69話
「んぐ……んぐ……ッ! ぷはぁっ……! よこせ、次だ!」
「は、はいぃ……!」
死屍累々の森の中で奇妙な光景が繰り広げられていた。
血まみれのコートを纏った【処刑人】ゴア・シェルドーが貪るようにポーションをあおり続けている。
そして、傍らで涙目で次々と瓶を差し出しているのは──詐欺師のエルゾだった。
(なんで……なんで俺がこんな目に……!)
エルゾは内心で絶叫していた。
ポーションが入った袋を背負っていたせいで、このイカれた殺人鬼の専属給仕係になってしまったのだ。
「んぐ……がぁっ……!」
ゴアが乱暴に瓶を空にするたびに抉れた脇腹や肩の肉が、蒸気を上げながら強引に塞がっていく。
だが、ゴアの機嫌は治るどころか悪化していた。
パリンッ!!
飲み干した空き瓶が、エルゾの足元に投げ捨てられて砕け散る。
「チッ……! 効きが悪ぃな。所詮は安物のポーションか……!」
ゴアは忌々しげに吐き捨てた。 このような下級ポーションでは出力不足なのだ。
(ひぃぃ……文句言わなよ! 治ってるじゃねぇか!)
エルゾは恐怖で失禁しそうになりながらも、媚びへつらった笑顔を貼り付けて次の瓶を差し出す。
やがて──出血が止まったのを確認すると、ゴアはゆらりと立ち上がった。
ゴキッ、ゴキリ……。
首を鳴らす音が静まり返った森に不気味に響く。
まだ完治とは程遠い。顔色は悪いままだ。 だが、その身から放たれる殺気は先ほどよりも鋭く濃密になっていた。
「さて……」
ゴアが周囲を見渡し、生き残って震えている冒険者たちに視線を走らせた。
「次は『武器』が必要だな……」
その言葉を聞いた瞬間、冒険者たちの間に新たな戦慄が走った。
「あ……」
彼らは今更ながらに理解したのだ。
さっきまでの惨劇。 オークロードの首を刎ね、数多の冒険者を肉塊に変えたあの殺戮劇。
それをこの男は──武器すら持たず、素手だけでやってのけたのだという事実を。
(ば、化け物だ……!)
武器を持たない手負いの状態でさえ、上位種を殺せる男。
その男が今、万全とは言わずとも回復し、さらに武器を求めている。
それが何を意味するか、理解できないほど馬鹿な者はここにはいなかった。
ゴアは生き残った冒険者たちの列をゆっくりと歩いた。
品定めをするような冷徹な視線が、彼らの腰にある武器を舐めるように滑っていく。
「ゴミ……屑鉄……なまくら……」
手近な冒険者から剣を奪い取り、切っ先を一瞥しては放り捨てる。
地面に落ちる音が響くたび冒険者たちはビクついたが、誰一人として文句を言う者はいない。
ゴアが元々愛用していた特注の[処刑人の針]に比べれば、この場にある武器など全て玩具にも等しい代物ばかりだ。
そんな中──。
「……ん?」
ゴアの足が止まった。
視線の先には、他の有象無象とは違い未だに殺気を失っていない一人の男がいた。
『疾風剣』のファラーゾだ。
「ほう……少しはまともな剣を持ってるじゃないか」
ゴアはファラーゾが握りしめている愛剣──ミスリル銀で強化された片手剣を見下ろし、口の端を歪めた。
「雑魚の分際で、生意気な」
「ッ……! テメェ、ふざけ──」
ファラーゾのこめかみに青筋が浮かぶ。
Cランク上位のプライドが、目の前の男の傲慢さを許さなかった。 彼は瞬時に抜刀の構えを取り、得意の神速で斬りかかろうとし──
ヒュンッ。
風が鳴いた。
「──な?」
ファラーゾの視界が、ぐるりと回転した。
空が見える。地面が見える。
そして──首から鮮血を噴き上げて立ち尽くす、自分自身の胴体が見えた。
ドサッ……。
ゴアの手刀。 それだけだ。
強化された手刀による一閃は、鋼鉄の剣を抜くよりも速くファラーゾの首を両断していた。
冒険者たちが悲鳴すら上げられず、凍りつく。 Cランク上位の実力者が一瞬で殺されたのだ。
「……フン」
ゴアは倒れ込むファラーゾの手から剣をもぎ取ると、軽く振って血糊を払った。
「使い捨ての剣としては、及第点か」
ゆらりと振り返る。
怪物が放つ殺気に射すくめられ、兄妹も老人も他の冒険者たちも金縛りにあったように動けない。
「テメェらは殺さないでやる」
ゴアが慈悲深げに、けれど氷のように冷たく告げた。
「代わりに──俺の肉壁となって死ね」
逆らえば即死。従えば後の死。
選択肢などなかった。冒険者たちは首を縦に振るしかなかった。
隊列が再編される中、震えるニルシャが兄の袖を引いた。
「あ、兄貴……。ファラーゾのやつが、一瞬で……」
「あぁ……死んだな……」
エルゾは乾いた笑いを漏らすしかなかった。
「あの野郎から逃げ出す隙を窺ってたが……代わりにもっととんでもねぇ化け物に捕まっちまった」
前門の虎、後門の狼どころではない。
地獄から逃げたら、そこはもっと深い奈落の底だったのだ。
その時、二人の背後で老人が荷物を担ぎ直しながら呟いた。
「ま、なるようになれじゃあ。どうせ人はいつか死ぬもんじゃし前向きに行こうわい」
「アンタ、ボケてるのか豪胆なのかどっちなんだよ」
この期に及んでマイペースを崩さない老人に、兄妹は深く、重い溜息を吐いた。
「進めェ!!」
ゴアの号令が飛ぶ。
死兵となった冒険者たちの集団が、絶望的な足取りで再び歩き出す。
目指すは森の奥。 全てを飲み込む黒鉄の巨塔へ向かって──。
♢ ♢ ♢
バウォークの眼窩に宿る青い炎が森の奥から湧き出るそれを捉えた瞬間、俺の思考は真っ白に染まった。
「カッ……!!」
バウォークが[巨人の城壁盾]を構え、警告の顎音を鳴らす。
視界の先、森の緑を塗りつぶすように現れたのは──冒険者の大群だった。
先ほどウルフたちが蹴散らした烏合の衆とは数が違う。 五十、いや百近い武装した人間たちが雪崩のように[R]巨人の黒鉄門へと押し寄せてくる!
(嘘だろ!? まだいたのか!?)
ベルが言っていた「タクサン」というのは、このことだったのか。
いや、先遣隊が全滅した後に間髪入れずに本隊を投入してくるなんて指揮系統がまともじゃない。
だが、理由なんてどうでもいい。現実に敵は目の前にいるんだ!
(総員、配置につけ! 迎撃だ!)
俺は混乱する思考を無理やり叩き起こし、塔内に残る全戦力へ矢継ぎ早に命令を飛ばした。
([N]スケルトン・アーチャー! [N]ガーゴイル! お前たちは門の上だ! バウォークと共に門を死守しろ! 矢の雨を降らせろ!)
([N]ミノタウロス、[N]ゴーレム! お前たちは1階広間で待機! 門が突破された瞬間に叩き潰せ!)
([UC]コボルト部隊!上層階の罠を起動させろ! 絶対に上に行かせるな!)
塔全体が防衛モードへと切り替わる殺気で満たされていく。
だが──俺の最大の懸念は、1階の広間にいる彼女だった。
(リナ! 前は急いで16階へ戻るんだ!ここは戦場になる!)
俺は明滅する光で必死に訴えかけた。
リナは今や[ダンジョン・メイデン]にクラスチェンジし、魔法も使える。 だが、それでもまだLv.10の少女だ。
百戦錬磨の冒険者たちの殺意に晒されれば、ひとたまりもない。
「……嫌です」
しかし、リナは首を横に振った。
彼女は[UC]乙女の聖杖を胸に抱きしめ、真っ直ぐに扉を見つめている。
「私……みんなと一緒に戦います。後ろで隠れてるなんてできない!」
(馬鹿なことを言うな! お前はまだ弱いんだぞ!)
言葉は通じないはずだ。
だが、リナには俺の焦りが痛いほど伝わっているようだった。
彼女は一歩も引かず、むしろ強い意志を宿した瞳で俺を見返す。
「大丈夫です。私、神様に力を貰ったから。それに、私がいないとバウォークさんたちが傷ついた時に誰も治せない……!」
(くっ……!)
正論だ。今のこの塔で、即効性のある回復手段を持っているのはリナだけだ。
アンデットにヒールが効くかわからないけど……さっきスケルトンたちがリナのヒールを受けて気持ちよさそうにしてたからおそらくは効くはずだ。
彼女がいなければ前線はジリ貧になる。
だが、それでも──。
「お願いです、神様。私にも、みんなを守らせてください……!」
リナの悲痛な決意に俺の心が揺らぐ。
彼女はもう守られるだけのか弱い少女じゃない。
このダンジョンで共に生きる、一人の仲間としての覚悟を決めているのだ。
(……分かった)
俺は折れた。
これ以上問答している時間はない。敵はもう目の前だ。
(だが、約束しろ! 危なくなったらすぐに下がるんだ! リナだけじゃない、バウォークたちもだ! 死ぬまで戦うな、命を最優先にしろ!)
リナが力強く頷く。
彼女が振り返ると同時、外から轟音が響いた。
バウォークが守る黒鉄の門に、冒険者たちの第一波が激突したのだ。
「カッ!!」
開戦だ。
主力不在の防衛戦──総力戦が幕を開けた。




