それはいつもの日々
「お嬢様。本日の昼食でございます」
そう言われてテーブルの上に置かれたのは、固くなったパンに、冷めたスープ。
お嬢様、と呼ばれるルシェリアにこのような昼食が出されるのは、家が財政難であるからでも、料理人がいないからでもない。
昼食を運んできた、虚ろな目をしながら空中を見つめるメイドを、ルシェリアはすっと目を眇めて見据える。彼女はこちらを一瞥し、そしてまたすぐに視線を元に戻した。
しかし目が会った瞬間、彼女の身体に恐れによる緊張が走ったことは、容易に認めることができた。
(………この子も中々、可哀想ね)
少し、心の中で同情する。
それでもルシェリアはそれを隠すように、極めて無機質な声で、全く興味が無さそうにメイドに告げた。
「ありがとう。貴方はもう下がっていいわ」
「………ありがとうございます」
そうして、メイドの顔に安堵が滲み出たことも容易にわかった。このやり取りを、もう何回繰り返しただろうか。
メイド達がこうして嫌がらせのようなことをしつつも、ルシェリアに恐怖の念を感じているのには理由がある。
ルシェリア・イル・ベルンシュタインは公爵令嬢だ。
しかし、今では誰もそのようには認識していない。
ルシェリアの父は、母を疎んでいた。
9歳の時、政略結婚であった母が亡くなった瞬間に、父は愛人とその子供を公爵邸へ連れ込み、ルシェリアを屋敷の隅の部屋へ軟禁した。そうしていないものとして扱われ、それから今までベルンシュタイン公爵令嬢はただ1人、ルシェリアの異母妹のアイリスのみ、ということが家の、いや、恐らくは貴族全体にまで及ぶ暗黙の認識である。
よって、まともな朝食が出されないのも、メイドの態度が良いとは言えないのも、ルシェリアのいるこの別邸がまるで屋敷として機能していないのも、全て父と、その愛人の命令であるのだろう。
そして、メイド達がルシェリアを恐怖の滲んだ瞳で見る理由はさらに簡単だ。
ルシェリアは3日前、元々暮らしていた屋敷の隅の部屋を燃やしたのである。
魔法に優れたルシェリアの母ーーアリアナの才能は、どうやらルシェリアにしっかりと引き継がれたらしい。ルシェリアは、幼い頃から有り余る魔力を持て余し、制御しきれず、それを暴発させて被害を出していた。
一般的には、それを魔力暴走というそうだ。
その対策として軟禁されていた公爵家本邸の部屋には、対魔法の素材で作られた頑丈で分厚い壁に覆われていたのだが。
先日は、それを貫通して隣の部屋まで丸ごと燃やしてしまったのだ。
父やその愛人は激怒し、そして恐れ、ルシェリアは本邸から離れた別邸へと移動させられた。
(あの時のお父様の顔ったら。思い出しただけで笑いが込み上げてくるわ)
1人っきりの部屋で食事をしながら、思わず笑みをこぼしてしまう。
パンとスープは魔法で温めれば幾分かましになる。それでもだいぶ不味いけれど。
当然、そのようなルシェリアを世話するメイドとしては気が気でない。父の命令に背くことも出来ないが、ルシェリアの魔法の被害を被りたくもないだろう。
そのため、最低限の接触だけで済ませたいという彼女達の気持ちが、痛い程伝わってくる。
(私としては、別にメイドを付けてくれなくてもいいのだけれど)
スプーンを机上におく。
だいぶ頑張ったので、スープは完食することができた。
それでもなんだか外の空気を吸いたくなったので、立ち上がって窓を開く。
外からの爽やかな風が頬を撫で、ピンクブロンドの髪をさらりと揺らす。
外に広がる庭は、今まで使われていなかったにしては手入れが行き届いていて、花壇にも美しい花々が咲いていた。
窓枠にもたれかかるようにして、花壇に咲く花を眺める。蝶が色とりどりの花々の上を舞い、純粋に綺麗だなと感じた。
ふと視線をあげた先には、白く聳え立つこの国の王城が見える。輝く城と、その城下町は当然ながらこの国で最も華やかで、栄えている場所である。
(……………まだ)
王城を眺めていると、少し思うことがあって思考に沈む。
思い浮かべるのは、幼少の頃に1度だけ会った人。
(アルヴェリス殿下は、まだ婚約を解消なさらないのかしら)
父がこれ程まで嫌っているルシェリアにまだメイドをつけているのは。
もちろん、メイドを通して嫌がらせをしたいという理由ではない。おそらくはそれもあるが。
彼らは、ルシェリアを正当な理由なく邪険に扱うことが出来ないのだ。
(今のコレは、私が魔力暴走を頻繁に起こす、という正当だと取れる理由が一応ある)
とはいえそれは後付けの理由だ。母アリアナが亡くなった瞬間からルシェリアは軟禁されていた。
危険だから隔離する。もしもの時の被害を少なくするために、メイドも最小限にするが、公爵令嬢であるから完全にメイドをゼロにすることはしない。
完全に放置することが出来ないからこそ、手入れの行き届いたこの離れに住まわせたのだし、ここが王都の中であるのだ。
ではどうして、彼らはルシェリアを蔑ろには出来ないのか。
(…………結局、アルヴェリス殿下とお会いしたのは婚約者としての顔合わせが最初で最後だったわ。深い海の様な群青の瞳が印象的な方だったけれど)
それは、異母妹が公爵家にやってくる前にルシェリアが婚約した相手、この国、パラメキア王国の第二王子であるアルヴェリス・リア・パラメキアに起因していた。
そうはいっても、彼は婚約者には全く興味がないらしい。隔離されていたせいもあって、婚約者として最低限の贈り物や手紙のやりとり、夜会でのエスコートも程遠いものであった。
それどころか最近では、異母妹のアイリスと親しげにしているとの噂もある。隔離されているルシェリアに届く様な噂だから、信憑性は微妙ではあるが。
(……………お父様も、高頻度で魔力を暴走させる私が第二王子の婚約者であってはならないと、必死で主張しているようだけれど)
要はアイリスを代わりに婚約者に当てたいのだろう。そうすれば邪魔なルシェリアを晴れて勘当することが出来て、権力も手に入るのだから。
(アルヴェリス殿下は、未だその主張には応じていないようね。もしくは、応じられないのかしら)
窓下に広がる花壇を一瞥してから、すっと目を細める。
(ここまでしているのに、まだ)
白く美しい王城を、疎ましく思わざるを得ない。
窓枠に肘をついて、小さく息を吐いた。
「…………どうすれば………っ?」
そうして瞑目して思案していると、俄に人の気配を感じた。
反射的に目を開いて顔を上げる。そして直ぐに視界に写った輝く空色の瞳を認め、目を見開いた。
「やぁ、ルーシェ」
ルシェリアを愛称で呼んだその人は、窓から身を乗り出すようにして窓枠を押さえつけ、柔らかな笑みを浮かべてそこに佇んでいた。
ルシェリアはそのまるで芸術品の様な美貌をみて、ぱちぱちと何度か瞬く。
「………………ジーク」
「いつもの屋敷に居ないと思ったら、こんな所にいたんだね」
「………………」
「今度は何をしたの?ついに妹さんを返り討ちにしちゃった?」
「………………」
「どしたの?」
無邪気に、目の前の青年は首を傾げる。
不審者まがいのことをしているのに全く悪気の無さそうな目の前の人を見上げ、複雑な気持ちになった。
(私、この人に何も言っていないのに。どうやってここを特定したのかしら)
そうしてキラキラと輝く空色の瞳を見つめていると、彼はふっとはにかむ。
彼はぐいっと顔を寄せて、ルシェリアの薄いピンクブロンドの髪を掬いあげて言った。
「………とりあえず、中に入れてよ」