てるんですけど?」
<情報解析>で見る限り、一体一体はソロでも勝つ事はできます。ただ、壁を覆い尽くそうな勢いで水の中から出てくるモンスターの数が尋常ではありません。しかも、巣を壊されて怒っているのか全員がこっちに向かってきてます。
なにより、気持ち悪いです。
「うわぁ、気持ち悪い」
思わず本音と同じ事を口にします。
「じゃ、俺逃げるから」
「え? ああっ!?」
信じられません。女の子一人残して先に行きやがりましたよあの男。
「ちょっと、待って下さーい!」
慌ててその背中を追いかけます。後ろからはモンスターがどんどん横穴に入って追いかけてきます。ていうか、足速い! 前も後ろも!
「ひえええぇぇっ!」
追っているのか追われているのか、ともかくひた走ります。
「な、なんだか今日は厄日です!」
おそらく、あのタコもどきに襲われた時、油断せずにソロで撃退できていれば、もう少し私は淑女のままいられたでしょう。
あれですよ。悪い友人の影響を受けたみたいに逞しくなったり腹黒くなったりと、そういった他者による無意識の自己変化のようなものです。
今思えば、私も彼女達も、可憐な少女を置いて平然と逃げる男によって少しは変わってしまったのでしょう。
ええ、悪い方向に。