謎すぎる親睦会
親睦会
時刻は昼過ぎ。
窓から見える高く聳えた大理石の白い壁が、昼の光を眩しく反射していた。
廊下を彩る深紅のレッドカーペットと、意匠の凝らされた壁と天井。審美眼など持ち合わせてなくてもわかる、芸術的価値のある絵画。今まであまりにも無縁だったモノ達。
別邸から眺めていたこの城の中を悠々と歩くことになるなど、一週間前は想像もつかなかっただろう。
(食事に毒が混ざってること以外、彼処での生活は良かったのだけれど……頷いたのは自分とはいえ、少々窮屈ね。ここでの暮らしは)
ルシェリアは、王城の廊下を歩いていた。
王城に来てから、既に3日が経過した。
その間、特にやるべきことも無かった。何かを要求されることもなく、王城の図書館で珍しい本や魔導書を読み漁り、忘れていた礼儀作法を思い出し、最高級の料理を堪能し、ふかふかのベッドで眠る。極楽のような生活だが、ルシェリアの気分は晴れるどころか、息苦しいばかりだ。
想定内ではあった。
何年も姿を現さず、魔力を制御する能力も無く、実の父からも見放されている公爵令嬢。
そんな評判を持つルシェリアだ。王城で様々な視線に晒されるのはわかっていたことではある。
好奇、敵意、不審、恐怖。
ルシェリアに向けられる視線にはネガティブなものばかりで、流石に疲れてしまっていた。
とはいえ、一日中部屋に籠るのもまた窮屈なものだ。特にこれからは、アルヴェリスの隣で公爵令嬢として振る舞わなければならない場面が出てくるだろうから、礼儀作法を思い出すのは必須だった。
「突き当たりの廊下を右に曲がって頂ければ、殿下達がいらっしゃる部屋です」
王城に慣れないルシェリアをそう案内するのは、専属侍女のフェリスである。
橙色の髪をゆったりと結い、朝焼けのような瞳を静かにその瞼が覆う。美しい容貌を持つ彼女は、ルシェリアに何の感情も無い視線を向ける数少ない人物の1人だ。
ルシェリアと旧知の仲であるシルビアを護衛として呼び出したりしたあたり、このフェリスを専属侍女としたのもアルヴェリスの配慮なのだろうか。
つくづく読めない人だと思う。
第二王子アルヴェリスとは、この城に来た初日以来会っていない。
その人に呼び出され、今から会いに行くのだが。
「失礼します」
目的の部屋に到着しノックと共に入室すると、中には想像していたよりも多い人がいた。
何より、中央のテーブルに置いてある菓子の香ばしい香りが鼻に届いて、ルシェリアは思わず眉をひそめる。
そんなルシェリアを意に介さず、部屋にいたクラーテスがシルビアを席に案内して言った。
「お待ちしてました。今日はルシェリア様との親睦会を開催します」
「………………親睦会?」
「早い話が歓迎パーティーですよ。ルシェリア様に皆のこと知ってもらおうという企画です。まぁそんな気負わず。ルシェリア様は敬語、外してください」
「………………」
部屋にいるのは、クラーテス、シルビア、アルヴェリス、ルシェリアとフェリスの5人。
既にアルヴェリスはルシェリアの正面に座っており、その背後にクラーテスは控えている。困惑して席に座らず棒立ちしているルシェリアに、アルヴェリスは視線で座れと促してきた。
困って壁際に佇むシルビアを見やると、彼女はふるふると頭を振る。
「私も鍛錬終わりにいきなり呼び出された」
「クラーテスの突拍子もない提案が元だが、必要なことだ。我々の予定が合うことなど滅多にないのだから、許してくれ」
そういいつつ悪びれる様子は無いアルヴェリスに、シルビアは肩をすくめるばかりだ。やがて観念したようにため息をつき、武人らしく無駄のない動きでルシェリアの隣に腰を下ろした。
それを見て、ルシェリアも仕方なく腰を下ろす。
いつの間にかフェリスがティーセットを用意して、馨しい香りが部屋を満たした。
どうやらこの会の進行役を任されているらしいクラーテスが、こほん、と咳払いする。
「とりあえず、まずはちゃんと自己紹介しましょう。名前年齢趣味等など、好きに自分を紹介してください。フェリスも」
「…………私もですか?」
突然を声をかけられたフェリスは特に戸惑う様子も無く、ゆったりと声の主に目を向けた。
「自己紹介なら既に済んでいます。ルシェリア様以外の皆様は存じ上げていますし、私のこともご存知だと思います。なので私が参加する必要はないかと」
「相変わらずノリ悪いですね」
「身の程をわきまえているだけです」
ツーンとそっぽを向くフェリスに、ルシェリアは瞠目する。それは普段の彼女らしからぬ仕草だった。
とはいえ彼女はそれ以上口を開かず、クラーテスはやれやれと言いながら肩をすくめる。
「まずは言い出しっぺである私から。クラーテス・プリルメイ。プリルメイ伯爵家次男で、今は殿下の側近です。20歳。趣味は睡眠と、殿下をからかうこと」
(初っ端からまぁまぁ濃いわね…………)
にこりと笑うクラーテスに、アルヴェリスが嫌そうに目を細めた。
先程のフェリスとの問答の様子も考えると、彼は普段は飄々とした人物なのだろう。前回会った時、つまり初対面の時はそんな雰囲気は微塵もなかったから、切り替えはちゃんと出来るということか。
「…………これでも側近としては優秀なんだ。それに存外、俺はこの男のこの道化っぷりを気に入っている」
沈黙したまま動かないルシェリアを見て何か思ったのか、アルヴェリスがフォローを入れる。が、それはフォローになっているのかわからない。
「殿下、道化というのは私のことですか?」
「?お前以外に誰がいる」
「…………フェリス、私ってもしかしてエンタメ枠として側近採用されてるのでしょうか?」
「何を言っているのかよくわかりません。が、そういう所だと思います」
やはりアルヴェリスの言葉はあまりフォローにはなっていなかったらしく、クラーテスがフェリスに問うた。それにピシャリと言い返したフェリスは、クラーテスには目もくれずに直立している。
その様子をじっと見ていたルシェリアを見て、クラーテスは思い出したように補足した。
「あ、フェリスとは学生時代から仲良くしてます」
「…………腐れ縁です」
ぱちりと目が合ったフェリスはため息をつきながら渋々といった感じだ。
「まぁとりあえずこんな感じですかね。あ、質問とかあったら全然聞いてくれて構いませんよ。次フェリス」
「………………はぁ」
「早くしてください」
「…………」
明らかに嫌そうな顔をするフェリスはやはり新鮮だ。
クラーテスに早く早くと促されながらも未だ口を開くか決めあぐねている。その様子を見てルシェリアは声をかけた。
「フェリスのこと、私はもう少し知りたいわ」
「え」
「ほら」
ルシェリアが口を挟んだのが意外だったのだろう、きょとんとした顔で目を丸くするフェリスに、クラーテスは勝ち誇った顔をする。そんなクラーテスをまたフェリスが軽く睨んだ。
ルシェリアは、このフェリスという少女に存外好感を持っている。
それは、彼女が世間に広まる噂でルシェリアを評価しない点だけではなく、滲み出る聡明さや所作からわかる育ちの良さにも起因していた。
何より彼女の瞳には、アルヴェリスやクラーテスから感じられる打算的な思いは見られない。それが今のルシェリアにとって何よりの救いだった。
「ご主人様がご所望なら、応えるのが従者の務めでしょう」
「貴方に言われずともわかっています」
「じゃあ早く」
そう促すクラーテスを煩わしそうに睨み、フェリスはルシェリアに向き直る。
「フェリス・フェルトラーです。趣味は料理とお菓子作り。20歳です」
「クラーテスとは学生時代からの付き合いと言っていたわね。王立学院に通っていたの?」
「……はい」
10歳から18歳までの少年少女が通うことができる学校。
パラメキアでは教育制度がかなり整えられており、各地に学校は存在する。パラメキアの王立学院はその学校の頂点たる存在であり、入学するためには並々ならぬ勉強量が必要だ。上流貴族の子息は皆そこに入学するため、そこに入学出来ないとその後の社交界においての立ち位置が厳しいものになるとも言われる。
ルシェリアはもちろん通っていないが、アイリスもそこに通っている。
フェリスが名乗ったフェルトラーという性は貴族のものではない。初めてフェリスに会った日に、フェリスの洗練された所作を見たルシェリアが出自を聞いた際、彼女は平民出身だと言っていた。
その時は平民出身であることに驚いたが、王立学院へ通っていたのなら納得だ。
「平民から王立学院へ入学するなんて、努力家なのね」
「運が良かっただけですので……王立学院の名は、私には過分なものです」
フェリスはそう謙遜するが、実際王立学院へ通う平民はかなり少ない。
学校は各地域にあるために、貴族でない限りわざわざ王立学院を目指す必要性は無いからだ。家庭教師を雇う余裕がある貴族はともかく、平民が独学で王立学院の入学試験を突破するのは非常に凄いことなのである。
「侍女になったきっかけは?」
「そこの身の程知らずに声を掛けられまして。非常に好条件で雇って貰えました」
「さっきから旧友に対して当たり強くないですか?そろそろ泣きますけど」
雇って下さりありがとうございます、とアルヴェリスに頭を下げるフェリスは、文句を垂れるクラーテスを華麗に無視。ここまで来ると逆に可哀想になってくる程だ。
「他には何かございますか?」
「今のところは」
「わかりました。何かあればまた聞いてください」
そう言って、フェリスは薄く唇を緩めて微笑んだ。
(…………ちょっとだけ、仲良くなれた気がするわ)
無理矢理連れてこられたこの懇親会、とやらも、案外悪いものでは無かったなとルシェリアは思う。
それに。
(……アルヴェリス殿下の思惑を探る機会も得られたことだし)
魔獣の調査に深く携わるよりも前に、そちらの方が先決だ。だからその機会を得られたのは幸運である。
シルビアのことはよく知っているし、それは皆も承知しているだろうから、次はアルヴェリスの番だ。
そう思って進行役のクラーテスを見るが、ルシェリアのその期待は簡単に裏切られた。
「じゃあ次はシルビア様ですかね」
「待て。私もか?」
「はい」
「…………必要あるか?」
先程のフェリスと同様のやりとり。
だがシルビアの疑問は最もだった。
フェリスの、軽く自己紹介を済ませている程度ではない。シルビアとルシェリアは最もお互いをよく理解している者どうし。ここで改めて伝えることなど何も無いのだ。もっとも、両者共にまず理解者が少ないのだが。
「私がシルビア様のこと知りたいので」
「………………私も、興味あります」
平然と言いのけたクラーテスに、少し遅れてフェリスも同意する。
確かに、自分と同年代の女性が『戦女神』と称される程の実力を持っていれば、興味が湧くのも自然かもしれない。
シルビアはそんな2人を見てため息をつく。
「噂は常に尾ひれがつくものだ。実際に私が為したことなど大したことではない」
「殿下をボコボコにしたことあるってほんとですか?」
「話を聞け」
「辺境伯領で放った技の残光が王都で観測された話とか有名ですよね!」
「………これを側近として傍に置く趣味が理解出来ない」
「もしかして褒めてます?」
「……………………」
「…………その辺にしてくれ」
シルビアがクラーテスに取り合うのを諦めて口を噤んだところで、アルヴェリスがクラーテスを制止する。当の本人は何故はなぜ止められたのかよくわからないという顔をしたが、シルビアはようやく質問攻めが終わると小さく息をついた。
ルシェリアは、そんなシルビアをじっと見つめる。
「…………シルビアって、アルヴェリス殿下よりも強いの?」
「普通、今の流れでその話続けます?」
「だって気になるじゃない」
クラーテスは「ルシェリア様ってもしかして凄い人……?」と小さく呟いているが、ルシェリアはそんな彼に声をかける。
「シルビアはただ少し、褒められるのが苦手なだけよ。だから自分の話を自分からするのも苦手なの」
「な、なるほど……」
「でも気になるものは気になるわ。で?どっちが強いの?」
逡巡して、シルビアはアルヴェリスを見やる。
アルヴェリスは何も言わず、僅かに顎を引いただけだったが、シルビアにはそれで十分だったようだ。
「…………剣だけなら、私の方が」
「ふぅん、やっぱりそうなのね」
「ふぅんって、何ですかその反応?殿下に勝てるって凄いことなんですよ!!」
クラーテスが目を輝かせて言った。
当のアルヴェリスはそこまで執着はしていないのか、興味が無さそうにティーカップに口をつけている。
「シルビアが今までで対峙して敗れた相手はたった一人だけだもの」
「ええ……」
「……勝敗のついていない者もいるが」
ルシェリアの言葉に目の色を変えたクラーテスに、シルビアは苦々しそうな顔をして付け加える。
クラーテスの瞳に映る驚嘆と賞賛に、シルビアはかなり居心地が悪そうだ。少し申し訳ないと思いつつ、ルシェリアは黒髪を揺らす青年に声をかけた。
「これ以上シルビアについて掘り下げるのは一旦辞めましょう。私は彼女のこともう知り尽くしているし」
「んーそうですね。じゃあ次は殿下」
シルビアの様子に気づいたのかクラーテスも同意する。
アルヴェリスは持っていたティーカップを音を立てずに置き、気怠げに目を細めた。
(やっと本命だわ)
アルヴェリスについて探れると、ルシェリアは人知れず背筋を伸ばす。
ルシェリアの視線を受けながら、アルヴェリスがその形のいい唇を開いた瞬間、
「失礼します」
コンコン、とノックの音が響いた。
静かに扉が開いて、ルシェリアにとっては初めて見る人物――もっとも、王城内ではほとんどの人がそうなのだが――が、部屋に入室する。
「お邪魔してしまい申し訳ございません。アルヴェリス殿下。ジルベルト殿下がお呼びです」
「……兄上が?」
(…………タイミング最悪過ぎない?)
ジルベルト殿下、というのはこの国の第一王子、王太子であるジルベルト・リア・パラメキアのことだろう。
急な呼び出しにアルヴェリスも静かに瞠目しているが、第一王子からの呼び出しならば断ることは出来まい。ルシェリアからしてみればたまったものではないが。
「わかった。すまないが、俺はこれで失礼する」
「え、あと殿下だけなのに」
「普段滅多に干渉してこないのにこのタイミングで呼び出してきた兄上に言ってくれ」
口を尖らせるクラーテスを伴い、アルヴェリスは当然のようにスタスタと部屋を出ていく。こうも平然と出ていかれると、彼は一体この時間で何をしたかったのだろうかと思わざるを得ない。
「…………」
側近であるクラーテスはアルヴェリスと共に退室し、部屋には3人だけが取り残される。すぐに言葉を交わせる程面識がないシルビアとフェリスは、困ったように薄く笑みを浮かべたままだ。
なんともいたたまれない雰囲気に、ルシェリアはテーブルに置いてあるクッキーを1つつまんで口にいれる。フェリスが焼いたものらしいそれは、香ばしい香りとサクサクの生地が上手く調和して、非常に美味しかった。
ルシェリアは最後に温くなった紅茶を1口、口に含んでシルビアとフェリスを見やり、
「お開きにしましょうか」
「……はい」
「そうだな」
その日開催されたささやかな親睦会もとい歓迎パーティーは、中途半端に終わりを告げた。