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S級暗殺者、パティシエになる ースイーツのスの字も知らない男の奮闘記ー  作者: 仁科異邦


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救出時々、エクレア

その日、パティスリー「シロ」の空気は、朝からどこか重く沈んでいた。  

カウンターには、茉莉が柚子のために試作を重ねた「特別なエクレア」が並んでいる。


だが、約束の午後二時を過ぎても、柚子がその扉を開けることはなかった。

「……遅いですね。柚子さん、こういう約束は絶対に破らない人なのに」  

茉莉が不安そうに外を見る。

城は無言でカウンターを拭いていたが、その手は数分前に止まっていた。  


城の脳内では、かつての「戦場での直感」が警報を鳴らしている。    

カラン、と乾いた音を立てて扉が開いた。  

入ってきたのは、血相を変えたアルバだった。その白いコートには、かすかにすすの匂いが付着している。


「城、すぐに店を閉めて。……奴が来たわ」

「……誰のことだ」


「ジルバニア・ハインリッヒ。覚えているでしょう? 七年前のケルンの一件で、あなたが右腕を奪った男よ」

城の動きが完全に止まった。  

ジルバニア。

かつて欧州の裏社会を恐怖で支配しようとした、残忍極まりない傭兵崩れの男。

城が引退したという噂を聞きつけ、積年の恨みを晴らすべく日本へ入国したのだ。


「柚子を、連れて行かれたわ。私の追跡を振り切って……あの子を人質にするつもりよ。あなたを『かつての姿』に引きずり戻すために」

茉莉が息を呑む。  

城はゆっくりとエプロンの紐を解いた。

その動作には、先ほどまでのパティシエとしての柔らかさは微塵もない。


「茉莉。裏の鍵を閉めて、二階へ行っていろ」 「じ、城さん? 何を……」

「柚子を連れて帰る。それだけだ」

城の瞳から光が消え、底の見えない闇のような「暗殺者アサシン」の目が戻っていた。


場所は、海岸沿いの寂れた造船所跡。  

鉄錆の匂いが充満する中、柚子は椅子に縛り付けられていた。

目の前には、右腕が精巧な義手となった大男——ジルバニア・ハインリッヒが、嗜虐的な笑みを浮かべて立っている。


「来いよ、サイレント・キリング……。お前の『甘い生活』を、俺が地獄に変えてやる」


その瞬間、建物全体の電気が弾け飛んだ。  

完全な闇。  

ジルバニアの部下たちが一斉に銃を構えるが、彼らは気づいていない。  

城にとって、この闇は「厨房」よりも慣れ親しんだ主戦場であることを。

シュッ、という小さな風切り音。  

一人の部下が、声を上げる間もなく崩れ落ちた。

首筋には、城が店から持ち出した

「細工用のペティナイフ」が深々と突き刺さっている。


「どこだ! 出てこい!」  

ジルバニアが吼え、銃火器が火を吹く。

だが、城の姿はそこにはない。  

城は呼吸を一分に四回まで落とし、機械的な正確さで闇の中を滑る。


二人目。

背後から顎を固定され、一瞬で頸椎を折られた。  

三人目。

暗視ゴーグルを装着しようとした瞬間、そのレンズごと目に金属製の「温度計」が突き立てられた。

城の動きには無駄がない。  

それはお菓子作りの計量と同じだ。必要な箇所に、必要なだけの致死量を叩き込む。


「……ハインリッヒ。お前はレシピを間違えた」


闇の中から、城の声が響く。

どこから聞こえるのか判別不能な、死神の囁き。

「俺の店に、お前の居場所レシピはない」


ジルバニアが義手の隠し銃を乱射した瞬間、城が真上から舞い降りた。

「ガッ!」

という重い衝撃音。  

城の膝がジルバニアの首に食い込み、そのまま床に叩き伏せる。

城の手には、いつの間にか奪い取ったタクティカルナイフが握られていた。


ナイフの先が、ジルバニアの喉元、一ミリの場所で止まる。

「殺せ……! さあ、かつてのお前に戻って俺を殺せ!」  ジルバニアが狂ったように笑う。


だが、城の目は冷徹なままだった。

「……断る。俺はもう、死体の数で報酬を得る生き方は捨てた」

城はナイフを捨て、代わりに背後から柚子の縄を解いた。

震える柚子を抱きかかえ、一度も振り返ることなく出口へと歩き出す。

「……警察と組合の掃除屋を呼んである。お前の『再教育』は、彼らがやるだろう」


翌朝。  

パティスリー「シロ」の勝手口に、疲れ果てた様子の三人の姿があった。  

無傷の柚子を見て、茉莉は泣きながら駆け寄った。

「柚子さん! よかった……本当によかった……!」


「ごめんね、茉莉ちゃん。……でも、城さんが助けてくれたの。すごく、かっこよかったんだよ」

柚子はまだ少し震えていたが、城の顔を見て小さく微笑んだ。  

城は再び白いエプロンを身に着け、厨房のコンロに火をつけた。

「……城さん。その、手……」  

茉莉が城の拳を見た。

わずかに擦り傷がある。  


城はそれを隠すように、ボウルを手に取った。

「……ただの、仕込み中の怪我だ。気にするな」


「嘘ばっかり」  

茉莉が涙を拭き、城の隣に立つ。

「柚子さんのために、昨日作ったエクレア……出し直します。城さん、コーヒー淹れてください。最高に美味しいやつ」

「分かった」


カウンターには、再び平和な光が差し込む。  ジルバニアという「過去」を振り払った城だったが、彼の背中には、かつての冷酷な暗殺者とは違う、温かな「パティシエ」の影が宿っていた。


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