11. 私は青い鳥
仮面の向こう、沈黙の中に滲む確信。少女は“何か”を思い出し始める。
青い鳥は見つけられるか?
灰色の瓦礫に囲まれた通路を、俺たちは黙々と進んでいた。
派手な戦闘を終えた直後というのに、言葉は少ない。
妙な緊張感だけが、背中に張りついて離れない。
仮面の内側で、そっと息を吐く。
(そろそろ、何か聞かれるか……?)
それは、気づいてる気配だった。
インゲンの視線が、さっきからやたらと俺の仕草に絡んでくる。
視界右上のコメント欄がざわついていた。
『#一緒に戦ったの何回目?』
『#鉄狼の教えシリーズ』
『#お父さん確定案件』
「……やめろ、勝手に家系図つくんな」
仮面越しのボヤきは拾われなかったが、コメント欄は飽きもせず追撃してくる。
『#仮面の下の親バカ』
『#照れてるぞこれ』
『#顔が見えないのがもどかしい配信第1位』
仮面の内側で、そっと息を吐く。
(……仮面って便利だな)
表情が見えない。視線も悟らせない。
緊張してても、バレない。
何より──ツッコミ顔を見せなくて済む。
案の定、コメント欄が盛り上がっていた。
『#イケボ父娘コラボ助かる』
『#見た目同級生中身パパ』
『#年齢差バグってる説』
『パンダの中身オッサンだったら逆に尊いまである』
「誰がオッサンだコラ」
おっさん声になったのを自覚した瞬間、さらに燃料が投下される。
『あっ、地が出たwww』
『#通常営業おっさんボイス』
『#低音出る系男の娘』
『#おっさんなのに可愛いのは反則』
『#あざとおじ』
「そのタグ絶対許さん……!」
よっしゃ『あざとおじ』でトレンド入り狙うか、みたいな勢いで、コメントが加速していく。
『でも今の仕草マジで鉄狼と同じだったよな?』
『#あざと狼』
『#パンダ狼』
『#ゴスロリ親父』
『#仮面家族シリーズ待ってます』
『おかんも出してくれよ!』
「家族構成勝手に増やすなって!」
ツッコんだ瞬間、今度は謎の二次創作妄想タイムが始まる。
『じゃあ長女がインゲンでしょ』
『次女は絶対ツンデレ系な』
『弟は無口なスナイパー』
『仮面一家の年末特番お願いします』
『#ゴスロリ四人家族』
「それ配信内容じゃねえから!」
その横で──インゲンは、何か言いたそうにして、口をつぐんだ。
ほんの一瞬。
ほんの、わずかな間。
……その視線の揺らぎが、なぜか胸に刺さった。
◆ □ ◆ □ ◆
──インゲン視点──
何かが、おかしい。
……違う、何かが『合ってしまう』のが、そもそもおかしい。
銃の構え方。足音のリズム。道を譲るタイミング。
まるで、かつて一緒に歩いたパパの、それだった。
(でも、まさか……)
違うと分かってる。
いや、違っていてほしい。
もし本当だったら、きっと私は、今の関係を壊してしまう。
「……あの」
呼びかけかけて、やめた。
タイミングが悪すぎる。
ドンッ。
足元のタイルがパキンと音を立て、わずかに沈んだ。
落とし穴ではなかったけど、バランスが崩れるには十分だった。
反射的に手を伸ばすより早く──
イーヴンが、さっと私の手を取ってくれる。
柔らかいグローブ越しでも、温度が伝わる。
「っと……無事か」
「……はい」
その瞬間、記憶が揺れる。
パンダの仮面が、かつてのシューティンググラスに重なって見えた。
似てない。似てないはずなのに。
『パパってば、さっきも引っ張ったでしょ〜!』
『ったく、お前はほんと足元見ないんだから。ほら、立てるか?』
……全部、同じ。
仕草も、声も、温度も。
(でも、名前が……)
「そっちは問題なしか?」
「は、はい。ありがとうございます。
……でも、ここの床、見た目の割に綺麗ですね」
ごまかすように、そんな事を言う。
……こんなところばっかり上手くなっていく。
「だな。妙に均一すぎる」
「……まさか、こんな……」
その時だった。
パキン、と鋭く乾いた音。
右足のタイルが、一枚だけ数ミリ浮き上がる。
「あ──っ」
次の瞬間、床の奥から針のような投射装置がせり出してきた。
罠だ。しかも、体重感知式の古典的な奴。
古典的過ぎて、スカウターの反応が遅れた。
(やば──)
踏み込み直すには、わずかに間に合わない。
足首を返しかけた瞬間、ぐいっと腰が引かれた。
「危ねぇ!」
イーヴンが、腰に腕を回すようにして、引き寄せる。
重心を預けたまま身体が斜めに崩れる。
次の瞬間、イーヴンのブーツが床を蹴り、二人で壁際に転がり込んだ。
──パスンッ!
投射針が空を切る。
肩口、あと3センチだった。
「……ふぅ。ギリか」
「そっちこそ……な、なんでそんなに冷静なんですかっ」
「冷静じゃねぇよ。顔は仮面で助かってる」
そう言いながら、仮面の口元を軽くトントンと叩く。
その仕草が、変にサマになっていて──ちょっと悔しい。
コメント欄がすかさず騒ぎ出す。
『#ナチュラルボディタッチ』
『#パンダが守った』
『#これは助けたんじゃなくて抱き寄せたのでは』
『#守る系お父さん』
『#お姫様抱っこ未遂』
『この仮面、表情見えないのに顔赤い気がするのなんで?』
「やかましい」
イーヴンが一言ぼやいたその声は、ちょっと低くて……
また“あのおっさん声”だった。
「……ふふっ」
思わず笑いがこみあげてきた。
あの声を聞くたびに思い出すんだ。
──あの人の、顔。
──あの人の、声。
でも、呼んじゃいけない気がした。
今、このまま“パパ”って呼んだら、何かが壊れる気がして。
(……でも)
ふと、彼の手が離れるとき、私の指先がその手を追いかけていたことに気づいて──
慌てて視線をそらした。
◆ □ ◆ □ ◆
視界右上、コメント欄がまた湧き出した。
確認するまでもない。案の定、悪ノリが過ぎてる。
『#仮面越しのラブロマンス』
『#手を引くのも親父の仕草』
『#そろそろ白状しろ』
『#パパもゴスロリする時代』
「ったく……しつけぇな」
仮面の内側で、溜息のような独り言が漏れる。
「俺に、こんな可愛い娘なんて……いるわけねぇだろ」
──その瞬間。
インゲンが、びくりと肩を震わせた。
そしてコメント欄が爆発する。
『えー? このパパ、同級生の制服似合うんだが?』
『年齢的に親子じゃないって分かってても言いたくなるやつ』
『#パパは同級生』
『#パンダパパ伝説始まる』
『#でも親バカっぽい』
「……おい、茶化すな」
テンパって低めの声を出したせいで、おっさんボイスになってしまった。
『今ちょっと声おっさんなったwww』
『テンパると地が出るの好き』
『#普段中性たまに中年』
『それでもかわいいのが悔しい』
「黙れっての……」
仮面の奥、頬がほんのり熱い。
汗じゃない。多分。
改めて彼女をみると、一瞬だけ肩をすくめ、俯いたまま、ぽつりとつぶやく。
「……可愛いって言われて……なんで否定するんですか……」
その声は、仮面のフィルタ越しでも震えて聞こえた。
「いや、だから今のは……」
「……いいです。行きましょう」
彼女は、どうやら聞かれていると思っていなかったらしい。それだけ言って前を歩き出す。
ふと、画面の隅、流れるタグのひとつに目が止まる。
(……なんか、どっかで見たようなコメントが混じってんな)
『#狼が娘ボイスで遊んだあの回思い出した』
……あったな。
昔、一度だけネタでやったことがある。
「鉄狼、女声出してみた結果www」とかいう地獄みたいな回だ。
あのとき、バズったけど炎上もした。
「気持ち悪い」とか「そういうの求めてない」とか──今よりずっと、男が可愛い声を出すことへの風当たりが強かった時代。
今なら、タグでさえ“美味しい”方向に昇華できるのに。
当時の俺は、それに耐えきれなかった。
──それでも、誰かが「声、似てたよ」と言ってくれた。
仮面の下で喉が少し震える。
ふと、別のコメントが目に入る。
『#あの頃は青い鳥もいたよね』
『#今は見ないけど元気かな』
『#鉄狼×青い鳥のコンビまた見たい』
「……懐かしいこと言うな」
思わず、ぽつりと口に出してしまう。
声がマイクに乗って、視聴者に拾われた。
コメントがざわついた。
『お、知ってるっぽい?』
『やっぱおっさんじゃんw』
『#元鉄狼説再燃』
『#青い鳥との関係は!?』
「いやいやいやいや……」
無理矢理、声を上ずらせて中性的なトーンを意識する。
低くなったら即アウトだ。
言葉にする前に、胸の奥がざわついた。
想像すら拒絶してる。
でも、どこかで願ってる。
◆ □ ◆ □ ◆
(……『あの頃は青い鳥もいたよね』)
画面のコメントに流れた、その一文。
一瞬、胸がドキンと鳴った。
青い鳥──それは、かつての私の配信名。
“だって、てつろうの隣には“メーテル”がいるでしょ?”
そんな冗談みたいな理由だった
まさか、こんなところで目にするとは思わなかった。
そして、仮面の向こうで彼がぽつりと呟いたのが聞こえた。
「懐かしいこと言うな」
……その言い方。
その声の震え。
昔、私が一番好きだった、優しいトーンにそっくりだった。
(まさか、でも……)
心が揺れて、口を開けそうになる。
でも、声が出なかった。
今、名前を呼んだら、すべてが壊れてしまいそうで。
……だから、何も言えなかった。
【To be continued】
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
今回は、インゲンとイーヴンの“すれ違いと確信”がじわじわ進行する回でした。
コメント欄がにぎやかになればなるほど、ふたりの静けさが胸に刺さります。
次回、ふたりは休息所へ戻り、中村主任との“過去”の接点が描かれます。どうぞお楽しみに!