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3. 狼と呼ばれた男

前回、娘は知らずに父へ言葉を届け、

父はそれを“気のせいだ”と打ち消そうとしました。


今回はその余韻の中、

かつて“鉄狼”だった男が、仮面のままで日常に戻ろうとする場面です。


けれど、声は耳を離れず。

過去は、滑る足元にまだ、微かに残っていました。

ダンジョンの出入り口に近い街。

都市中心から少し離れたこの駅も、ダンジョン需要でかろうじて息を吹き返している。

といっても再開発が進んだわけじゃない。かつてのシャッター街に、探索者向けのショップや中古ギア屋が入って、それっぽい賑わいを見せている程度だ。


その街の駅前から、さらに少し奥へ。

見落とされそうな細い路地に面した、築古の雑居ビルの五階。

いわゆるワンルームマンション。

それが、今の俺──直江竜胆としての仮住まいだった。


この部屋には、必要最低限のものしかない。

ベッド、配信用のギア一式、編集用のPCとモニター。

壁際には乾燥食品とレトルトパックが雑に積まれ、どこか“生活していない”匂いが漂う。


銃──つまりダンジョン内で使う武器は、原則として持ち出しが禁止されている。

規則というよりは、“トラブった時に面倒くさい”という探索者間の共通認識だ。

街を歩いていて職質され、携帯許可証の提示を求められたら、時間を取られる。

だから大抵は、ダンジョン入口に併設された管理局のロッカーに預けて帰るのが普通だ。


登録済みの探索者には、標準で一つ貸与される。

それ以上は有料。少しでも大きな銃や複数本の武器を使う連中には地味に痛い出費になる。


──俺の装備も、今はそこに預けてある。


今夜は配信をするつもりはなかった。

日課の動画編集も、何となく指が進まない。

胸の奥が、妙にざわついていた。


俺は、流しの横に置いていたティーポットに手を伸ばす。

紅茶党を自称するくらいには煎れるのが好きなんだが、今夜はどうにも“香り”が刺さる。


ティーカップを棚に戻し、代わりに手に取ったマグカップにティーバッグを落とす。

電気ケトルの湯が静かに沸騰し、カップに湯を注ぐと、

ほんのり渋い香りが立ち昇る。けれど、それすら落ち着かせてはくれなかった。


俺はそのまま、椅子に沈み込むように腰を下ろし、PCの電源を入れる。

起動音が響く中、意識の奥には、ずっと──あの“声”がこびりついたままだった。


階段を登りきった後も、ずっと頭にこびりついていた。

あの瞬間、確かに聞こえたのだ。


『……とう、さ……ん……?』


ノイズのせい。通信の干渉。偶然。幻聴。

なんでもいい、なんでもいいから──あれが本物じゃないと言ってくれ。


でも、無理だ。


俺には、わかってしまった。

あれは、間違いなく“彼女の声”だった。


一度、手放した。失ったはずのその声が。

柔らかくて、か細くて、俺の名前を呼ぶためにだけ発されていたあの響きが──


(違う、違う……違えよ)


舌打ちを噛み殺す。

心臓の鼓動が早まっていく。


戦場でもないのに、俺の中の逃げたかった現実が、這い寄ってきていた。


△ ▼ △ ▼ △


配信ログを確認する。音声フィルタにノイズデータが記録されていた。解析にかければ、音素も文節も拾えるだろう。でも、それをするのは──怖かった。


あれが彼女の声だったと、確認してしまったら。


「……こっちから、手は出さないって決めたろ」


口に出すことで、かろうじて自分を縛る。


彼女はもう、別の名字を名乗ってる。

俺のことなんか忘れて、新しい人生を歩いている。

そもそも俺自身、違う名前で生きているんだ。


忘れていいように……いや、忘れ去るために全部を切り捨ててきた。

切り捨てたはずだった。


それなのに──たった一言で、あっさりと全部を引きずり戻された。


なにが“父さん”だ。


あの呼び方は、過去に置いてきたはずだったのに。

胸の奥が、どうしようもなく疼く。


(……だから、聞きたくなかったんだよ)



その時、通知欄に、見慣れない名前が浮かんでいる事に気がついた。


〈Ingen Bleid〉


コラボ候補の自動照合タグに出てきたリストの中。パッと見では普通の探索者名だ。奇抜なアバターと、妙に高いリアクション率。


でも、その“Bleid”という響きに、胸がざわついた。


(……“ブレイド”ねぇ)


単なる偶然かもしれない。でも──あいつ、豆が嫌いだったくせに「インゲン豆好き」って名乗るか?


ふと、昔の記憶が頭をよぎる。


『ねえねえ、これって何?』

モニターを覗き込む小さな娘が、画面の単語を指差して聞いてきた。


『ああ、古代のガリア語……いや、ケルト語かな?

……って言ってもわからないか。昔のフランスとかイギリスとか、もっと前のヨーロッパで使われてた言葉だよ』

『インゲン? お豆さん?』

『あはは、日本じゃそうだけど、これは違うんだ。古代ケルト語では娘って意味らしいよ』

『じゃあ、あたし、パパのインゲンなんだ!』


小さな声と、弾けるような笑顔がよみがえる。


……やめろ。考えるな。

ブレイドの意味を知ってるはずなんて無いんだ。

そもそも向こうがどう思ってるかなんて、俺には関係ない。


△ ▼ △ ▼ △


気分を変えようと、衣装リストをスクロールする。


無意識だった。だが、指が止まったのは──あの格好だった。


──ゴスロリ衣装。


きっかけは覚えていない。リスナーに「一回やれ」と言われ続けて、ずっとスルーしてきた。たぶん、バズるためには絶対これ、みたいなテンションだったんだろう。


(……これで、声を払うか)


椅子を押しのけて立ち上がる。

「よいしょ」とおっさんくさい掛け声をつけながら、壁に組み込まれたクローゼットを開けた。


中にあるのは、ダンジョン探索用のコットンシャツやタクティカルパンツが数着。あとは買い物用のシャツとチノパンが2セット。衣類はそれだけだ。


しゃがみ込み、クローゼット下段の棚を探る。


「……あったあった」


買ったままの状態で、ビニールの包装に包まれた黒い服。値札すら付いたまま。ずっとしまい込んでいた代物だ。


袋を破いて、ベッドの上に広げていく。


黒を基調にしたスカートドレス、レースとフリルが過剰なほどあしらわれたブラウス、編み上げのショートブーツ。

肩には透け感のあるチュール素材が使われ、袖口には細かなリボン。

チョーカーはレースに銀のチャームが縫いつけられている。


そして、衣装の脇に同梱されていた、特注のヘッドセット。

配信用カメラを装着しても違和感が出ないようにと、衣装とセットで購入したはずだった。

ベースの黒い装甲とメッシュ部分は、全体に合わせてマットブラックで統一されている。


ただ、なぜか、左耳の側面には赤いリボンが結ばれている。


いつ付けたのかは記憶にない。多分、あのとき誰かに言われて、ノリで結んだまま外してなかったんだろう。

見た目は完全に可愛いを狙ったそれ。けれど、今の俺にはむしろ“仮面”にちょうどいい。


そうさ、視聴者を笑わせるネタを演じる。性別を濁したまま、キャラを誤魔化し、イロモノで通す。

血に飢えた狼なんて異名は、ゴスロリの時点で台無しだ。

もう俺は、オオカミなんかじゃない。


「いいじゃねえか……バカバカしいぐらいで、ちょうどいい」


父親という立場を、こうでもしなきゃ押し殺せないなら──ネタでもなんでも使ってやる。


やれる。


やってやる。


「次の配信、決まりだな──“黒フリルで血飛沫”っと」


わざと軽口を叩く。

その声が、かすかに震えていたことに、俺は気づいていないはずだった。


【To be continued】



お読み頂きありがとうございます。

第三話は、イーヴン視点に戻っての“迷いの時間”でした。

彼がなぜ仮面をかぶり、どこまで自分を偽っているのか──

「お父さん」と呼ばれてはいけない。

そう思うほどに、その声が離れない。

そして、次回。

彼はついに、とっておきの“ネタ衣装”に手を伸ばします──

どうか見届けてください。

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