21話
大河アムネジアを挟み魔族の領地と睨み合う最前線。
どこの王の支配も受けぬ傭兵と冒険者の独立都市──フィーネッジ。
この街は常に緊張に満ちている。
魔族の侵攻を阻む防壁であると同時に、危険な魔境から富を得ようとする者たちの坩堝でもある。
そのフィーネッジの心臓部、冒険者ギルドの奥。
ギルドマスターを務める隻眼の男──バルガスは机に叩きつけられた二通の報告書を前で深く頭を抱えていた。
「……」
報告書を持ってきた者たち。生き残った冒険者たちの顔はどちらも血の気を失い、恐怖に引きつっていた。
「……ゴブリンの巣だと思ったら、新しいダンジョンの可能性だと?」
バルガスはこめかみを揉みながら唸った。
事の発端は、数日前にとある商人から持ち込まれたありふれた依頼だった。
「森の奥にゴブリンの巣らしきものを見つけた。今のうちに掃討してくれ」
バルガスはこれを最も下位の「G級」案件とし、G級パーティ二組、『鋼の意志』と『双刃』を派遣した。森の浅部で相手はゴブリン。下位パーティたちの初仕事としては手頃なはずだった。
だが、その結果は悲惨なものだった。
『鋼の意志』は森で謎の狼の群れと交戦。
直後に現れたゴブリンの上位種の奇襲を受け、パーティの要である魔術師を失い、他の者も重傷を負って逃げ帰ってきた。
『双刃』は塔のような遺跡を発見。
内部で待ち受けていたのは統率の取れたゴブリン、スケルトンによる防衛網だった。
戦闘中に[N]ランクの魔物を召喚したり、進化させたりして狂戦士ダインを文字通り蹂躙したという。
死者二名。G級とはいえ二パーティが同時に壊滅的な被害を受けた。
ゴブリンの巣などではなかった。
組織化され、進化し、罠を張り、そして何より──凄まじい速度で成長している「何か」。
バルガスの脳裏に最悪の可能性が浮かび上がっていた。 フィーネッジの傍ら、禁忌の森にダンジョンが産まれたのだ。
ダンジョン──それは魔王軍に従う通常の魔物とは全く異なる災厄の源。
ダンジョン産の魔物は己がダンジョンを信奉する独自の生命体だ。だからこそ危険だった。
ダンジョンが成長し生み出された魔物が溢れて近隣の都市や村を蹂躙する「スタンピード」と呼ばれる事例が、これまでに何度も報告されている。
だが一方で、ダンジョンは莫大な富を生む存在であることも事実だった。
大抵のダンジョンにはこの世界の法則ではあり得ないような素材や古代の宝が配置されている。それを目当てに危険を承知でダンジョンに挑む冒険者は後を絶たない。
過去にはとある国が正規の軍勢を送り込んでダンジョンの富を確保しようとしたこともあった。
遥か大昔には強大なダンジョンに挑んだ英雄が、強力無比な神級の武具や道具を手に入れ世界を支配したという伝説すら残っている……。
「くそ……面倒なことになった」
だからこそバルガスは悩んでいた。
フィーネッジのすぐ傍に産まれたソレは、街を滅ぼしかねない危険な存在であることは確かだ。 だが、同時にこの独立都市に計り知れない価値をもたらす宝の山であるのも事実なのだ。
バルガスは逃げ帰ったG級冒険者たちの報告書を忌々しげに睨み続けた。
その時だった。ギルドマスター室の重い扉が、ノックもなしに静かに開かれた。
「バルガスよ。難しい顔をしておるのう」
入ってきたのは豪奢なドレスをまとった一人の少女だった。
床まで届く髪、尖った耳、そして幼い顔立ち。一見すると子供に見える。
だが独立都市フィーネッジにおいて彼女を子供扱いする者は誰もいない。
彼女こそが都市の長にして数千年を生きるエルフ──「フィーネ」その人であった。
「フィーネ様……厄介なモノが我々の庭先に産まれました」
バルガスは立ち上がり頭を垂れながら報告書を差し出した。
フィーネは小さな手でそれを受け取ると、子供が難しい本を読むように眉をひそめすぐに読み終えた。
「ふむ。G級が二組壊滅。死者二名。戦闘中に魔物を進化させ、[N]ランクを三体も召喚するダンジョン、か」
「ご明察の通り。ですが報告によれば、まだ産まれたてのダンジョン……危険が広がる前にAランク以上の混成パーティを編成し、早急にコアを破壊すべきかと」
バルガスの進言にフィーネは即座に首を横に振った。
「ダメじゃ!」
「……しかし」
「ダメなものはダメじゃ!バルガスよ、お主も分かっておろう。ダンジョンは災厄であると同時に富の源でもある。あれが育てばこのフィーネッジにどれだけの冒険者が集い、どれだけの金が落ちると思うておる? 上手く共存すれば素晴らしいことになるぞ」
「共存と仰いますが……」
バルガスは渋い顔を隠さない。
「報告では既に[N]オークや[N]センチピードが確認されております。あれらを制御するなど……」
「できぬわ。そんなことは分かっておる」
フィーネはあっさりと認めた。
二人とも理解している。ダンジョンは本質的に世界に仇名す危険な存在であり、人類との完全な共存や制御など不可能であることを。
フィーネは窓辺に歩み寄り、街の外……大河アムネジアの向こう岸を眺めた。そこにはフィーネッジと歴史的にずっと緊迫状態にある、もう一つの独立都市が存在する。
魔族が支配する黒鉄の魔砦都市──ザルドラ。
「あの森は、我らとザルドラのどちらの領地でもない曖昧な土地じゃ」
フィーネは静かに続けた。
「河を挟んで人間と魔物の領地は明確に分かれておるが、あの森だけは古来より緩衝地帯となってきた」
「……」
「今、我らが高ランクのパーティ……事実上の軍勢をあの森に送り込み、ダンジョン討伐などと大々的に動いてみよ。ザルドラの連中がどう思う?」
バルガスは言葉に詰まった。
「……我らが森を実効支配し、ザルドラへの橋頭堡を築こうとしている、と……そう勘違いし奴らを刺激することになりかねませぬか」
「左様。独立都市同士で戦争を始めるなど、本末転倒じゃろうが」
フィーネは溜息をつき、バルガスに向き直った。
「あのダンジョンを潰すのはならぬ。当面は監視のみ。ギルドも情報を制限せよ」
バルガスは都市の長の冷徹な計算高さに隻眼をわずかに細めた。
「ですがフィーネ様。あの森は、奥に行けば行くほど強力な魔物が跋扈する魔境。Cランク、Bランクの者たちも高額な素材を求めて魔物を狩りに訪れる場所ですぞ」
バルガスはギルドマスターとしての現実的な懸念を口にした。
「情報統制をしたところでいずれはダンジョンの存在はバレる。……いや、そもそもこの情報を持ってきたパーティが既に広めているかもしれない。高ランクの冒険者たちが殺到するのは時間の問題かと」
「うむ。まぁ、それならそれでよい」
フィーネは、バルガスの懸念をあっさりと受け流した。
「ダンジョンが都市内外に公になった時には──おそらく、河の向こうからザルドラの魔族の冒険者たちも大挙して押し寄せるじゃろう」
フィーネは未来が既に見えているかのようにこともなげに続けた。
「その時には、我らがダンジョンまでのルートと周囲を制圧。更にダンジョンそのものの利権を管理下に置いている。……そういう寸法よ」
フィーネはバルガスに背を向け再び窓の外……ザルドラの魔砦都市を睨みつける。
「──まぁ、ザルドラの奴らが独立都市の誇りを捨てて魔王軍に助けを求めるなら、ワシらも王国に援軍を要請すればいいだけのこと。ここら一帯は戦場になって焦土になるかもしれんがね」
その言葉には数千年を生きたエルフの、人間とは比べ物にならない時間軸で物事を見る冷徹さが含まれていた。
バルガスは自らの主の底知れぬ器の大きさと覚悟に押し黙るしかなかった。




