プロローグ
とても、とても昔のお話です。
まだこの海辺の村が、ほんの三十人ほどの人々しかいなかった頃。
村人たちは海に生き、海に糧を求めて暮らしていました。
けれどその海は、いつも優しいとは限りません。
急に空が暗くなり、荒れ狂う波が船をさらっていく――
そんな嵐に、何人もの命が奪われていました。
ある夜のこと。
村長は浜辺に立ち、月明かりに照らされた海を見つめながら、ひとり静かに祈っていました。
「どうか、もうこれ以上、大切な者たちを海に奪わないでください」と。
そのときです。
波間から、ひとりの青年が現れました。
上半身は人の姿、下半身は魚の尾――それは、海に棲む種族・マーフォークの青年でした。
彼は村長の願いを聞き、海神のもとへ赴きました。
そして、こう交渉したのです。
「我らマーフォークが夜ごと唄を歌い、嵐を鎮めよう。
その代わり、人間たちには年に一度、供物を捧げてもらいたい」
村人たちは大いに喜び、この約束を受け入れました。
その日から、夜の海には不思議な唄が響くようになり、嵐に命を奪われることも減っていったのです。
けれど――
長い年月のあいだに、人々はこの約束を忘れてしまいました。
供物の儀式も、“唄”の意味すらも……。
唯一残ったのは、夜の海からかすかに聞こえる不思議な唄だけ。
人々はそれを“災いの声”と呼ぶようになりました。




