55話
「帰らずの森」のほとりにある名もなき小さな寒村。
普段であれば、聞こえてくるのは小鳥のさえずりと、風が木々を揺らす音くらいのものだ。
かつて王国の騎士だったガインが村長を務め、静寂と平穏を守ってきた場所──のはずだった。
だが今、村はかつてない喧騒と熱気に包まれていた。
「おい、酒だ! 酒を持ってこい!」
「こっちの肉がまだ来てねえぞ!」
「空き部屋はねえのかよ! 金なら払うって言ってんだろ!」
独立都市フィーネッジから盗賊ジンの撒いた「未踏のダンジョン」という噂を聞きつけた冒険者たちが、堰を切ったように雪崩れ込んできたのだ。
村に一軒しかない宿屋はとっくに満員。
入りきれなかったあぶれ者たちは子供たちが遊ぶはずの村の広場に勝手にテントを張り、我が物顔で焚き火を焚いて即席のキャンプ地にしてしまっている。
欲望と汗、そして鉄と安酒の臭い。
静かな村は一夜にして、薄汚い鉄火場のような様相を呈していた。
「くそ……どうなっているんだ、一体」
村長のガインは広場を埋め尽くす武装集団を見渡し、苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てた。
病み上がりの身体には少し堪えるが休んでいる暇などない。
元騎士の鋭い眼光で、狼藉を働こうとする輩がいないか常に睨みを利かせているのだ。
そこへ娘のエリザが青ざめた顔で駆け寄ってくる。
「お父さん! またあっちでトラブルが!」
「くそっ……! またか!」
ガインは怒りと焦燥を滲ませて拳を握る。 冒険者たちは血の気が多く、少し肩がぶつかっただけで剣を抜きかねない。
ましてや村人への絡みも発生している。
「エリザ、行くぞ! これ以上村を荒らされてたまるか!」
「うん!」
エリザもまた、我が物顔で振る舞う彼らのマナーの悪さに辟易しながらも気丈に頷いた。
ガインとエリザは、怒号と喧騒が渦巻く村の中を風のように駆け抜けた。 どこもかしこも冒険者だらけだ。
だが、混沌を巧みに利用するハイエナたちもしっかりと紛れ込んでいた。
広場の隅、人だかりができている一角。
そこには、粗末な木箱を並べて声を張り上げるエルゾとニルシャの兄妹姿があった。
「さあさあ、寄ってらっしゃい! これさえあれば森の魔物もイチコロだ! 特製『対・魔狼用の猛毒粉』だよ!」
エルゾがもっともらしい小袋を掲げると、噂に怯えて不安げな顔をした駆け出しの冒険者たちが身を乗り出す。
(ま、中身はただの『古い小麦粉』だけどな。くくくっ、チョロいもんだ)
心の中で舌を出しながらエルゾは金貨を受け取る。
その横ではニルシャが愛くるしい笑顔を振りまいていた。
「こっちは『ゴブリン除けの聖水』だよー! これを持っていれば、ゴブリンなんて怖くないよー!」
(嘘だよさっき井戸で汲んだただの水だよ、ばーか!)
「くれ! 俺にもくれ!」
「俺もだ! 命には代えられねえ!」
藁にもすがる思いの冒険者たちが、次々と粗悪品を高値で掴まされていく。
「ちっ……ここは物売りの場所じゃないんだぞ」
「お父さん、取り合えずこっちが先!」
そんな混沌を横目にガインとエリザは歯噛みしながらも、更なる騒ぎの現場へと足を速めた。
「……!?」
ガインとエリザが人だかりを掻き分けて飛び込むと、そこには信じがたい光景があった。
村のマスコットとして子供たちに可愛がられていた[UC]アルケミー・スライムと、それを守るように抱きしめる村の子供がガタガタと震えていたのだ。
「へへっ、手始めだ! こいつを殺せば経験値になるぜ!」
「おいどけ!ガキ!殺せねぇじゃねぇか!」
功を焦った若い冒険者が唾を飛ばしながら剣を抜き放ち、今にも振り下ろそうとしていた。
「やめて! この子は悪いスライムじゃないの!」
「ぴぎぃ……(助けてぇ!)」
その時だった。
間一髪、エリザが子供とスライムの前に飛び出し両手を広げて立ちはだかる。
遅れてガインも割って入り、冒険者を睨みつけた。
「やめろ! 村の中で剣を抜くな!」
「乱暴はやめて! この子は……この子は子供たちの友達なの!」
エリザの悲痛な叫びに冒険者たちは手を止め、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「あぁ? 魔物と友達だぁ? 田舎ボケもいい加減にしろよ」
「どけよ姉ちゃん。そいつは『敵』だ。俺たちが駆除してやるって言ってんだよ」
聞く耳を持たない彼らにガインの空気が変わった。
かつて騎士として戦場を駆けた男の、本物の殺気が立ち昇る。
「貴様ら」
低く、地を這うような声。
ガインは腰の剣の柄に手をかけ、鋭い眼光で冒険者たちを射抜いた。
「剣を納めねば、この俺も剣を抜かせて貰うことになるが……どうする?」
「ッ……!?」
ただの村長ではない。 その身から放たれる異様な重圧を感じ取り、冒険者たちの顔色がサッと青ざめた。
彼らは脂汗を流しながら、怯えたように視線を逸らす。
「ち、ちっ……わかったよ」
「行こうぜ、こんなとこで消耗しても意味がねえ」
彼らは捨て台詞を吐きながら、渋々剣を収めて去っていった。
だが、ガインとエリザの苦難はまだまだ終わらない。
二人は頷き合うと、また新たな騒動の場所へと向かっていった。
村の喧騒を遠巻きに眺めていたエルゾとニルシャは、客足が止まったのをいいことに物陰で売上を数えながら休息をとっていた。
「はぁ、やだやだ。冒険者ってのはどうしてああも血の気が多いのかねぇ」
エルゾがジャラジャラと金貨を袋に詰め込みながら、呆れたように溜息を吐く。
自分たちが売ったインチキ商品で武装した連中が騒いでいるというのに、まるで他人事だ。
「何言ってんのさ兄貴。うちらも冒険者じゃん。一応」
「お? そうだったか? こりゃすっかり忘れてたぜ、ははは!!」
「まー、明日には冒険者一旦やめてるかもしれないけどねー。こんだけ稼げばさ」
二人がニタニタと笑い合っていると、ふいに薄汚い影が二人の前に落ちた。
「お若いの……さ、酒はないかのぅ……」
現れたのは、ボロ布を纏ったみすぼらしい老人だった。
どう見ても一文無しだ。
「あぁ? なんだい爺さん。金もないのにたかるんじゃないよ! シッシッ!」
ニルシャが露骨に嫌な顔をして手を振るが、エルゾはふと手元の革袋に目を落とし気まぐれにそれを差し出した。
「おい爺さん。売り物の酒はないけどよ……俺の飲みかけならやるよ」
「おぉ……! ありがたい、ありがたい……! 感謝しますじゃあ!」
老人は震える手で革袋を受け取ると、拝むようにしてフラフラと雑踏の中へ消えていった。
「へぇ、兄貴らしくないじゃん。他人に恵んでやるだなんて」
「おいおい、俺だって慈愛の心くらいあるさ。それに……」
エルゾはパンパンに膨らんだ金貨の袋をポンと放り上げ、下卑た笑みを浮かべた。
「これだけあれば、暫くは『いい酒』飲んで暮らせるからなぁ! あんな安酒、もういらねぇよ! わははは!!」
「あはは! 違いないね!」
詐欺師たちが勝利の高笑いを上げた、その時だった。
「た、助けてくれぇ!!」
「!?」
悲鳴。
演技でも嘘でもない、魂の底から絞り出された断末魔のような叫びが二人の笑い声をかき消した。
「……あ?」
村の入り口から泥と鮮血にまみれた数人の男たちが転がり込んでくる。
鎧はひしゃげ、武器は失い、顔は恐怖で歪みきっている。
「な……なんだ?」
あれは……先行した冒険者のようだ。
ガインもエリザも詐欺師兄妹も、そして広場にいた全ての冒険者たちの視線が凄惨な姿に釘付けになった。
一瞬にして、お祭り騒ぎのような熱気が凍りついた。




