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幻想世界の放浪者 外伝  作者: 紫貴
蝋人形のシンデレラ
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幻想世界の放浪者 蝋人形のシンデレラ 1


 ――醜い。

 それが物心ついて自分の姿を見て思ったことだった。

 灰を被ったような白い髪。青い血管が浮き彫りになる蝋のような肌。茶が濁った赤色の瞳。

 色素欠乏症――分かりやすい欠陥。

 今時分、見た目や生まれつきの障害で差別する者はいない。むしろ健常者だからこそ身体障害者の力になるべきだ。もし差別する人間がいるとしたら、それは逆に周囲から冷たい目で見られる。

 だけど私は違う。マクスウェル・コーポレーションの社長令嬢であり、若くして周囲から怪物のように恐れられているレオンハルトの妹。その立場が私を可哀想な娘ではなく出来損ないだと周囲に認識させた。

 元々大企業に数えられていた社を更に拡大させ盤石な物とし、社会の表裏を知り尽くし利用する父。そして、怪物の子はやはり怪物として十の頃には経営に関わり、子供だと思って油断したライバル社を次々と飲み込んだ兄。

 それと比べ私は一目見て分かる劣等。何の功績も残していない事実。父や兄に畏怖するのと同じ位、まるで内にため込んだ泥を投げつけるように侮蔑された。

 仮にも彼らの身内に直接手をかけるような輩はいなかったが、遠回しに、あるいは視線で私を馬鹿にしていた。

 そんな目や言葉に私はこれといった感情は沸いて来なかった。ただ、彼らの目を通しても自分は醜いという事を再認識できた。生きている人間の態度は鏡以上に私という存在を見せてくれる。

 所詮有象無象。鏡程度の役に立たない彼らなどどうでも良かった。私はただ自分の怪人のような姿に幼少から絶望していた。

 人との違いによる苦しみ。部屋に閉じこもっていた私が美しい物に嫉妬し見当違いな怒りを覚えるようになるのはそう時間のかからない事だった。

 美しい物が憎い。

 それを自覚した途端、幼かった私はとにかく暴れた。屋敷にあった綺麗な物、美しい物、芸術品と呼ばれる物を尽く破壊した。

 私はこんなに醜く、まるで死人のように青ざめた蝋人形なのに対してどうしてお前達はそんなにも綺麗なのか。

 ただただ、感情に流され壊し続けた。

 気がつけば私は燃え盛る庭の中央で地面に寝転がっていて、屋敷の者に救助されるところだった。

 付き人の女性に背負われて安全な場所にまで避難された時、そこには兄がいた。

 兄のレオンハルトは私が壊した物を見下ろして立っていた。私に気付くと一度だけ視線を合わし、すぐに消火作業を行う部下の指示に動く。

 父と兄は一カ所の場所にいる期間が短く、私が住んでいた屋敷とて年に一度来るか来ないかだ。そんな兄が目の前にいた事には驚いたし、屋敷をこんな風にした私は叱責を受けると覚悟した。

 だけど、庭の消火が終わった後、特に何も言われなかった。ただ、数日の間屋敷に滞在したかと思うといきなり明日出掛けると言い、翌日には私をあるアーティストのアトリエに連れ出した。

 そのアトリエの持ち主は世界的な芸術家と知られ、現実世界に電脳空間とその両方で様々なアートを残している本物の天才の物だった。

 ダイヴ装置を作り、初期の電脳空間のデザインも行った天才の一人はマクスウェル・コーポレーションの仕事もしていた事もあって兄と知り合いなのはおかしくないが、兄が私をここに連れてきた理由が分からない。

 屋敷での凶行から、鋭い兄は私の心に気付いている筈だ。それなのに、天才のアトリエに連れてくるとは何を考えているのか。

 天才、なんて俗な言葉が使われてしまうほど、彼のアトリエに置かれた製作物はただただ美しいと言うしか無かった。同時に、私の腹の底から溶岩のようにドロドロとした嫉妬が沸き起こり、噴火しようとしている。

 私は我慢した。兄の前でみっともない姿を見せる訳にもいかなかったから。それに、さすがに屋敷での火事に負い目を感じていた。

 だけど、私のそんな些細な自尊心を払うように兄から差し出されたのが、ハンマーだった。

 持ち手が木製で、槌の部分が黒い鉄で出来ている。大きさも子供の私が持つには丁度良い大きさだ。

 訳が分からない。道を譲るように後ろに下がり、芸術品の周囲から離れた兄の様子から何をさせたいのかは分かったけれど、その意図が分からない。

 混乱する私に、アトリエの主である天才がただ一言。

「好きにすればいい」

 それだけを言った。

 恐る恐る、ハンマーを振る。

 美しい物が壊れた。

 壊れれば美は失われて、それはただ美しかった物になる。

 一つ壊せば、また一つ壊す。

 叩いて、叩いて、もっと大きなハンマーを借りて叩いて、時には切って、破いて潰して破壊する。

 いっぱいあったそれを、ただ思うがまま、感情の高ぶりのまま破壊し続ける。

 兄はそんな私と壊した物を興味深そうに見ているだけ。そして持ち主であり制作者である天才は声を上げて笑っていた。

 自分の才と時を費やし作られた芸術品の数々を目の前で破壊されているというのに、世界に名を馳せる天才は腹を抱えて大きく口を開けて笑っていた。

 二人の態度に、当時の私は疑問に思いつつも、破壊活動に夢中になって理由なんて考えもしなかった。けど、今なら解る。

 二人は、この醜い女の浅ましい嫉妬の根元となる業にとっくに気付いていたのだ。


 あれから数年、成長した私は兄の仕事を手伝うようになった。影に徹して兄を支えていたせいか周囲の評価は大して変わりなく、耳を澄ませば陰口が聞こえてくる。

 けれどもそんな事はどうでもいい。元より周囲の目は鏡。私が自分の姿を再認識する程度しか効果は無く、私の精神は既に開き直っていた。

 開き直って、美しい物を壊す日々を続けていた。

 そんなある日、二十万ドルのドレスを引きちぎっていると兄からゲーム大会出場に誘われた。

 兄は文芸、芸術、スポーツ、工学、料理等々非常に多趣味でありどれもセミプロ以上の実力を持っている。海外を飛び回り分刻みの多忙な生活を送っているのに、どうやってそんな時間を作っているのか不思議でならない。

 兄の趣味の中にはエンターテイメント、ゲームも含まれていた。特に、マクスウェルがダイヴ装置を取り扱っている事もあって電脳空間で行う体感ゲームを好んでいた。

 兄は出不精な私を時折連れ出して、ゲーム大会などに参加させたりする。予定も断る理由も無かった私はドレスを燃やしてついていく事にした。

 大会の会場となる場所は世界でも有名な美術館にタクシーで行ける距離にあった。ああいう場所に近づくの精神衛生上良くないのだけど、既にそれで暴走するほど子供じゃなかった。

 それに何より、私の黒い感情を向ける存在が見つけてしまってそれどころでは無かった。

 一人の日本人女性がいた。黒真珠のような艶やかで長い髪、童顔の多い日本人にしては大人っぽい顔立ち、長身のスマートな身に反して男なら目を向けてしまう豊満な胸と美しい腰の括れ。セーターとズボンという動きやすい格好をしていながらむしろプロボーションの良さを強調し、それでいて下品さは無く、逆に佇まいから隠し切れぬ気品さが滲み出ている。

 日本人らしからぬ、日本独特の美しい矛盾した女がいるのだ。私の意識は近くにある世界的美術館よりも完全にそちらに持っていかれた。

 聞けば、彼女もまたゲーム大会の出場者だと云う。兄といい、場違いにも程がある。ファッションショーのステージでも歩かせればさぞ歓声が上がっただろうに。

 だけど、このまま勝ち進めば電脳空間上とは云え、アバターであって本人では無いけれど、叩き潰せるかも知れないと思うとやる気が上がるというものだ。

 そんな暗い感情を内に灯していると、ふと視界の端に一人の青年が目に止まった。

 黒真珠の女性と一緒にいるのでチームメイトなのだろうが、他の仲間達よりも一歩後ろに下がり、ルーブルのパンフレットを眺めていた。ズボンのポケットから薄いガイド本が覗いている事から、観光する気満々な様子だ。

 私は首を傾げた。

 前に立つ黒真珠に彼が細めた目で見た時、頭に入り込んできた。

 ――何が?

 何に? 何故? どうして?

 疑問が頭に浮かび上がる。あの男に疑問を感じたのでは無い。あの冴えない日本人男性に何か引っかかった自分に疑問を抱いたのだ。

 その何かが分からなくて、喉の奥に物が詰まったような感覚に襲われた。慣れ親しんだ無表情という仮面は崩れなかったが、平静を装いながら頭の中は錯乱している。

 得体の知れない感触は胸の奥に抵抗もなく入り込んで、その日は一日中グルグルと私をかき混ぜ続けた。


 翌朝、私はパリの町並みを歩いていた。

 私は出不精の自覚はあるが、別に外が嫌いではない。人の少ない朝には散歩に出ることもあるし、こう見えても運動は得意だ。

 ただし、夜は出掛けない。昔、通行人に幽霊と間違われて悲鳴を上げられた事がある。もう気絶した人間の面倒を見るのは懲り懲りだから。

 芸術の早朝の空気を済んでいて気持ちが良かった。問題があるとするなら、さすが芸術の都だけあって破壊衝動が刺激されるのが問題だ。

 街の監視カメラなんて何とでもなるが、その手続きが面倒だった。なので私は朝の静けさと澄んだ空気を楽しむことに集中して石畳の歩道を進んでいく。

 ――ジャリ、と擦るような音が聞こえてきた。

 顔を上げると、道の反対側から一人の若者が歩いてきていた。

 昨日のゲーム大会で目撃した日本人だ。

 薄っぺらいガイドブックを片手にフラフラ歩く様子は誰の目から見ても浮かれている旅行者だと分かる。

 私は昨日浮かんだ疑問を頭の片隅に追いやりながら、なに食わぬ顔で歩みを緩めずに道を進んでいく。

 どこからどう見ても、どこにでもいそうな平凡な男。それなのに私は問いさえも分からない疑問を感じるのだろう。それが分からない。

 元より私は他人に興味があまり沸かない。まるっきり無関心ではないが、初対面で関係性の低い人間にこちらから関心を寄せる事はない。

 せいぜい、私の容姿を見たときの反応で自分が醜いという事を再認識させてくれる程度の役にしか立たない。いわば鏡だ。

 なのに何故彼に対してはこうも引っかかりが残るのか。あの妬ましい程に美しい女の仲間だから? いや、他にも男性はいた。なぜ、彼だけが?

「………………」

 もう少しで擦れ違いになりそうな距離にまで来たところで、ようやく向こうが私に気づいたのかガイドブックから顔を上げてこちらに視線を向けた。

 その目を見て、私はふと昨日のある場面を、兄と対戦していたあの美女の背中を追っていた彼の目を思い出した。

 ああ、そうか。そういうことか。

 他人が私の醜さを写す鏡であるなら、彼はーー。

 互いの肩が触れそうな距離で擦れ違った瞬間、私は拳で後頭部を殴った。前のめりになって倒れそうになる彼の腹に蹴りを当てて壁に叩きつけ、そのまま壁に押しつけ殴り続ける。

 自衛でもなく、妬みでもなく、単純な嫌悪で人に暴力を振るったのは初めてだった。

 そう、嫌悪だ。

 私はこの男に嫌悪感を抱いている。

 彼が黒髪の女性の後ろ姿を見ていた時の目。その意味を私は直感していた。だけど理解するには時間が掛かったから疑問という形で揺れていた。

 だけど今解った。解った以上、私はこの男を嫌う。恨みとか憎しみでは無く、単純に嫌いだから。

 同族嫌悪ではない。それと似て非なる。だからより嫌いだ。

 こいつが、この男が、この存在が嫌い。

 嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌嫌――――


 気づけば私は病院のベッドで寝ていた。

 包帯が巻かれて半分しかない視界の隅では兄が立って私を見下ろしていた。

 いつもの余裕を携えた笑みの中には、妹を心配したり怪我に関して怒りを覚えている様子は無い。この人はそういう人だし、それに対して私も何も思わない。

 ただ、逆に嬉しそうにしていたのが不思議だった。

 私の無様を笑っている訳ではない。兄は例え惨殺死体を見ても顔色一つ変えない人だと言ってもそれを笑うような人でもない。

 ふと、私が初めて嫉妬の感情を抱いて火事を起こした際に会った時の事を思い出した。

「楽しかったか?」

 兄は、妹の仕出かしたことを子供の遊び程度にしか思っていなかった。

「あの男は死にましたか?」

 いつも通りの兄に、私はまず私刑リンチした筈の男の安否を聞いた。死んでいてくれますように。

 だけど私の願いは叶わずあの男は生きているようだ。私の今の有様から予想していたけど、やはり残念だった。

 それから数週間、私は目の手術もあって大人しく病室で過ごした。その間、あの男は――あーっ、くそ。痛い痛い痛い痛いぞコノヤロウ、とほざきながら黒真珠の女性とそのゲームサークルの友人達に連れられて日本に帰っていった。足だけは骨折させていなかったので、痛いのさえ我慢すれば歩けたようだ。ムカつく。

 私が退院した後、兄はどうやら黒真珠の女性が所属するゲームサークルと交流を持ったらしく、ゲーム雑誌で彼女の名が載ると思い出したようにあの男の事を話し出す。

 黒歴史に近い事なのであまり聞きたくなかったが、失態を犯し兄に色々と手を回してもらい傷害事件にならなかった事もあって私は甘んじてそれを受けた。

 それからしばらく、美術オークションで買い集めたアートを粉々にして心の安定を保ち続ける毎日を送っていると、再び兄からゲームの誘いが来た。

 今度はあの天才アーティストも制作に加わったというVRMMO、エノクオンラインだった。

 開発企業の特権で新型ダイヴ装置を自分と私だけでなく側近達の分まで用意したあたり、兄は随分と楽しみにしていたようだ。ただ、明らかにダイヴ装置とは関係のない装置が接続されてあったのが気になった。

 それについて聞いてみると、エノクオンラインの開発者である例の八人が何かやらかす可能性があるので、念のための備えらしい。

 私は納得した。兄が言うのだから何かが起きるのだろう。そして、あの八人が揃っての企みは確実にロクでも無い事に決まっていた。

 天才アーティストをはじめ、八人の内何人かとは仕事で何度か会った事がある。全員、狂っていた。社交性が有るように振る舞う知恵と演技力はあっても確実にどこかがズレていると分かった。

 下手をしたら死ぬかもしれない、とも言い含められたし、私もあの八人が関わっているのならたかがゲームだと侮れないと思っていた。

 だけど、天才達が創ったエノクオンラインの世界への興味の方が勝った。

 未だに覚えている、天才アーティストの芸術の数々を壊した時の開放感。美術顧問として彼が手掛けた仮想世界に行けると考えれば、身の危険など些細な問題だったからだ。

 そして私は、美しくも憎い世界へと没入してた。


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