五話 代償
翌日も、そのまた翌日も、唄は聞こえなかった。
――私が話しかけてしまったからかな……
朝、キイチさんの所へ水を届けた私は、罪悪感を覚えながら市場をトボトボと歩いていた。
特に何かを買いに来たわけじゃないけれど、飛び交っている声を聞いていると少し落ち着く。少なくとも、一人ではないと思えるからだ。
市場は相変わらず大盛況で、威勢のいい呼び込みや値切り交渉する声。
さらに奥の広場では競りが行われている。
昨日の天候が悪かったことについては誰も気にしていないみたいだ。
――気にし過ぎなだけ?
そう思いたかったけど、胸の不快感は取れていない。
天候と連動して、マーフォークのことも鮮明に浮かび上がってくる。
私に見られた時のマーフォークの顔。
あれは驚きと恐怖が混ざったような感じだった。
「そういえば最近、例の声が聞こえなくなったな」
「ああ。やっぱり幽霊の仕業だったのかもな」
店主たちが嬉しそうに話している。
喜んでいいはずのことなのに、私の心は重かった。
聞こえないなら聞こえないで、なんだか寂しい。
まるで、胸にポッカリと穴が空いてしまったように。
複雑な気持ちのまま歩いていると、前方から女性の鋭い声が響いた。
「ねぇ、うちの人を見てないかい!?
朝、漁に出たっきり帰ってきてないみたいなんだよ!」
声の主はエイコさんだった。
いつもは血色の良い顔が、今日は青ざめている。
「見てないよ。って、そもそも漁から帰ってきてないんだろう?」
「そうなんだけど、もしかしたらっていう望みだよ!
……ああ、やっぱり帰ってきていないか……」
エイコさんはがっくりと肩を落とした。
店主たちは顔を見合わせて首を傾げている。
「もう朝の八時だぞ?」
――漁に出た人が帰ってきていない?
ふと、浜辺の方が騒がしくなってくる。
胸騒ぎを覚えた私は、気づいたら駆け出していた。
浜辺には五〇人ほどの人だかり。
その視線の先には、小型の帆船が打ち上げられていた。
荒波に揉まれたのか帆は破れ、船体も破損していて、縁に海藻が絡みついている。
「おい……これは誰の船だ?」
「波に流されたんだろうねぇ……」
「でも今までこんなこと――」
「あの人の船じゃないかっ!!」
甲高い声に皆が一斉に振り返る。
後を追いかけてきたエイコさんが肩を激しく上下させていた。
そのまま人だかりをかき分けて、船に手を添える。
「どうして、どうしてこんなことにっ!!」
「エ、エイコさん……まだ決まったわけじゃ……」
「でもあの人の姿は見てないんだろう!?死んだも同然じゃないか!!」
エイコさんは早口で言うと、声を上げて泣き始めた。
私も含めて、皆どうすることもできずに、オロオロと彼女を見つめることしかできなかった。
――唄が聞こえなくなったから?まさかそんな……。
いや、でも今までこんなこと無かったし……
さっき誰かも言いかけていた。「今までこんなことはなかった」と。
――マーフォークの唄と海の状態が関係があるってこと?
だとしたら、夜に岩場に行ってあのマーフォークに聞かなければならない。
――でも、彼は出てきてくれるのかな?
たぶん唄を歌わなくなったのは、私に姿を見られたからだ。
彼等の規則でもあるのだろう。
――いや、そんなこと言ってられない!
怒鳴られてもいいから、もう一度彼に会わなきゃ!
人と話すのが苦手なのに、自分でもそんな考えが出てきたのがびっくりした。
だけどこの問題を解決できるのは、おそらく私だけだろう。
――唄を途切れさせたのも私なんだし……
そこまで考えて、相談できそうな人物がいたことを思い出した。
サエコおばあちゃんだ。
私はさっそくサエコおばあちゃんの家へ向かった。




