自作自演がバレました
「王城で生活してもらいたい」
「………………」
(お、思わず一度頷いてしまったわ……けどいよいよ訳が分からない……)
戸惑うように目の前の海色の瞳を見上げるが、その瞳は何も語らないし、何も映さない。
数秒間の沈黙。
何を言われているのか理解できないと思いつつも、頭の中の冷静な自分が父に呼び出された時を思い出した。
(お義母さまがあんなに殺気立っていたのはこれね……)
状況を整理する。
ルシェリアにはある目的がある。その為に、まとまった自由な時間が必要で、今の第二王子の婚約者という立場も、公爵家の令嬢という立場も障害になる。だから婚約を破棄したいのだ。そうすればルシェリアに興味の無い家族は、自分を完全に放置するだろう。そういう計画だった。
最初はアルヴェリスが今まで完全に放置してくれていたから、その計画は容易だと思っていたが、何回も魔力暴走を起こしたのにも関わらず一向に王家は婚約者を解消しない。それは、余程ルシェリアの魔力を欲しがっているということを示していた。
ここまでが、部屋を燃やした時点での話。
(……私の目的は、変わらない)
静かに目を伏せ、凪いだ心で考える。
悲願の為に。そして自由のために。
それが、今の、今までのルシェリアの全てだ。
ゆっくりと目を開いた。
「その提案の意図されるものはわかりかねますが、恐らくそれは難しいと思われます」
「理由を聞こう」
「私は魔力の制御が出来ません。つい最近も魔力を暴発させて屋敷の一部に被害が出ました。そのような私が王城にいてはいけないでしょう」
目を伏せて話を聞くアルヴェリスは、ルシェリアがそう断ることなど想定内だとばかりに紅茶を飲んでいた。
首を傾げ、目を眇めて彼は口を開く。
事も無げに、彼はその場に爆弾を投下した。
「こちらの要件を飲んでくれるなら、その魔力暴走とやらが全て貴方の自作自演なのは、内密にしていよう」
「…………ぇ」
平然とそう言ったアルヴェリスの言葉に驚愕して目を見開く。
彼の後ろに控える従者は無反応だ。ということは彼はアルヴェリスから事前に聞いていたのだろう。
(どこまで知られているのかしら…………というか、そうね)
ルシェリアはアルヴェリスの顔を見て、その後すぐに納得した。
(アルフヘイムに留学しているならそりゃ知ってるわよね………)
どこか遠い目をするルシェリアを横目に、アルヴェリスは目を伏せた。
「アルフヘイムでも魔力暴走なんて起こす人間はそうそういない。あれはそう何度も起こるようなものでは無いし、仮にそうだとしたら貴方はもう息をしていないだろう」
「…………」
そう。魔力暴走と称してルシェリアが起こしていたものは、単純に魔法の威力を上げてそれっぽい演出をかけただけのもの。
なぜそんなことをしていたのかというと、それが一番手っ取り早かったからだ。こんな危険な令嬢と第二王子を婚約させることは出来ないと思ってもらえばおのずと婚約は解消されるだろうと思っていた。
「パラメキアでは魔力暴走という概念はほとんど知られていない。だから多くの人は魔力暴走が本人に最も被害をもたらすことを知らない。そこを利用した。違うか?」
(…………やられた)
心の中でため息をついて、さてどうしようかと思案する。
自作自演がバレた。そこまではいい。いや、良くは無いが、アルフヘイムに留学していたという情報を抜いてしまったルシェリア自身のミスである。
けれどそれを逆手に取られて弱みを握られた。
「ルシェリア・イル・ベルンシュタインは魔力の制御が苦手なために社交界に顔を出さない」という情報は貴族社会では周知のものとなっている。アルヴェリスもそれは知っているだろう。
油断した、とルシェリアは唇を噛む。このままでは終われない、とも。
「どのような理由でそのようなことをしていたのかは聞かないが。こちらの提案に応じてくれるだろうか」
「いいえ」
間髪入れずに強く否定するその言葉に、アルヴェリスは一瞬息を呑んだ。
その理由は、自分の提案を否定されたからだけではない。
ルシェリアの声が変わった。
アルヴェリスはそう感じた。
ただの令嬢のものから、公爵令嬢のものへ、明確に違う響きを帯びている。
ルシェリアだって、一応は公爵令嬢なのだ。
(もう先手は取られてしまったけれど、この人はやり手だわ。私にとって味方か分からない以上、こちらも同等の立場を取れるよう立ち回らなければ)
幼い頃に叩き込まれた公爵令嬢としての立ち振る舞いが、自然とルシェリアの背筋を伸ばし、凛とした声となり、全てを射抜く視線となる。
そのルシェリアの変わり様に、アルヴェリスはぴくりと眉を上げた。
「まずは、私を王城に呼び出した理由と目的を、教えて頂きたいです」
アルヴェリスの提案を断れば不利益が生まれる。それは確かだ。
しかし、受け入れることによる不利益が断る不利益を上回るなら、間違いなく後者を取るだろう。ルシェリアにとって社交界での評判などなんの価値もないのだから。
「……事情がある。クラーテス」
「はい」
そうゆっくりと瞑目してアルヴェリスが呼んだのは、彼の後ろに控えていた童顔の青年だ。
柔らかで艶のある黒髪に、知的な印象を持つエメラルドの瞳。アルヴェリス程ではないにしろ鍛えられているのだろう、スラリとした体躯。こちらもかなりの美青年だ。
クラーテス、と呼ばれたその人はにこりと微笑み、綺麗なお辞儀をする。
「こんにちは。アルヴェリス殿下の側近を務めています、プリルメイ伯爵家次男のクラーテスと申します。今回ルシェリア様をお呼びした理由は単純。貴方様の能力が必要だからです」
「私の能力が?」
「パラメキアでは今とある問題が起こっています」
ぺらりと持っている資料を捲るクラーテスは悩ましげにため息をつく。
「最近、魔獣による被害が不自然なまでに増加しているのです」
「…………魔獣?」
「はい」
予想外のその単語に、ルシェリアはぱちぱちと目を瞬かせた。
思い出すのは、先日王都の外の町に現れた禍々しい魔物。
(……他の場所でも魔獣が出現しているということ?)
順当に考えればそうであるが、それはこの国ではない場所の話だ。魔獣はパラメキアにはほぼ出現しない。
だから、"魔獣の被害"が"増加"なんてことは、絶対に。
(パラメキアでは、ありえない)
「…………なるほど」
納得したように頷いたルシェリア。
それを見て、驚いたようにクラーテスは瞠目する。きっと彼はこれから、ルシェリアの能力が必要とされる所以を説明するつもりだったのだろう。
「この国で魔獣が出るというのは、何らかの異常事態の可能性が高い。そうなると魔法や魔素に対する知識を持つ人が調査に必要。シェーリエの血を引く人間で今最も王家に近いのは私、ということですね」
「その通りだ」
淡々と説明するルシェリアにアルヴェリス目を伏せて頷く。クラーテスはその様子を見て、そのエメラルドの目を眇めた。
「最も、その被害は特定の場所で起こっている」
クラーテスから次いで、アルヴェリスがティーカップを片手に言う。
「その場所は、イヴェルダの森。シェーリエ伯爵家と、キルレイン侯爵家の領地に跨る巨大な森の近辺だ」
「………………」
シェーリエ伯爵家、という単語に、ルシェリアはぴくりと眉を上げる。
母の故郷であるその場所は、ずっと赴きたいと思っていた場所だ。悲願のために、いつか必ず訪れようと思っていた場所だ。
(……………お母様の故郷に行ける。それなら)
ルシェリアはこの時、感じた。
巻き込まれつつある厄介事の気配を。
この時、ルシェリアの勘は告げた。その厄介事の中に、悲願のために有益な何かがあることを。
「わかりました」
アルヴェリスは意外にもすんなりと応じたルシェリアに瞠目する。
「意外だな。こんなにすぐに応じて貰えるとは」
だって。
ルシェリアの勘は、外れたことがないのだ。
*****
ルシェリアの母ーーアリアナの死は、あまりにも不自然だった。
彼女は衰弱死。世間ではそうされているが、ルシェリアから見ればそれは事実とは完全に異なる誤情報なのだ。
最初は微々たる変化だった。
しかしいつからか日を追う事に、緩やかに、しかし確実に、アリアナの魔力量は増大していた。
人の魔力量の最大値は生まれた瞬間から決まっている。鍛錬などでその容量を増やすことは可能だが、増量はたかが知れている。そして、魔力量が制御を離れてその人の容量を上回った時、その魔力が暴発し、魔力暴走が起きる。アルヴェリスが言った通り、魔力暴走は本人の体に最も被害をもたらす。時にそれが内腑の破裂となることもある。
だからアリアナの死因は、魔力暴走。さらに突き詰めれば謎の魔力増大だった。
そして最大の疑問は。
なぜ、母は衰弱死したことになっているのか。
正確に言えば、"なぜルシェリアの父ザオルドは、自分の妻の死因を偽ったのか"。
嫌な予感がした。
不審な点が多すぎた。
だから、母の死の真実を突き止めなければと思った。
母がルシェリアの唯一だった。
ルシェリアの魔法も、ピンクブロンドの髪も、家の外の知識も、部屋にある大量の本も。ルシェリアを構成する全ての要素は母アリアナから授かったものだった。
母さえいれば、ルシェリアは幸せだった。
その幸せが奪われた。
勘が囁いていた。
『真実を掴まなければ、お前は必ず後悔する』と。
その通りだと思った。
もし、母の死が何者かによって意図されたものなら。母が、誰かに殺されたのなら。
ルシェリアは、その人を許さない。許せない。