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S級暗殺者、パティシエになる ースイーツのスの字も知らない男の奮闘記ー  作者: 仁科異邦


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15/16

後片付け

教会の裏手、海を見下ろす断崖に設えられたローズガーデン。  

そこには春の潮騒が混じり合う、この世で最も平和な時間が流れていた。


城は、純白のウェディングケーキを無事に厨房の冷蔵庫へと納めると、一度だけ深く、肺の奥まで潮風を吸い込んだ。

隣では、大仕事を終えた安堵感からか、茉莉が「ふぅ……」と大きく肩の力を抜いている。


「城さん、お疲れ様。あとは披露宴の開始を待つだけですね」

「……ああ。だが茉莉、少しだけ気になることがある。お前は柚子と一緒に、先に親族控室へ行っていてくれ。照に顔を見せてやれ」


「え? 城さんは?」

「……少し、換気扇の調子を見てくる。潮風で錆びているかもしれないからな」

城は嘘をついた。茉莉は不審げな目を向けたが、城のあまりに無表情な、しかし確固たる意志を感じさせる瞳に気圧され、「分かりました。サボっちゃダメですよ」と釘を刺して去っていった。


一人残された城の瞳から、パティシエとしての柔らかな光が消えた。  

彼はエプロンのポケットに手を入れ、そこにある「商売道具」の感触を確かめる。

「……さて、不純物の混入は、レシピの崩壊を招くからな」


城は音もなく歩き出した。

向かうのは、教会の敷地の隅にある、古びた資材置き場。

そこは、華やかな表舞台からは死角となる、影の溜まり場だった。


資材置き場の陰には、四人の男たちが潜んでいた。  

一ヶ月前、ジルバニア・ハインリッヒが失敗したという情報は、裏社会の「掃除屋」たちの間で密かに、だが確実に広まっていた。

伝説の暗殺者『サイレント・キリング』。その首にかかった懸賞金と、彼の生存がもたらす恐怖。

男たちは、城が最も「無防備」になるであろう、この祝いの席を狙って現れたのだ。

「……おい、本当にこっちに来るのか?」  

一人の男が、ナイフの柄を握り直しながら囁いた。

「ああ。さっきのバンを運転していたのは、間違いなく奴だ。ケーキなんてふざけたもんを運んでやがった。腕が鈍ってなきゃいいがな」


男たちがニヤついた瞬間、背後から冷徹な声が降ってきた。

「……腕が鈍っているかどうか、お前たちの体で試してみるか?」


四人が一斉に振り返る。

そこには無造作に立つ城の姿があった。

「てめぇ……! 一人で来るとは、いい度胸だ!」


男たちが武器を抜く。銃火器はない。

この神聖な場所で発砲すれば、警察を呼ぶことになる。

彼らが手にしたのは、軍用のコンバットナイフ、そして伸縮式の特殊警棒だった。


対する城は、腰のベルトに差していた「ある物」を二つ、静かに引き抜いた。  

それは、重厚なステンレス製の大型麺棒。

そして、予備として丸めて持ってきた、厚手のシルパット(シリコン製製菓マット)だった。

「……麺棒だと? 舐めやがって!」


一人が咆哮と共に、ナイフを城の喉元へと突き出した。  

城の動きは、最小限だった。

彼は一歩も引かず、逆に半歩だけ前へ踏み出す。

突き出された男の腕の外側に、左手のシルパットを鞭のようにしならせて叩きつけた。


「パチィィィンッ!!」

凄まじい衝撃音が響く。  

シリコン特有の柔軟性と粘りが、男の手首に巻き付き、神経を一瞬で麻痺させる。

男が苦悶の声を上げる間もなく、城は右手のステンレス麺棒を最短距離で振り抜いた。


麺棒の先端が、男の顎に正確にめり込む。

硬質な金属の衝撃が脳を揺らし、男は糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちた。


「一人目。……生地を練るには、まず表面のゴミを払わなければならない」

城の声は、レシピを読み上げるかのように淡々としていた。  

それを見た二人目と三人目が、左右から同時に襲いかかる。

一人は警棒を頭上に振り上げ、もう一人はナイフを逆手に持って城の脇腹を狙う。


城は麺棒を垂直に立て、警棒の一撃を側面で受け流した。

その衝撃を力に変えるように、城は独楽のように体を回転させた。

「……テンパリング(温度調整)が甘いな」

回転の遠心力を乗せたシルパットが、ナイフを構えた男の顔面を真っ向から捉えた。


シリコンの面で強打された男の鼻腔から鮮血が吹き飛ぶ。怯んだ隙を逃さず、城は麺棒の端で男の溝尾を深く突き刺した。

「ガハッ……!」

息を吐き出す暇も与えず、城は返しの動作で、警棒の男の膝の皿を麺棒で粉砕した。  

男が悲鳴を上げて膝を突く。


城はその肩を冷酷に踏み台にし、最後の一人——リーダー格の男の目の前へと着地した。


リーダー格の男は、震える手でナイフを構え直した。  

彼は見てしまった。

自分の仲間たちが、お菓子作りの道具で、まるで粘土細工のように無残に打ちのめされる様を。


「くるな……! くるなよ! お前、本当にあの『サイレント・キリング』なのか!? なんでこんな……ケーキ屋なんてやってやがる!」


「……理由は単純だ。お前たちの血をすするよりも、バターの香りを嗅いでいる方が、寝つきがいい」

男が自暴自棄にナイフを振り回す。  

城はそれを見極めるように、あえて静止した。

ナイフの切っ先が城のコックコートをかすめようとした瞬間、城の左手が電光石火の速さで男の手首を掴んだ。


そのまま、丸めたシルパットを男の口の中にねじ込み、叫び声を封じる。  


城は男の腕を背後に捻り上げ、ステンレス麺棒をその首筋に押し当てた。

「……お前たちは、招待客ではない。ましてや、食材ですらない。……ただの、廃棄物だ‥分かるな?」


城は麺棒に静かに体重をかけた。  

男の意識が遠のき、白目を剥いて地面に沈むまで、城の表情に揺らぎは一切なかった。


四人の男たちが、物言わぬ肉塊となって資材置き場に転がっている。  

城はシルパットを広げ、そこについたわずかな汚れを、予備のアルコールスプレーで丁寧に拭き取った。ステンレス麺棒も同様だ。

ふと、チャペルから大きな拍手が聞こえてきた。  

どうやら式が始まるらしい。


「……時間か」

城は教会の水道で入念に手を洗った。

指先の一本一本、爪の間まで、殺しの残り香を消し去るように。  


鏡に映る自分を見る。

返り血の一滴すら汚すことは許さなかった。

城はエプロンを締め、髪を整えた。  

先ほどまでの死神の気配は、霧が晴れるように消え去っていた。


厨房に戻ると、そこには慌ただしく準備を進める茉莉と、つまみ食いをしようとして茉莉に怒られている柚子の姿があった。


「あ、城さん! 遅いですよ! もうすぐメインのケーキ入刀です、準備して!」

「……ああ。今、最高の状態で仕上げる」

城は、冷蔵庫からあの三段のウェディングケーキを引き出した。  

数分前まで男たちの骨を砕いていたその手は、今、世界で最も繊細な愛おしさを持って、ケーキの台車を押し進めていく。


光溢れる披露宴会場の扉が開く。  

そこには、幸せの絶頂にいる照と朱里が待っていた。


城は、自分が守り抜いた「聖域」へと、一歩を踏み出した。


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