16. 交錯の兆し
静かな夜、旧友との邂逅と、過去の記憶が静かに蘇る。パンダと少女、二つの配信が交差する。
アールグレイの香りは、いつもより少しだけ強かった。
配信を終えて、帰宅後。
ゴスロリの上着だけを脱ぎ、仮面を外した俺は、静かな部屋で電気ポットを沸かしていた。
「……仮面のまま帰るの、マジでやめるべきだったな」
誰に聞かせるでもなく、そうぼやく。
視界の端、配信デバイスのサブモニターが、先ほどの配信のコメントログを繰り返し流していた。
『#親子で迷宮ダンス』
『やっぱパパでしょこれ』
『可愛い娘にしか見えんのよ』
『親子なら配信デビューも納得』
『#鉄狼の遺伝子』
「……んなワケねぇだろ。俺にこんな可愛い娘なんて……」
口にして、すぐ、言葉が途切れた。
それは、誰に言い訳しているのかもわからない、空っぽな否定だった。
仮面の縁を、右手で撫でる。
その中に残る、あの銃撃の感覚。連携の一瞬。
そして──あの視線。
「……いたんだよな、昔は」
アールグレイの湯気が、少しだけ沁みた。
それは熱さではなく、懐かしさだった。
△ ◆ △ ◆ △
お湯の音が止まり、電気ケトルのスイッチがカチリと鳴った。
着替えを終えて部屋に戻ると、弟と妹がリビングのモニター前に座り込み、録画した配信を見ていた。
「……また見てるの? それ、何回目よ」
「五回目ー!」
「パンダさん、バク転したところ好きー!」
「はいはい、うるさくしないでよね。夜なんだから」
言いながらも、私はリモコンを取って、シークバーを少しだけ巻き戻す。
画面の中では、さっきの戦闘シーンが繰り返されていた。
──イーヴンが滑るように回避し、M29で連携しながら私と背中合わせに敵を制圧する。
──フリルが舞い、赤いリボンが閃く。
──そして──あの視線。
「ねえ、おねーちゃん。あの動きってさ、なんか知ってるっていうか──」
「パンダさんと一緒に動いてるとき、前にも見たような気がする」
その言葉に、私は思わず息を呑んだ。
(やっぱり、似てる……あのときと)
昔、あたしがまだ「青い鳥」を名乗っていた頃──
一緒に訓練した。戦った。守ってもらった。あの人と。
「えーと……ちょっと待って」
タブレットのサイドメニューを開いて、古い配信アーカイブを探す。
不完全な録画ファイル。再生を押すと、あの頃の映像が蘇った。
画面の中で──“鉄狼”と呼ばれたパパが、背中合わせに私と並び、同じ構図で戦っていた。
(構図、動き、タイミング、全部同じ……)
私は息を呑んだまま、膝の上で拳をぎゅっと握りしめた。
「……やっぱり、そうなの? 本当に?」
けれど、答えてくれる人はいない。
ただ、無邪気な弟と妹だけが、画面を見てケラケラと笑っていた。
「そういえばさー」
「今日、お買い物行くときに会ったんだよ」
「……は?」
「パンダさん!」
「仮面のまま歩いてた! ママが“あれ何?”って聞いてた!」
私の思考が、一瞬、停止する。
「え、それ本当に……?」
「うん、ママと一緒にいたとき!」
「チョコレート買いに行ってた!」
(まさか……なんで、そんな偶然──)
思わず、立ち上がった。
手の中のタブレットが、ポトリと落ちて、鈍い音を立てる。
弟と妹は不思議そうな顔をしてこっちを見ていた。
私の胸の中で、静かに、だけど確実に何かがざわめいていた。
(今度こそ……ちゃんと、聞かなきゃ)
△ ◆ △ ◆ △
「ふぅ……」
帰宅してから一時間ほど経っていた。
とっくにゴスロリ衣装も仮面も外して、チノパンに着替えていたが、ソファに沈み込んでアールグレイを煎れたまま、結局冷ましっぱなしだった。
机の上では、さっきの配信のコメントログが自動スクロールしていた。
一応、配信者としては、リアクション確認くらいはやらないと。
でも──
(何なんだよこの盛り上がり方……)
画面には、見慣れたタグが並んでいた。
#血に飢えた狼
#青い鳥との連携再現
#親子説再燃
#鉄狼と娘?
#まさかのDNA繋がり説
#スレッジパンダ最強伝説
#こんな娘が欲しかった人生だった
「誰だよ、最後の……」
肩をすくめつつも、目は自然とスクロールを追っていた。
——問題のシーン。
あの左右同時エネミーを、インゲンと二手に分かれて捌いたところ。
『マジで動きの連携、自然すぎる』
『鉄狼の後期配信と全く同じ動きじゃん』
『鉄狼がM29使ったときも、こんなスライドリロードしてたよな』
『動画切り抜き並べてみた。→比較GIF』
『一致してんじゃねぇか!!』
(マジか……)
クリックして再生すると、十年前の配信と、今の映像が並べられていた。
映像越しでもわかる。動きの流れ。呼吸の合わせ方。射線の避け方。
──確かに、あの頃と同じだった。
「……そりゃ、疑われるか」
仮面の奥の自分を、彼女がどう見ているのか。
怖くて、想像するのも躊躇う。
そのとき、コメントがひとつピン止めされる。
『なあ、鉄狼って娘いたんだよな? 青い鳥って名前で出てたやつ』
「…………」
手元のマグカップに口をつける。冷めたアールグレイは、もう渋いだけだった。
△ ◆ △ ◆ △
玄関のチャイムが鳴った。
時計を見ると、まだ夜の8時前。弟と妹は録画の配信を見ながら、クッションの山で半分眠っている。
ドアを開けると、そこに立っていたのは──
「……久しぶり」
柔らかなトーンと、隙のないスーツ姿。
母だった。
長い髪をきちんと束ね、ビジネス用のバッグを肩にかけて、視線だけがどこか刺すように冷たい。
「あの子たち……ここにいるって聞いて」
「いるよ。中に」
「ありがとう。あなたも元気そうね」
作ったような笑顔だった。
かつて、自分にも向けていた、あの「社交辞令」的な口元の引き上げ。
リビングから「ママ!」と声が響き、駆けてくる弟と妹。
「はいはい、来た来た。いい子にしてた?」
母はしゃがみ込んで二人を抱き寄せ、頬にキスを落とす。
その瞬間だけは、本当に「お母さん」だった。
私は少しだけ距離を取り、玄関の壁にもたれていた。
その視線に気づいたのか、母が立ち上がる。
「……あなた、迷惑かけてないでしょうね?」
「別に、かけてないよ。自分の部屋で配信してるだけ」
「ふうん。あの変な仮面の子と?」
「……まあね」
母は靴を脱ぎながら、リビングのテレビに目をやる。
画面には、偶然にも鉄狼の過去配信が再生されていた。弟か妹が勝手に切り替えたらしい。
モニターに映るのは、あの人の最後の戦い。
銃声、炎、娘を背に守る狼の姿。
母の眉がわずかに動く。
そして、リモコンを取って画面を消す。
「ごめんなさい。こういうの、苦手で」
あの目だ。軽蔑も、嫌悪も、すべてを押し殺して冷たくする、あの目。
でも──次の瞬間。
「ねえママー、この人ね、おねーちゃんのパパに似てるんだよー!」
「うんうん! 仮面してても似てるよ! すっごく!」
弟と妹の無邪気な言葉に、空気が凍った。
母の口元がわずかにひきつる。
「……そんなわけ、ないでしょ」
その声は、さっきまでと違い、鋭く、強く、切り捨てるようだった。
私は、拳を強く握りしめた。
この人は、やっぱり──
自分のことしか、見てない。
私の言葉も、記憶も、存在さえも。
弟と妹を守る良い母であるために、私はもう、要らないのかもしれない。
でも、それでいい。
もう、私は──
誰かに「父」と呼ぶ許可なんて、求めない。
△ ◆ △ ◆ △
仮面が、机の上でこちらを見ているような気がした。
「……もう、逃げ切れないな」
静かにそう呟いて、俺はアールグレイを煎れ直す。
次の配信、その前に。
──少し、話をしなきゃならない相手がいる。
【To be continued】
ご閲覧ありがとうございました。今回は、イーブンと中村主任の旧知が明かされ、配信の裏に潜む過去が少しだけ見えました。次回、家庭に迫る気配と、子どもたちが気づく“真実”が動き出します。