最終話 元暗殺者はパティシエに成る
披露宴会場の重厚な扉が開かれた瞬間、溢れ出したのは眩いばかりの光と、祝福の拍手だった。
城は、純白のコックコートの襟を一度だけ正し、ゆっくりとワゴンを押し進めた。その上に鎮座しているのは、一ヶ月の修練と、先ほどの「静かな防衛戦」を潜り抜けた、三段のウェディングケーキだ。
「……うわぁ、すごい……」
「綺麗……」
参列者たちの間から、感嘆の溜息が漏れる。 純白の生クリームで覆われたケーキは、窓から差し込む春の午後の陽光を浴びて、真珠のような光沢を放っていた。
城が深夜に幾度も練習し、指先の感覚を研ぎ澄ませて絞り出した白い薔薇たちは、まるで今朝の朝露を吸ったかのように瑞々しく、咲き誇っている。
高砂の席で、照と朱里が立ち上がった。
照は、ケーキを目にした瞬間、言葉を失っていた。
彼は城がどんな想いでこの一ヶ月を過ごしてきたかを知っている。
不器用で、感情を出すのが苦手で、それでも誰よりも「誠実」であろうとする親友の生き様が、そのケーキの隅々にまで宿っていることを悟ったのだ。
「……城。お前、本当に……」 照の声がわずかに震える。
「新郎新婦、ケーキ入刀です!」
司会者の明るい声が響く。
照と朱里が一本のナイフを手に取り、城が丹精込めて焼き上げたスポンジへと、ゆっくりと刃を入れた。
城は少し離れた壁際でその光景を静かに見守っていた。
かつて、自分が指をかけるのは銃のトリガーだけだった。
誰かの命を奪い、闇に消えるための指。
だが今、自分の作ったお菓子に、誰かが幸せそうな笑顔でナイフを入れている。
その瞬間、城の脳裏には、亡き父が厨房で小麦粉まみれになって笑っていた姿が、鮮明に蘇っていた。
(……親父。この光を……守りたかったんだな)
披露宴の後半、カットされたケーキが参列者一人ひとりの元へ運ばれていった。
城は、会場の片隅で、自分の作ったケーキを口にする人々を眺めていた。
「……美味しい。すごく、優しい味がする」
「甘すぎなくて、なんだか……懐かしい味がするね」
そんな声が聞こえてくる。
隣にいた茉莉が、自分の分を一口食べてから、少し驚いたように城を見た。
「城さん……これ、レシピ変えました? 私が教えたのより、ずっと『深い』ですよ」
「……隠し味に、少しだけオレンジの皮を摺り下ろした。……照が昔、親父の店のマドレーヌが好きだったのを思い出してな」
「……ふん。師匠に内緒でアレンジだなんて、百年早いんですよ。……でも、最高の出来です」
茉莉はそう言って、少しだけ瞳を潤ませながら、自分の「教え子」の横顔を誇らしげに見つめた。
宴が終わり、参列者たちが去っていく中、城は一人で片付けをしていた。
そこへ、タキシード姿の照が駆け寄ってきた。
「城! 待てよ、帰る前に一言言わせてくれ!」
照の顔は、お酒と感動で赤くなっていた。
彼は城の肩をガシッと掴むと、真っ直ぐにその目を見た。
「最高だったぞ、あのケーキ。……朱里も、お義父さんも、みんな泣いて喜んでた。……城、お前、本当に帰ってきたんだな」
「……大袈裟だ、照。ただのケーキだ」
「違うよ! お前の手は、昔から魔法の手だったんだ。泥団子作らせても、模型作らせても、お前が一番器用だった。……俺は、ずっと悔しかったんだよ。そんなお前の手が、どこの誰とも知れない奴らのために汚されてるんじゃないかって、勝手に心配して……」
照の声が詰まる。 城は、その温かな手の重みを感じながら、目を伏せた。
「……汚れていないとは、言えない。俺の歩いてきた道は、決して白くはない」
「そんなの関係ねえよ!」
照が叫ぶ。
「今日、あのケーキを食べた全員が笑ってた。お前が作った甘さが、みんなの明日への力になったんだ。……過去がどうであれ、今のお前は、俺の誇れる親友で、最高のパティシエだ。……おかえり、城」
その言葉が、城の胸の奥に、長い間凍りついていた何かに触れた。
暗殺者と生きてきた過去。
自分には幸福になる資格などないと思っていた。だが、親友が、師匠が、そしてあの子が、今の自分を「城」として受け入れてくれている。
「……ああ。……ただいま、照」
城の唇から、微かな、だが確かな笑みが漏れた。
翌朝。
港町は、いつも通りの穏やかな朝を迎えていた。
波の音。カモメの鳴き声。
そして、パティスリー「シロ」の煙突から立ち上る、バターとバニラの甘い香り。
城は、いつものように白いエプロンを締め、オーブンの前でタイマーを確認していた。
入り口のベルが鳴り、元気な足音が響く。
「城さーん! おはよー! 今日はクロワッサン焼けてる?」
柚子がランドセルを放り出し、カウンターに飛びついてくる。
「……ああ、あと三分で焼き上がる。熱いから気をつけろ」
「もう! 柚子さん、またつまみ食いですか? 城さんも甘やかしすぎです!」
遅れて入ってきた茉莉が、肩を怒らせながらも、その手には「昨日のお返し」と言わんばかりの新しいレシピノートを抱えていた。
「さあ、城さん! 今日からまた修行ですよ。ウェディングケーキが成功したからって、調子に乗らないでくださいね。次は、季節限定のフルーツタルト……最高難易度のやつをやりますから!」
「……望むところだ、師匠」
城は、窓から差し込む眩しい朝日を浴びながら、力強く麺棒を握った。
もう、その手は震えていない。
誰かを殺めるためではなく、誰かの日常を少しだけ甘くするために。
引退した暗殺者が辿り着いた、終着駅であり、始発駅。
パティスリー「シロ」の物語は、今日も甘い香りと共に、新しいページを刻んでいく。
ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。
記念に評価してもらえると嬉しいです。
さて、『S級暗殺者、パティシエになる ースイーツのスの字も知らない男の奮闘記ー』は、本話をもってひとまず終幕となります。
彼らの物語自体は、この先もきっと続いていきます。ですが、それをすべて描き切ることが必ずしも“良い形”とは限らないと考え、今回このような区切りで幕を下ろすことにしました。
未熟だった男が、甘くて不器用な世界の中で少しずつ変わっていく――そんな過程を、ここまで見届けていただけたことを、とても嬉しく思っています。
ここまで読んでくださった皆様、評価をくださった皆様、本当にありがとうございました。
もしまたどこかで、彼らの続きを描くことがあれば、その時は再びお付き合いいただければ嬉しいです。
(好評だったら続き書くかも‥)
また、他にも作品多数執筆しておりますので、ご興味ある方は是非ご覧下さい。
それでは、また次の物語でお会いしましょう。
ではまた。




