六話 秘密の約束
夜。
私は暗い顔でベットに腰掛けていた。
村の人の話によれば、サエコおばあちゃんは網の補修作業をした翌日から村を離れていて、しばらく帰ってこないのだそうだ。
「誰にも相談できない……」
おばあちゃんの帰りを待っていたいけど、いつになるかわからないし、
その間にサエコさんのような人を増やすわけにはいかない。
不安だったけど、岩場に向かうことにした。
夜風に冷えないように羽織を着込み、慎重に外に出る。
月が雲に隠れているせいで、足元がよく見えない。
それでも私はあの日と同じ場所に腰を下ろした。
目を凝らして水面を見たけれど、やっぱり彼は居なかった。
だけど、諦めることはできなかった。
「私がマーフォークを見たせいで唄が途切れて、事故が起こったんだから……」
ふと、マーフォークほど上手くはないけど唄を歌ってみようと思った。
もしかしたら来てくれるかもしれない。
「あの人、どうやって歌ってたっけ?」
毎晩耳にしていたはずなのに、いざ口ずさもうとすると音もリズムも曖昧だった。
波音に混じって、私の小さな声だけが岩場に響く。
何も起こらない。ただ、夜の潮風が頬を撫でるだけだ。
「……やっぱり来てくれるわけないよね」
帰ろうと立ち上がった時だった。
小さな水音が聞こえたかと思うと、あのマーフォークが水面から顔を覗かせる。
「あ……」
驚いて固まっている私に、彼は波音を立てずに静かに近づいてきた。
その顔は怒りや嫌悪ではなく、少し興味深そうに見える。
「今のは……君が歌ったのか?」
「ご、ごめんなさい!唄を歌わなくなったのは私のせいですよね!」
深々と頭を下げた。
マーフォークが息を呑むのがわかる。
――怒鳴られる?呆れられる?いや、それでも謝っただけ……
ドキドキしながらマーフォークの言葉を待った。
「……先に質問に答えてもらえるか?」
静かな低声が響く。しかし棘は籠もっていない。
思わず顔を上げると、淡い紫の双眼が私を見つめていた。
「え?」
――なんて言ってたっけ?確か……そうだ!唄を歌っていたかって聞かれたんだった
「はい……私が歌ってました。
あの、それで――」
「我等の唄とは似ても似つかぬ唄だった」
「へ……」
「しかし……どこか惹きつけるものがあった」
――酷くけなされたのは、気のせいだと思うことにしておこう
マーフォークは手を伸ばせば届きそうな位置まで泳いでくると、口を開く。
「私が唄を歌わなくなった理由だろう?君の言った通りだ」
「じゃあ、どうして今……」
「我等マーフォークは本来、人に姿を見られてはならない。
だが、今回は特例だ」
「特例?」
「君が、我等の声を唄と捉えたからだ」
マーフォークの言葉に目を見開く。
「私がおかしいってことですよね……」
「君の種族から見ればな。だが、我等にとっては……救世主のようなものだ」
「救世主!?」
――いきなり何を言い出すの、この人!?
「いくらなんでも大袈裟じゃないですか?」
「我等は待っていたのだ。声を唄と捉えてくれる者を」
私の焦りようをみても、マーフォークは眉一つ動かさず淡々と会話を続ける。
「ところで、何故君は歌っていた?」
「唄が聞こえなくなってから、今日初めて水難事故が起こっちゃったんです。それで、もしかして唄と関係があるんじゃないと思って……」
「………………」
マーフォークは私の話を黙って聞いていたけれど、ふと口を挟んだ。
「……それについて話すには、まだ早い。
私は、君のことを何も知らないからな」
「それは……仲良くなったら教えてくれるってことですか?」
尋ねると、彼は返事の代わりに小さく頷く。
どうやったらマーフォークと仲良くなれるかなんてわからないけど、とりあえず名前を伝えることにした。
「私、リオナと言います……」
「……ディランだ……」
「ディラン、さん……」
口の中で復唱する。とても素敵な名前だと思った。
「さて、今日はこの辺りにしておこう。
明日も、来れるか?」
「はい。両親はいないので、誰にも見つからなければ来れます」
「…………そうか。では、また明日」
短く呟くと、ディランさんは海中に姿を消した。
波打つ水面を眺めながら、ハッと我に返る。
「…………私、とんでもない約束しちゃった?」




