歌姫の難題 後編
エノクオンラインのクリア条件は魔王を全て倒す事である。NPCが語る世界設定上からの話や、発見した魔王の住む城とその立地、敵対する人間側の国々、そして八つの属性から、魔王は八体いるとされている。
現在住処の城と共に確認されている魔王の数は三体。東に土の、西に風の、南に火の魔王。 北には水の魔王がいるとされているが、魔王の城は海を跨いだ先にあるとされ、そこに行くには船が必要な為に後回しにされている。
東西南北それぞれに下位属性である地風火水の魔王が割り当てられている事から、見えない壁があって通行不可な向こう側の地方には残りの四つが、上位属性を持つ魔王がいるとPL達からは考えられている。
そして今ここ、北方地方の東寄りに位置するサダルという街周辺にある丘に、PLから狩り場として利用される場所にて、雷の魔王の息子が人間である歌姫に告白するという珍事が発生していた。
《全体チャット》
『馬鹿だ。馬鹿がいるぞ。みんな指差して笑ってやろうぜェ~』
『壁越えて向こう側のモンスターが迷い込む事はあるけど、魔族が来る事なんて有り得るのか?』
『目の前にいるだろうが。それに、<情報解析>でも名前の称号が表示された。こいつ、本物だぞ』
『なーなーっ、あいつに切りかかりたいんだけどよォ』
『本物の馬鹿でもありますよねー。普通、壁越えてここまでやってきた挙げ句に告白しますかね』
『ギギギ…………あいつ、俺のアヤネちゃんに告白するなんて……』
『お前のじゃねえし』
『頭おかしいのがいるな』
『そうそう。アヤネちゃんをはじめとしたフリーの可愛い女の子は全てオレのだ!』
『真面目な話、どうしますか?』
『ここから安全圏の街まではスタミナ度外視してだいたい十分ぐらいか?』
『素早さの低い魔術師なら倍近くかかるな』
『おい、お前ら無視すんなよォ。あのイレズミの前にお前らから刻むぞ』
チャットが賑わいつつも、彼らは熟練度の低い者を先に逃がし、腕に覚えがあるPLが前へと場所を変わる。
しかし、これほどしても全員が助かるかどうかは未知数であった。それほどまでに魔族は強敵に設定されており、過去に掲示板にて投稿された情報では土属性の魔族が視界に入れただけで対象を石化させる能力を持ち、それで多くのPLの命が失われたと云う。
下位属性の魔族でそれなのだ。未知の領域に住む上位属性の魔族、それも魔王実子となれば強さの設定は計り知れない。
「今にでも胸が張り裂けそうだ。動悸が乱れ、口からはため息しか出ず、思考も空回る。君の事しか考えられない」
ステータス同様にオツムの方も計り知れないものを持っていそうな魔族は未だアヤネを口説いている。
「私はアヤネと言います」
名乗られたから名乗り返す、そんな形でアヤネがルキフグスの言葉を無視してお辞儀した。
「それで、何かご用ですか?」
「私の気持ちとして、この花束を受け取ってほしい、歌姫よ」
――時間を稼いで、と雷の魔族ルキフグスの後ろでエリザが会話を長引かせるよう両腕を左右に水平に振るジェスチャーを堂々と行う。
「――お断りします」
エリザがコケそうになり、他PL達の視線が魔族からアヤネの方へと集中する。
「今日いきなり訪問されて、名前を知ったばかりの人から花束は受け取れません」
「ああ……確かにこのような事差し出がましい事であった。だがこの気持ちに嘘偽りなく、故に強い衝動に駆られたせいだ。許して欲しい」
「そもそも魔族の人が冒険者に花をプレゼントする行為自体に無理があると思います。私達、本来敵同士ですよね」
アヤネの言葉に周囲のPL達が慌て始める。
言っている事は最もだが、この状況では相手を刺激しないよう話を逸らしたり濁したりするのが普通だ。
だからと言って、今ここで他のPLが割って入れば余計にルキフグスを刺激しかねない。何故なら、彼の魔族の意中はアヤネただ一人なのだから。
「確かに我らは敵同士だがこの胸の高鳴りは本物だ。どうか信じて欲しい」
「なら、誠意を見せてください」
「誠意……?」
「そうです。古来から殿方が女性に何らかの思いを伝える際には贈り物をするのが習わしです。口で言うのは簡単、ですが品を用意するのに要した労力を見せる事で相手をどれほど思っているのか証明する為です」
「成る程。しかし、私のこの気持ちを表す程になると一体何を送ればいいのか…………。この想い、黄雷の宝玉が百あっても足りない」
アイテムらしき名前が出、数人のPLが掲示板の検索と<見識>による見聞きした情報でアイテムなどの情報を得るスキルでルキフグスが口にしたアイテムについて調べ始める。
直後、レアリティの高さと価格に僅かな騒ぎが起きる。ヘキサに至っては――これだけあれば市場を制圧できる、とマズい方向に思考が働こうとしていた。
「なら、私から案が。それを持ってくれば他の冒険者の皆さんも貴方の事を認めるでしょうし、私も交友を持って良いと思います」
「歌姫からの要望だと云うのなら、叶えぬ訳がない。それがどんな難関であろうとこのルキフグス、果たして魅せましょう。それが私の貴女に捧げる愛だ!」
「なら魔王を倒してきて下さい」
――――――。
音が、消えた。
PL、NPC問わず動きが止まった。
策敵範囲外の事は無関心なフィールドモンスター達さえも動きを止めたような気がした。
最高峰の物理演算処理によって現実同様に風に吹かれ靡き揺れていた草花も時を止めた。
自由気ままな風や雲も固まった。
何もかもが止まった。
全てが停止した。
「い、今、なんと…………?」
最下層の氷地獄の方がまだ賑やかな空間の中、ルキフグスが唇を震わせながら問い返す。
「魔王の首級を持ってきてください」
しかし、歌姫は何ら変わる事の無い口調で繰り返した。
「この私に、雷の魔王ルシフエルの息子であるこの私に魔王の首を取ってこい、と…………?」
ルキフグスの肩が小刻みに揺れて、彼の口から息の漏れるような声が発せられる。
「はい。私は魔王の首を望みます」
周囲が止める暇も無かった。
「フ、フフ――」
魔族が笑え声を漏らす。口の端がつり上がり、紫水晶の瞳には強い光が宿り始めた。
誰もが危険だと直感し、各々が行動に移す。その瞬間――
「――フ、フフッ、フハハハハハハッ!」
ルキフグスが顔を上げて大きく笑い始め、同じくして突然彼の周囲に雷が落ちた。
彼の笑い声に合わせるかのようにいつの間にやら日の光を隠す程の雷雲が空に現れており、そこから何条の紫電が落下してくる。
「うおっ!?」
「きゃあっ!?」
ルキフグスとアヤネの間に割って入ろうとしたPL達が降り注ぐ雷に行く手を阻まれる。直撃した者はいなかったが、掠っただけで大ダメージを受けた事にPL達が驚愕と危機感、緊張を感じる。
「ハハハハハハッ、クッ、ハ、フハハハハハハハハーーッ!」
「………………」
――怒らせてはいけない相手を怒らせた。
誰もが思い、背筋に凍るような錯覚に襲われる。だが、それも長くは続かなかった。
「ハハハハハハッ……ク、ククッ――――素晴らしいぞ!!」
「…………はぁ?」
彼の顔は怒りではなく歓喜に満ちていた。また、まるで天恵を得たと言わんばかりの晴れやかさに満ちて瞳が爛々と輝いている。
「感服した。貴女に感謝を、そして謝罪を。どうやら私は貴女のことを過小評価してしまっていたようだ。そう、そうだとも! 私は魔王ルシフエルの息子で次期後継だ。だが、だがしかし! いずれ転がり込むであろう玉座をそのまま受け取ってしまっていいのか? 否ッ! いいわけが無い!」
変わらず片手に花束を持ったままで、もう片方の手で力強い握り拳を作ったルキフグスの背後に極太の紫電が落ちる。
「気高き魔族の将として、力以てその玉座を奪い取る! 父をこの手で倒し超えてこそ私は王に成れるのだ!」
時折降り落ちる落雷に周囲のPLが逃げつつも、珍妙な生物でも発見したかのような微妙な視線を熱弁する魔族に向けた。
「それに気づかせてくれた貴女はなんて素晴らしいのだろう。このルキフグス、二度も電流が奔る経験をした」
「さっきから垂れ流しだろ早漏やろ――むむっ!?」
再びアヤネの前に跪いたルキフグスの後ろで、空気の読めない女PLが素早く拘束されて引きずられていく。
「一度目は貴女の姿を見つけた時。そして二度目は貴女の言葉を聞いた時だ。歌姫よ――いや、天啓を下さった女神よ! 私はここに誓おう。必ず、必ずや魔王ルシフエルの首を貴女に捧げるとッ!」
宣言と同時に花束を丁寧にアヤネの足下に置くと、ルキフグスは蝙蝠の羽を大きく広げる。
「それでは名残惜しいが私はこれで失礼させていただきます。さっそく父を倒す計画を練らなくては!」
楽しそうに笑え声を残し、ルキフグスは羽を使い宙に浮かび上がると同時に現れた時同様、雷光携えてその場から一瞬で空の彼方に向かい消えていった。
「………………」
魔族の幻影を追うかのように、その場に残ったPL達が宇宙船でも発見した童のように、先の雷雲から晴れ渡った青い空を見上げる。
「あの人、何しに来たんでしょうか?」
「さ、さあ?」
アヤネが本気で不思議そうに呟いた。
「私、空気だったなー……。ところでアヤネさん、この花束はどうしますか?」
「放って置けば自動消滅するでしょう」
結局触れる事もなく、足下に置かれた花束に見向きもしないでアヤネは<ユンクティオ>のメンバーへと振り返る。
「なんだかおかしな事になりましたね。今日はもう、狩りは中止ですね」
「………………」
PL達が唖然と視線を向ける中で、彼女はついさっきの出来事など意に介していないようにいつも通りの微笑を携え、そこから歩きだす。
「………………」
仲間達は何も言えず、歌姫の背中を見送るしかできなかった。
これ以降、アヤネに告白紛いの事をするPLの数は激減したという。同時に、一体の魔族の姿が彼女の周辺でよく目撃されるようになり、それはアヤネが突如として<ユンクティオ>から離れるまで続いた。
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