第二王子との気まずーい会合
その後。
継母の強すぎる殺気を受け流しながら父の執務室を後にし、本邸の一番端の部屋で一夜を過ごした。
あまり質の良い睡眠ではなかったが、運ばれた食事は毒は入っておらず、どれも絶品だったのが唯一の良かった点だ。
登城に関しては、先方は都合が合う時で構わないと言っていたようだが、一刻も早くルシェリアを本邸から追い払いたいザオルドは次の日に出発を命じた。
ルシェリアとて好んで自分を無視する又は殺そうとする家族と同じ家に居たくはないので、素直に頷いた。
(早く帰りたい……)
そうしてルシェリアは今、王城に来ている。
応接間のふかふかのソファに座っているおかげでなんとか軽減されてはいるが、馬車での移動が連続したせいで未だルシェリアの腰痛は健在だ。加えて、限られた人間しか足を踏み入れることを許されない王城に数年ぶりに訪れるというのは想像以上にストレスだった。
呼び出した本人はまだ姿を表さない。第二王子という立場上忙しいのかもしれないが、呼び出したのは其方なのだから早くして欲しいとルシェリアは背筋を伸ばしながら思っていた。
10年前に1度あったきりの婚約者。
彼について覚えているのは、深い海のような瞳と、それよりもさらに暗い、宵闇のような濃紺の髪。たったそれだけ。
彼に対して思うことは何もないが、様々な目が光る王城の中で、第二王子と対面するということは些か気が重すぎた。
母が亡くなる前までは公爵令嬢として、また第2王子の婚約者として厳しい教育は受けていたから、礼儀作法は身についてはいる。けれど今まで隔離されていて気を使う必要はなかったから、長時間礼儀正しく振る舞うのは慣れていないのだ。
はぁ、と思わずつきかけたため息を慌てて飲み込む。
(この調子じゃすぐボロが出そう……本当に早く帰りたい)
「失礼する」
「っ!」
ドアの外から聞こえた低い声に、身体に緊張が走る。
仮にも婚約者。10年近く会っていないけれど。正直どんな顔をすれば良いのか全くわからない。
それに、なりより。
(アルヴェリス殿下って魔力持ちだったかしら、前回会った時はそんな印象はなかったわ。私が魔力探知を習得する前だった?これ程の魔力を王家の人間が持つなんてことある?)
ルシェリアの魔力探知は、扉の前に立つ男が膨大な魔力を持つことを示していた。
予想外も予想外である。
10年前に会った時は魔力なんて感じなかった。ルシェリアが魔力探知を習得する前に会ったのか、それとも後天的に魔力が増えたのか。王家にとって、ここまでの魔力を持つ人間が生まれたのは快挙だろう。恐らく今まで前例がなかったことだ。
動揺を感じさせないよう無表情を保っていると、部屋に2人の長身の男性が入ってきて、1人はルシェリアの正面に腰を下ろし、もう1人はその斜め後ろに静かに立った。
正面に座った男ーー第二王子アルヴェリスの姿を数年ぶりに見て、ルシェリアは思わず息を飲む。
濃紺の髪、切れ長の目に、すっと通る鼻筋。整った顔立ちだけでなく、すらりと引き締まった身体は洗練されていて無駄がない。動いても重心が全くブレない所からも、普段から鍛えていることが伺えた。
そして、海のような深い群青の瞳。
どことなくこの前ジークから貸してもらったネックレスの宝石の色と似ているな、とルシェリアは思った。
小さく顎を引いたアルヴェリスを見て、ルシェリアは細心の注意を払って立ち上がり、久しぶりかのカーテシーをする。
「お久しぶりでございます。第二王子アルヴェリス殿下。ベルンシュタイン公爵家長女、ルシェリア・イル・ベルンシュタインでございます」
「……………久しぶりだな。座ってくれ」
「はい」
言われた通りに腰を下ろす。
アルヴェリスは護衛を退出させ、部屋にはルシェリアとアルヴェリス、そして彼の後ろに控える青年のみが残った。
メイドが入れてくれた紅茶から立つ湯気が、ゆらゆらと揺れている。
(………き、気まずいわ……)
さてどうしようかと揺れる湯気を無心で眺めていると、目の前の人が口を開いた。
「今更なんの用かと思っているだろう。まずは、今まであったことを簡単に説明させて欲しい。貴方はずっと隔離されていて知らないだろうから」
「…………ありがとうございます」
そう言ってアルヴェリスはティーカップを置き、腕を組んで話し始めた。
「まず、君との婚約が決まって初めて顔を合わせたのが10年前。その半年後に、俺に魔力が顕現した。それもかなりの魔力量の」
「……………………」
「それから、俺と兄上、どちらが王太子になるのかでこの国の中枢の貴族達が割れ、詳細は省くが大変だった」
本当に大変だったのだろう、そう言ってアルヴェリスは遠い目をする。彼の後ろに控えていた従者も、小さく苦笑する。
パラメキア王国第一王子の名はジルベルト・リア・パラメキア。
彼もまた、アルヴェリスと同様に聡明な王子であり、2人とも優秀だと幼い頃から評価は高かった。
どちらが王になるのかという話題は昔から囁かれていたが、どちらも優秀なので順当に第一王子が王太子となるだろうと、ルシェリアはアルヴェリスに会うより前に聞いていた。しかし、アルヴェリスに魔力が顕現したのなら話は変わる。
拮抗していた2人の能力が、アルヴェリスの方に傾いたのだ。当然、第二王子が王太子となるべきだという強い意見も現れる。
「しかも魔力、というのが厄介だった。この国の貴族達は魔法を素直に受け入れることに難色を示すからな」
魔法は、この国ではシェーリエ伯爵家の血が流れる者にしか使えない。シェーリエは、昔パラメキアに滅ぼされた亡国の王家の末裔だ。
特別な能力を持つパラメキアの異物に対して、嫉妬や恐怖などから冷たい目を向ける貴族も少なくはない。
この国において、魔法そのものに対していいイメージを持つ人間は少ない、例えそれを扱うのが王家の人間だとしても。
ましてやアルヴェリスの婚約者であるルシェリアは、シェーリエの直系であるアリアナの娘であるのだ。
「水面下で我らの暗殺を企んでいた貴族を炙り出し、父が兄上を王太子としたことでその不安定な状態は終わった。しかしその後父上が、俺にアルフヘイムへの留学を命じた。折角魔力を得たのだから、それを学べと」
「…………なるほど」
アルヴェリスが口にしたアルフヘイムという国は、正式名称は魔法公国アルフヘイム。パラメキアの隣国フェルディンの北にある魔法大国のことだ。
大陸の北端に位置する霊峰を背に、この世界での希少種であるエルフが興した国。
魔法を極める者が集うその場所は、確かに魔法を学ぶには最適であるが、魔法を疎むパラメキアの人間からして見ればあまりいいイメージは無い。逆も然りだろう。
「貴方と婚約してから3年間、なんとか国の情勢を安定させ、その後4年間の留学から帰ってきた時には、貴方はもう完璧に隔離され、ルシェリア・イル・ベルンシュタインという人間は世間に忘れ去られていた」
「……………」
そう言ってアルヴェリスは目を伏せる。
なるほど確かに、今まで全く接触がなかったのにもその程度の理由はあったようだ。
婚約したのは、ルシェリアが8歳、アルヴェリスが10歳の時。かなりの魔力量を得たのなら、魔法に詳しい者が限りなく少ないこの国で魔力を制御するのは難儀だった筈だ。それと並行して後継ぎ問題を片付けた。まだほんの少年と呼べる年齢であったのに。
それが終わったら今度は魔法大国へと強制留学。最も魔法が発展していないであろうパラメキアから、最も日常的に魔法が使われるアルフヘイムへの留学は、困難も多かったに違いない。
今まで全く音沙汰がなかったのも、納得出来ないことではない。
けれどルシェリアは、そこに微かな違和感を覚えた。
(………何か腑に落ちない。まるで本当の理由を隠すために他の要因を並べ立てているような、そんな感じがする)
アルヴェリスの言い分だと、彼が留学から帰ってきたのは婚約してから7年後、今から約3年前。その間、彼が何もしなかった理由がわからない。
真意を見極める為にアルヴェリスの瞳をじっと見据えるが、それは深い海のように底がない。
「………………」
視線が絡まり、見つめあう。
しかしそれは、熱烈な想いの交錯とは程遠い、探り合い、相手を品定めする類の視線である。
お互い目を逸らさず、相手の真意を知ろうと譲らない。肌を刺すような沈黙に、アルヴェリスの傍に立つ従者が居心地悪そうに目を細めた。
「……………」
そうしてしばらくして、彼はふっと目を伏せ、肩を落とした。
ルシェリアもまた視線を落とし、数回瞬く。
ふっと緩んだ空気の中に、またしても沈黙が落ちる。
「…………」
しかしそれは、今度は長くは続かなかった。
「とはいえ、10年間貴方を放置していた事実は変わらない。すまなかった」
「……いえ……」
そう真剣に頭を下げるアルヴェリスを前にして、ルシェリアは戸惑ってしまった。
真面目に謝られてしまったら、こちらも受け入れる以外の選択肢はない。
(…………気になることはあるけれど…………今はいい。それより……)
なぜ今、ルシェリアを呼び出したのか。
そちらの方が問題だ。
そのルシェリアの考えを読んだように、アルヴェリスは続けた。
「そして、本題だが。しばらく貴方には王城で生活してもらいたい」
「はい…………え?」