31. 跳ぶ者の覚悟
イーブンは、新たな装備とともにダンジョンへ挑む。
重力を裏切るような動きと、旧式の拳銃が生む静かな説得力。
その陰で、狭間優真の仕事にも変化が――。
小気味よいスライドの金属音と共に、手の中の小さなベレッタが静かに鳴いた。
「これが今日の主役、ベレッタM1935。
戦前のイタリア製で、32ACP、つまり7.65mm弾仕様」
カメラに向かって銃を掲げ、俺は微笑んで見せる。
淡い光沢を帯びた古風な自動拳銃。そのシルエットは、時代を超えてなお洗練されていた。
「軽くて、リコイルも少なくて扱いやすい。……でも、弾数は八発しか入らないし、安全装置は180度回転式。今の基準じゃ、まあ正直時代遅れかな」
コメント欄が即座に反応を返す。
『珍しい銃だな』
『レトロ感あって好き』
『それ、ジョジョで見たやつ?』
「レトロ好きには堪らないでしょ?
実戦じゃ厳しいけど、今日の雰囲気には合ってるでしょ?」
黒のレースをあしらったゴスロリ衣装が、石床の上でふわりと揺れる。
『あ、ご婦人向けw』
『まさかの英国スパイネタwww』
薄暗いダンジョンの回廊が、レンズ越しに不気味な静寂を漂わせる。
俺は短く息を整え、一拍置いて――走り出した。
乾いた足音が、響く。
視界は一気に加速。ドローンカメラが慌てて追い縋るが、彼の動きはあまりに異質だ。
突如、目の前の壁へ――“駆け上がった”。
片手を壁に触れ、まるで引力そのものを書き換えるように、垂直面を三歩。
そこから重心を転回させ、空中で体をひねる。
着地したのは天井。
さらに梁を蹴り、回廊の反対側へと一直線に“跳んだ”。
『は?今の何!?』
『軌道が曲がったぞ!?』
『慣性どこ行ったwww』
『まじでグラビティチート』
着地の瞬間、片足で軽やかにバランスを取り、壁を蹴って反転。
まるで空気中に“架空の足場”があるかのような挙動だ。
滑る、跳ねる、捻る、舞う。
彼のパルクールは、現実の物理方則《ニュートン力学》をあざ笑う。
――と、その時。
金属質の羽音が背後から急襲する。
鋭い脚と硬質な顎を備えた、二匹の昆虫型モンスターが壁面を這いながら飛びかかってきた。
「っと――そっちか」
動きに淀みはない。
踵を軸に身体を捻り、そのまま逆手に構えたM1935を素早く抜く。
パンッ! パンッ!
連続する乾いた発砲音。
小口径の弾丸が正確にモンスターの複眼を撃ち抜いた。
一匹は天井から弾き飛ばされ、もう一匹は痙攣しながら床に落下。
動きが止まるまで、わずか二秒。
『すげえ……』
『今の一撃で!?』
『やっぱイーブン姐さんだわ』
『古い銃でも当てれば勝ち!』
俺は銃口を下げ、静かに指を伸ばしてセーフティを戻す。
「クラシックでも、決めるとこ決めれば問題なしってね。
って、誰だよ、姐さんって書いたの」
軽くウィンクを投げかけ、すぐさま次の跳躍に移る。
その動きは、まるで世界の物理法則が“彼女にだけ都合よく”書き換えられているかのようだった。
☆ ♂ ▽ ♂ ☆
――品質保証部門の一角
現場監査用の帳票が並ぶデスクで、狭間優真は眉間に皺を寄せていた。
「……あれ、図面と違うな」
納入済みのユニットから不良が出たという報告を受け、優真が自主的に回収して調べた結果だった。手に持った部品の固定用ブラケットが、図面記載のR(曲げ半径)と異なっていたのだ。
すぐに、彼は現場へ足を運んだ。
「すみません、この部品、どこで成形してますか?」
「ええと、Cラインですね。なにか問題でも……?」
淡々としたやり取りの末、現場リーダーがしぶしぶ口を開いた。
「……実は、ちょっとだけ機械をいじってます。段取り時間を短くするために」
そこから先は早かった。
優真はただちに問題を品質会議で報告、生産技術と設計に確認を求めた。結果は、危うく製品強度を損なう重大な改変だった。
生産技術部門長が苦い顔をする。
「このまま出荷してたら、客先クレームになってたかもな……」
設計側のエンジニアも驚いたように頷いた。
「これ、量産承認の範囲を逸脱してます。戻しましょう、至急」
現場リーダーは渋い顔を浮かべたままだが、問題の本質が明らかになったことで反論はなかった。
会議後、静かな食堂で昼食を取っていると、背後から声がかかった。
「お疲れさま、狭間くん。……いや、君が営業のときは、あまり良い印象がなかったんだけど」
振り向くと、生産技術部の課長が笑っていた。
「でも今日は、本当に助かったよ。現場に嫌われても、自分の判断で止められる人間って、貴重だ」
「ありがとうございます……」
照れくさそうに目を逸らしながらも、どこか誇らしげな優真の表情。
少し前までは、自分の保身ばかりを考えていた男だ。それが今は、正しさのために前に出ることができている。
その姿は、誰よりも、かつての自分を裏切っていた。
☆ ♂ ▽ ♂ ☆
都内某所。木々の緑が揺れる企業ゴルフコンペ会場のクラブハウス。ラウンドを終えたばかりの村山専務は、控え室で一人、タオルで首筋を拭いながら、表情を崩すことなく水を飲んでいた。
「専務、お疲れ様です。NeoTask社の役員と同組でしたよね?」
同行していた秘書が声をかけると、村山は一瞬だけ目を細めた。
「……ああ、“お疲れ”にはなったな」
短く返すその声音は、いつになく低かった。
――つい数時間前、あいさつ代わりにと気軽に話しかけたつもりだった。
『うちの企画部が、色々とご迷惑をおかけしたようで……』
その瞬間、NeoTask社の役員の顔に浮かんだ、まるで氷水をかぶったような冷たい目。
そして、乾いた声で返された。
『……なぜ、企画部が関係するのです?』
続けて「企画部に謝罪させます」と告げた時の、あの明確な“拒絶”。
『企画部関係ないって言いましたよね?』
思い出すだけで、村山の背筋に薄ら寒いものが走る。
あの場では平静を装ったが、心中では「恥をかかされた」という怒りと、「事態の本質を何も掴めていなかった」という自己嫌悪が交錯していた。
彼は、そっと携帯端末を取り出し、メモアプリを開く。
そこには既に数件の指示事項が箇条書きで入力されていた。
・加藤部長および舟橋課長の関与範囲について、人事・法務を通じて確認
・NeoTask社開発部との接触履歴・会話ログの回収
・内部通報制度の活用を促す匿名告知(対象部門:開発、品質保証、企画)
・村山宛の報告ルートを別途設定、専属監査担当者を一時付与
書き終えた村山は、静かに言葉をつぶやいた。
「……“報連相が不徹底”か。ずいぶんな言い訳だな、藤波」
怒号も叱責もなかった。だがその言葉には、明らかに底冷えするほどの怒気があった。
表向きは藤波担当執行役員の担当する品質改善会議に紛れる形で、独立調査はすでに走り始めている。
そして村山は思った。俺を恥かかせた報いは、きっちり返してやるさ。
その事を、いずれ加藤と舟橋は思い知ることになるだろう、と。
☆ ♂ ▽ ♂ ☆
「……俺が、ですか?」
品質管理部門の会議室。優真は、思わず口にした自分の言葉に、自分でも驚いていた。
「そうだよ。ISO関連、特にこの工場の運用に関しては、君が一番現場に精通しているし、実直にやってくれてる。
次の更新審査に向けて、そろそろ新しい責任者を立てる時期なんだ」
部門長は、柔らかな笑みを浮かべたまま言葉を続けた。
「もちろん、今すぐってわけじゃない。課長ポストも含めて、タイミングを見て正式に推薦するつもりだ。驚かせて悪かったな」
優真は椅子に深く座り直し、手元の書類を無意識に整えながら視線を伏せる。
「……はい。正直、ちょっと、信じられなくて……」
「認められたら素直に喜んでおけよ」
部門長は笑って言った。その一言が、妙に胸に響いた。
「……はい」
小さく、しかし確かな声で答えた。
○ ★ ○
――その夜、自宅の食卓。
「……というわけで、まだ決定じゃないけど、ISO関連の責任者として、推薦してもらえるかもしれないって」
優真の言葉に、食卓の空気が一瞬だけ静かになった。
「おとーさん、すごいじゃん!」
先に声を上げたのは優翔だった。無邪気な笑顔で両手を上げる。
「え、課長って……おとーさん、出世ってこと?
おかーさんとおんなじになるんだ」
美菜も口を開いた。
「まだわかんないよ。でも、頑張ったのは……間違いないかな」
照れくさそうに言う優真に、美沙はそっと笑みを浮かべた。
「ちゃんと、自分で掴んだんだね。……おめでとう」
そして、対面の席。翠は、少しだけ視線をそらしていたが、ぽつりと言った。
「……よかったじゃん。真面目にやってるって、報われることあるんだね」
一瞬、驚いたように彼女を見る優真。インゲンは、それに気づいて視線を戻し、わずかに口元を緩めた。
「あ、別に……変な意味じゃないよ。おめでとうって言いたいだけ」
「……ああ。ありがとう、翠」
ぎこちない空気の中に、確かにあった温度。
完全に解けたわけじゃない。しかし、それでも一歩、確実に前に進んだ気がした。
【To be continued】
今回も最後までお読みいただき、ありがとうございました。イーブンの華麗な配信と、旧式拳銃M1935の活躍。並行して描かれるのは、かつて臆病だった男の小さな勝利。そして村山専務が動き出したことで、加藤・舟橋への報いがいよいよ現実に……。
次回、イーブンも見付けるトマソン。そして美沙にも心境の変化が。




