6. 配信の向こう側
配信するイーブンと
配信を観るインゲン
その視線が交わる時、時間は動き出す。
父を失ったはずの娘は、画面越しの誰かに惹かれていく。
静まり返った待機室の壁に、先ほどまでの戦闘ログがぼんやりと映っている。
AR HUDの残滓が、視界の端でゆらゆらと揺れていた。
鏡の破片が床に散らばっているような錯覚。フリルの端がかすかに揺れている。
そして、仮面越しに映った“あの瞳”。
「……まだ、尾を引いてるな」
休息用にと用意されている紙コップタイプの自動販売機にカードを当てて、カプチーノのボタンを押す。ここのは自分で砂糖を入れるシステムだ。
そして口元にコップを運ぶ。
仮面を外すことはしなかった。いや、外せなかった。
イーヴン──今の俺にとって、この仮面はただの演出用ギアじゃない。
素顔に戻ることを赦さない、最後の殻だった。
『血に飢えた狼』
『#鉄狼再来説』
『仮面の中身が気になる』
『この声、どこかで聞いたような……』
──HUD上をタグが走る。
ログの中で踊る視聴者の文字列が、皮肉にも昔を思い出させてくる。
鉄狼。
大神鉄也。
かつての俺が背負っていた名だ。
仮面の下で、口元がひきつる。
『鉄』は、俺の名字の一部。大神の『がみ』は、訓読みで『かみ』……つまり狼と読ませて、くだらない当て字で作っただけの二つ名だった。
だけど。
あの頃の俺にとって、それは本気だった。
「……バカだったな。血に飢えた狼、だとよ」
初めは、ただ養育費のためだった。それだけが絆に思えて。
職を失ったとき、最初は給料の良い長距離トラック運転手を考えていた。
ダンジョンが出来、一山当てれば大きいと聞き、保険金を増額し名義を娘に書き換えた上で登録した。
だが、名前が知られて、映える動きを求められて──
強くなければ、映えなければ、愛されなければ……そんな思いが、仮面を重くしていった。
MP5を整備台に置きながら、俺はふと、仮面の左耳に結ばれたリボンを指で弄る。
あの時のままだ。あの時は、シューティンググラスの左側に付けていたっけ。
くだらないノリでつけた、小さな赤いアクセント。
それでも、娘との唯一の絆に思えて、外せずにいた。
だが、配信中──一番目立つのは、決まってこれだった。
仮面が目を隠し、声が変わっても。
リボンは、変わらず“そこに在る”。
まるで、「お前はまだ鉄狼だ」と言われているようで──
俺は、ゆっくりとログウィンドウを閉じた。
「……俺はイーヴンだ」
そう口にしてみても、仮面の内側には、大神鉄也という名が、まだくすぶっていた。
* ☆ * ★ *
自宅に戻っても、まだ整理がつかずにいた。
あえて落ち着くために、ティーバッグではなく、ポットにアールグレイの茶葉を入れる。
湯を注ぎ、蓋を閉じ、数分の静寂。蒸気と共に、過去の影がよみがえってくる。
……気付くと、PCのサイドディスプレイに関連動画の自動再生が流れていた。
──『血に飢えた狼、最終回ダイジェスト』
そこには、かつての俺──鉄狼と呼ばれていた頃の自分が映っていた。
ブーツで砕けた瓦礫を跳び越え、身を翻して銃を構える。
流れるような動作、殺気立った視線、翻るリボンが銃声に合わせて空気を裂く。
アクロバティックな動きでこそ無いが、経験を積んだものだけの持つ無駄の無い、同時に力強い動きがそこにはあった。
『……これが本物か』
『やっぱこれだよな』
『鉄狼の動き、キレッキレ』
『ガチで伝説の封印回』
仮面越しの自分とは違う、むき出しの殺意と覚悟がそこある。
「……俺じゃない。もう、違うんだ」
言い聞かせるように呟き、俺は動画をそっと停止した。
けれど、その映像は確かに焼きついていて……
あの動きの力強さに、自分の影が霞む。
──でも、それでいい。
俺は、もう血に飢えた狼じゃない。
仮面をかぶって、笑って、滑って、ネタ枠として、それでも──生きている。
それだけで、いいじゃないか。
そう、呟いてみた。
その瞬間、通知音が鳴る。
〈NeoTask社よりコラボ案件:仮面配信者【Even】に打診〉
「……マジかよ」
苦笑しつつ、マウスを傾ける。未来は動いている。こちらの覚悟とは関係なく。
* ☆ * ★ *
その頃、別の場所。
インゲン・ブレイドは、寝転んだ姿勢のまま、タブレットを顔の上に掲げていた。
『血に飢えた狼、最終回ダイジェスト』──そのタイトルが画面上に滲んで見える。
再生を押す指が、少しだけ震えていた。
銃声、リボン、空を裂く動き。
「パパ……やっぱり違う」
そう、呟くことで安心しようとしていた。
仮面の配信者が父であるはずがない。
名前も違う、声も少し違う。たまに似てるけど、それは偶然、よくある話だ。
──偶然、だよね?
タブレットの動画を閉じ、思わず立ち上がる。
手が勝手に、キッチンの戸棚を開けていた。
「……別に、好きってわけじゃないけどさ」
インゲンは呟きながら、ティーバッグを取り出す。
熱湯を注ぎながら、鼻先にふわりと立ちのぼる香りに、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。
アールグレイ。パパがよく淹れてたやつだ。
「別に……落ち着くだけだし」
自分に言い聞かせるように口にして、湯気の向こうの記憶をかき消した。
* ☆ * ★ *
仮面を被り直し、配信の準備を整える。心の中で、決意を新たにする。
「俺は、俺のやり方で進むしかない」
視界の中央に、次の探索ダンジョンのエントリー通知が浮かぶ。
【To be continued】
お読み頂きありがとうございます。
今回はインゲン視点での配信鑑賞パートでした。
視聴者である彼女が、過去と向き合いはじめる場面です。
些細な違和感が、“もしかして”という確信に近づいていきます。
次回は、二人の距離がまた一歩近づきます。