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25. 静かに怒る者

表の顔はネタ配信者。

だが、その仮面の奥で、確かに“怒り”は存在していた。


俺は一度、壁の上に身を預け、深く息を吐く。白いゴスロリ装備が汗で張り付いて少し重たいが、案件の装備としてはよく動ける部類だ。

そして――

白と黒のゴスロリが、朽ちた回廊を駆け抜ける。崩れた石の隙間を跳ね、吊り橋の上で身を翻す。俺の動きに、黒が続き、時に先んじる。呼吸も心拍もぴたりと合う奇跡。ドローンがそれを必死で追っていたが、とうとう見失ったらしく、コメント欄がざわついた。


『白、速すぎてドローン見失ってんぞ!』

『なんか……人間やめてない?』

『黒も負けてない、すげぇよこれ……』


画面に一瞬映る、黒い仮面に獣の牙を彫り込んだセンサー。あれは、あいつの弟妹が作ったって言ってたな……。

(ああ、やっぱりお前だろ、インゲン)

名乗っていない。だが、俺にはわかる。動きも、息遣いも、何より間の取り方も、全部あいつだ。だが、リスナーには言わない。それは、あいつの意思に任せる。


「今日はここまで。休憩所に入るぞ」


黒と並んで足を止めると、拍手のようなコメントが流れる。


『白黒最高だった!』

『マジで映画かよ……』

『案件だとしても、やりすぎだろ!』


笑いかけたそのとき──。


『また企業案件かよ、裏金でももらってんじゃねーの』

『この白いの、昔はネタだけだったのに、最近気取っててキモい』

『黒い方、偽者じゃね? 本物の鉄狼だったらもっとゴリ押ししてた』


……出たな、例の連中。


「……ま、予想通りか」


俺はつぶやきながら、仮面の下で口角を上げた。


すると即座に、リスナーたちが反撃を開始する。


『はいはい、工作員乙』

『いつもの粘着。お前らのせいでコラボ止まったらどうすんだ』

『企業案件=悪って中学生かよ』

『黒の人の動き見た? 少なくとも中身は本物やぞ』


俺は深呼吸して、予定していた締めに移ろうとした……その瞬間だった。

『あの黒いのって、例の托卵女じゃね? 親が間抜けなら……』


──静かに、何かが切れた。

何も言わずにスルーするのが正解だと、頭ではわかっている。

だけど。

インゲンのことを、そんな風に言われて──俺が黙ってられるかよ。


「……開示請求無しでいけるな」

気がつくと、言葉が漏れていた。

ドローンのマイクは、その声を拾っていたらしい。


『え?』

『今のって本気……?』

『いや、笑ってるけど怖……』

『ちょっと落ち着いて!』


慌てたのはコメント欄だけじゃない。黒──インゲンも、一歩俺に近づいて手を振る。


「……っと。悪い、みんな。今日はここまで。案件的にも、これ以上続けると怒られるしな」


俺はそう言い残して、強制的に配信を切った。


画面がブラックアウトする寸前、かすかに映ったのは、黒の仮面越しに俺を見つめる、どこか戸惑ったような、でも安心したような目だった。


(守ってぇに決まってんだろ、バカ)


だが……

あのコメント、間違いなく仕組まれてた。匂いがする。しかも、ピンポイントでこっちの痛いとこ突いてきた。知ってる奴が書かせてる。


(……さて、どこから手をつけるか)


心の中でだけ、呟いた。


□ ★ △ ★ □


社員食堂横の会議室。ネームプレートには「使用中:法務連携会議」と磁石で貼られている。

中村はタブレットを机に置いたまま、モニターに繋がった配信映像のログを巻き戻していた。

その表情は険しいというよりも、呆れに近かった。

「……これ、完全にアウトっすよね?」

彼の隣に座る法務部の山岸が、缶コーヒーを机に置いたまま顔をしかめた。

画面上のコメント欄には、明らかに誹謗中傷と断定できる一文が一時停止で映し出されている。

『例の托卵女じゃね? 親が間抜けなら……』

「……うわぁ、やべぇな。誰か止めなかったのかよ」

「一線越えてるわよこれ、マジで」


広報と法務が半々の混成チーム。とはいえ、ここまで来ると軽口も出ない。

しかも今確認していたのは、例の“ゴスロリ案件”で配信中だった仮面の配信者と、あの黒装束の少女が共演していたタイミング。

「今朝から記録は継続モニターに入れてます。機材情報からユーザー情報は引っ張れるはず」

山岸が淡々と発言し、隣の清水(法務調査)が補足する。

「それ、開示請求かける口実として十分っすよ。うちが直接じゃなくて、ギア運営から通知出す形で。

プロバイダ責任制限法の例外条件、十分に満たしてる」

「でも一つ引っかかってんだよな……

例の会社の加藤って部長、配信カードの効力、完全にナメてたらしい」

清水がふと小さく笑った。

「証明が無効化できるって本気で信じてたらしい。書面の真正性は電子証明と連携済みって説明されて、役所に門前払い食らったってさ。向こうの若手が漏らしてた」


「アホかよ……

あのカード、ギルドと内務省の協定で公的証明扱いなんだけどな……

偽造したら普通に公文書偽造幇助だろ」

「いや、そこなんだけどさ」

もう一人、技術契約系の担当者が資料をめくりながら加勢する。

「加藤氏、うちとの過去の契約文書も勝手に改竄しようとしたらしい。

原本と照合かけたら相違点出てきた。

これ、悪質だったら詐偽も視野」


ざわつく空気。誰かが深くため息を吐いた。

中村は少し間を置き、話をまとめるように言った。

「……うちとしては、特許詐偽・損害賠償請求・公文書改竄幇助等の可能性があるとして法的措置を検討中ってことで、担当役員宛てに通達文を起草しといてください」

「了解。

ただ、いきなり通告状送ると外聞が悪いから、一度役員同士での打診を経由させましょう。荒事はその後」


「それでいい。俺、稟議通すから。

……にしても、あの加藤っての、ホントにバカだな……」

タブレットの画面では、あの白と黒のパルクールがまだ華麗に舞っていた。

その裏側で、一つの会社の黄昏が始まりつつあることを、誰も疑わなかった。


□ ★ △ ★ □


――狭間家――


夕食の食卓に、久々の五人がそろった。

食卓には、美沙が手作りした唐揚げ以外にスーパーで買ってきた惣菜を丁寧に盛り付けた皿が並び、いつもより少しだけ豪華に見える。


「なんか、最近忙しくないよねー」と、優真がぽつりとつぶやいた。

「うん。前は毎晩帰るの遅かったけど、最近は夕方には帰れるし」と、美沙も同意する。

「じゃあ、これから毎日一緒にご飯食べられる?」と目を輝かせて訊くのは、優翔。

「やったー! 家族でごはんって、なんか楽しいよね!」と、美菜が両手を上げて笑った。


そんな無邪気なやり取りを、翠――インゲンは、どこか気まずそうに見つめていた。

箸の動きはぎこちなく、笑顔も硬い。自分の存在が、この輪に混じってよいのか、いまだに確信が持てないままだ。

(……わたしがここにいて、いいの?)


胸の奥にひっかかるものを抱えたまま、煮物を口に運んでいた、そのときだった。


「ねぇ、『托卵』ってなに?」

優翔の無邪気な一言が、食卓の空気を一変させた。

美沙の手が止まり、翠は飲みかけの味噌汁でむせかける。

「……っ、どこでそんな言葉を?」と、優真が眉をひそめて問い返す。

「パンダさんの配信で、コメントに出てたよ?」

「『托卵のくせに態度でかい』とかなんとか、よくわかんないけど変なのーって思って……」と、美菜が補足する。

優真は苦笑しながらも真面目な顔で言った。

「うーん、それはね……ちょっと下品な言葉だから、あんまり使わない方がいいよ。意味は、もう少し大きくなってから教えるから」

「はーい」と素直に答える二人に、ひとまずその場は収まった。


だが、翠の心はぐらついたままだ。

言葉の意味を、彼女は知っていた。

そして、その言葉が――誰に向けられたものかも。


隣に座る美沙は、動揺を隠そうと必死だった。

視線を合わせようとせず、黙って茶碗の中のご飯を見つめている。

(……まさか、気づいた?優翔くんも、美菜ちゃんも……)

食卓に広がる沈黙は一瞬で、それを破ったのは、優真の何気ない一言だった。


「なあ、美沙。……翠ちゃんってさ、昔からちょっと俺に距離あるよな。俺、なにか嫌われることしたかな」


その言葉に、美沙はビクッと肩を震わせた。


「そ、そんなこと……ないと思う。ただ、あの子、ちょっと人見知りなだけよ」

絞り出すような声で、そう答える美沙の顔には、薄く冷や汗がにじんでいた。

優真は、その様子をじっと見つめ――その目の奥に、疑念の色が滲み始めていた。



【To be continued】


最後までご覧いただきありがとうございます。仮面の配信者が守ろうとしたものと、それを貶めようとする声。リスナーと家族、そして姿を見せた、かっての因縁。

次回はパルクール配信の再始動と、揺れる家族、そして敵が描かれます。どうぞお楽しみに。

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