タルトと、四人の午後 前編
タルトというものを、城は甘く見ていた。
茉莉に「次はタルト」と言われた翌日、城は父のレシピノートを開いた。
タルト・オ・フレーズ(苺タルト)
——タルト生地——
薄力粉 200g
バター 100g
粉砂糖 60g
卵黄 1個 塩 ひとつまみ
——カスタードクリーム——
牛乳 250ml
卵黄 3個
砂糖 60g 薄力粉
大さじ2 バター 15g
バターと粉砂糖を白っぽくなるまで混ぜ、卵黄を加える。
薄力粉を加えてひとまとめにし、冷蔵庫で休ませる。
型に敷いてフォークで穴を開け、重しをのせて焼く。
城はいつものように三回読んだ。
プリンよりは複雑だが、手順は明確だ。
材料を正確に計量して、書いてある通りにやれば——
ふと、茉莉の言葉を思い出した。
書いてある通りにやっても、行間が読めなければ駄目なんです。
城は少し考えた。
何が罠か、先に考える。
プリンの時は「溶く」の意味を取り違えた。
今回は——
(バターと粉砂糖を「白っぽくなるまで混ぜる」。白っぽくなるまで、が曖昧だ。プリンの時と同じ匂いがする)
しかし考えるだけでは分からない。
やはり、やってみるしかなかった。
◆
一回目の挑戦。
バターを冷蔵庫から出して、すぐに混ぜ始めた。
固く、泡立て器が全く通らない。
力を込めると、バターが塊のまま跳ね回る。
城は五分間、全力で混ぜた。
もちろん白っぽくはならならず、ただの黄色い塊が、ボウルの中でぐったりしていた。
そこで、薄力粉を加えてひとまとめにしようとしたがぼろぼろと崩れて、まとまらなかった。
城は諦めずに、生地をラップに包んで冷蔵庫に入れた。
三十分後に取り出して型に敷こうとしたら、見事に割れた。
綺麗に、三つに。
城は割れた欠片を見た。
(バターの問題だ。おそらく)
それだけは分かった。
ただなぜバターが問題なのかは、すぐには分からなかった。
二回目の挑戦、
今度はバターを常温に戻してから使った。
触ってみて柔らかければいいはずだ。
一時間置いたバターは指が沈むくらい柔らかくなっていた。
今度は混ざっえ白っぽくなった。
すかさず卵黄を加えた。薄力粉を加えた。
よし、まとまった。
城は少し安堵した。
ラップに包んで冷蔵庫で三十分。
取り出して型に敷く。今度は崩れなかった。
そしてフォークで穴を開け、重しをのせて、百八十度のオーブンで二十分待つ。
焼き上がった生地を見た。
今度は縮んでいた。
型より明らかに小さい。
端が反り返っていて、全体的にがっしりと固い。
城は生地を指で押すと、かちかちだった。
(……何が違う)
三回目に差し掛かろうとしたところで、勝手口のベルが鳴った。
◆
「城さん、今日タルト——」
入ってきた茉莉が、厨房を見て固まった。
ボウルが三つ。打ち粉が散らばったカウンター。型が二つ、どちらも惨状だ。
「……これ何回やりましたか?」
「二回だ」
「どっちも失敗した顔をしてますね‥」
「よく分かったな、どっちも失敗した」
茉莉がエプロンをつけながら近づいてくる。
二つの型を交互に見る。最初の割れた欠片と、二回目の縮んだ生地。
少し考えて、城を見た。
「‥バター、いつ出しましたか」
「一回目は冷蔵庫から出してすぐ。二回目は一時間常温に置いた」
「一時間‥」茉莉が眉をひそめた。
「季節と室温によりますけど、今の時期に一時間は長すぎます。
バターが柔らかくなりすぎると、生地に油分が出すぎて焼いた時に縮むんです」
「……適切な柔らかさがあるのか」
「あります」茉莉が自分の指を立てた。
「指で押して、すっと沈む程度。跡がつくくらいがベストです。溶けそうになってたら駄目です」
城は、それを聞いて少し目を細めた。
(基準は数字ではなく、感覚か。温度管理と同じだ。正確な数字より、状態を見る目が要る)
「あとタルト生地は、混ぜすぎも駄目なんです」茉莉が続ける。
「練ってしまうとグルテンが出て、焼いた時に固くなる。粉を加えたら、さっくり切るように混ぜて、まとまったらすぐ止める」
「……プリンの逆だな」
「そうです。プリンは混ぜすぎ駄目、タルトは混ぜすぎ駄目だけど理由が全然違う」
城はそれをノートに書き留めた。
茉莉がそれを横目で見て、かすかに口元を和らげた。
ほんの一瞬だったので、城は気づかなかった。
◆
三回目の挑戦。
バターを三十分常温に置いた。
指で押して、すっと沈む程度。
城はそれを確かめてから混ぜ始めた。
白っぽくなるまで、だが混ぜすぎない。
薄力粉を加えたら、切るように混ぜる。
城の手が、慎重に動く。
まとまった瞬間、止めた。
「それでいいです」
茉莉の声。城の真横にいた。
近いな、と思ったが言わなかった。
生地をラップで包む。冷蔵庫で三十分。
待っている間、茉莉がカスタードクリームを仕込み始めた。
「これは今日は私がやりますね、城さんは生地だけで手一杯のはずなので」
「助かる」
「別に気を遣ったわけじゃないです。効率の問題です」
城は黙って冷蔵庫を見ていた。
茉莉が牛乳を鍋に入れながら、ふと言った。
「城さん、メモ取る習慣あるんですね」
「仕事の習慣だ」
「前の仕事、ですか?」
「‥そうだ」
茉莉がかき混ぜる手を止めなかった。
「……聞かないですよ、約束通り」
「約束した覚えはないが」
「私が勝手に決めたんです」
城は少し考えた。
「……好きにしてくれ」
そこに、店の扉のベルが鳴った。




