二話 声の主
やがて、夕方になった。
海から橙色の光が差し込み、浜辺をやわらかく照らす。
「それじゃあ、今日はここまでだぁ。皆、ご苦労様」
サエコおばあちゃんの呼びかけに、女性陣を中心に一人、また一人と家に帰り始める。夕餉の準備があるからだ。
私も網針と麻糸を道具箱に仕舞って、大きく伸びをした。
座り作業が続くせいで、足も肩もこわばって痛い。指先も少し痺れている。
「リオナっ!」
元気な声に振り向くと、背中まである黒髪をひとつ結びにした少女が立っていた。
彼女はキヨ。私より1歳年下で、とても明るい子だ。
「キヨ。どうしたの?」
「今日は夕餉、ウチで食べない?久しぶりにどうかなって思ったんだけど」
私が独り身であることを心配して、時々キヨの家で食事を頂いていた。
ここ数日は、ずっと一人で食べていたことを思い出す。
――たまにはいいかもしれない。けど……
サエコおばあちゃんのことが頭に引っかかっていた私は、咄嗟に断ってしまった。
「ごめん、ちょっと今日は調子が悪くて……」
「え、そうだったの?大丈夫?」
キヨが不安そうに私の顔を覗き込んでくる。
「でも、一晩休めば治ると思うから。
それにキヨちゃんの家族に移したら大変だし」
「そう?じゃあ、明日は大丈夫?」
「うん。明日はお邪魔しようかな」
「わかった!じゃあお母さんに伝えとくね!
おやすみ、リオナ!」
「おやすみ……」
手を振りながら去っていくキヨを見て、胸がチクリと痛んだ。
――お母さん。私にはもう居ない。
もちろん、キヨは悪気があって言ったんじゃないことはわかっている。
それでも私の胸には深い悲しみが広がってしまった。
ハッとして気づいた時には日がすっかり落ちていて、薄暗くなった浜辺には私一人。
「帰らなきゃ」
だけど、家に帰る前に一つ用事を済ませなければならない。
村の西側、灯台の麓にある小さな祠に向かう。
損傷が激しくひび割れた石の台座と小さな水受け皿だけが残っている。
かつては何かの像が祀られていたのかもしれない。
誰かから頼まれたわけでもないけど、私は水を供えるのを日課にしていた。
こんな所に祠があるのは、何か意味があると思っているからだ。
小さく祈って海を見ると、海面が月に明かりに照らされてキラキラと輝いていた。
「綺麗……」
思わず呟く。私は夜に出歩くことがないため、新鮮な気分になった。
それから家に帰り、簡単な夕餉と入浴を済ませてベッドに横になる。
私の家は八畳ほどの広さだ。両親と暮らしていた頃は狭く感じたのに、今は広すぎる。
でも思い出が詰まったこの家を出ていく気はなかった。
ぼうっとしているうちに、瞼が重くなってきた。
だけど、まるで私を眠らせないかのように
耳にいつもの唄が響いてくる。
普段ならそのまま寝てしまうはずなのに、ふと違和感に気づいた。
「唄がハッキリ聞こえる……?」
慌ててベッドから体を起こし、息を止めて耳を澄ます。
いつもはかすかに聞き取れるかどうかの大きさなのに、今は少し低いけど透明感のある声。
言葉はわからないけど、その歌声はリズムを刻んでいる。
胸の鼓動が早くなる。
私はそっとドアを開けて、満月の光が照らす外に出た。
声を頼りに村の東側へ向かうと、岩場の方から確かに男の人の歌声が聞こえる。
波の音と重なって、まるで夜の海が呼吸しているみたいだった。
岩に身を隠しながら顔だけを出すと、海面に浮かんでいる岩場に男の人の姿が浮かび上がる。
それを見た私は思わず口元を覆った。
その人の上半身は人間で下半身は――魚の尾だった。




