第九話
若が血相変えて家に飛び込んで来た時、オリジナルとシャドウは煮ていた鍋から顔を上げた。
「おかえり。どうした?」
「お、お前ら……お前らは知ってたか?」
「何を?」
若が本屋の消失を話すと、二人は息を呑んだ。
「本当だ、確かに全然無いな」
「そう……だな。確かにもう何年も街には出てないし、スーパーで食料品は買うが後はスマホの通販で頼んでた。本屋が無くなってたのは俺も気付かなかったな」
「マジかよお前ら! マヌケか!? いやお前らは俺だけど!」
悟は研究に没頭すると他の事など気にならなくなってしまう性格だ。食事と睡眠まで忘れないよう定時になったらどんなにキリが悪くても一旦作業を止めて、きちんと食事と睡眠の時間を確保するという習慣を自分で決めているが、それ以外はお構い無し。その性格がいい意味でも悪い意味でも悟の人生に影響していた。
「通販? ちょっと待て、通販で本は買えるか?」
三人はスマホとパソコンでそれぞれ大手の通販サイトで本を検索してみた。
その結果、最近出版されていたのは料理のレシピ本、成人向けの本、そして地図だけだった。
「なんてこった。こういうのが売っている以上、一応出版社はあるんだろうが……」
「小説なんかは全滅だ。電子書籍も管理していたサーバーが無くなっているとかでデータの販売はされてない」
古本も十年以上誰も買わなくなり、商売として成り立たなくなったのであちこちで閉店になり、それと共に廃棄されていた。三人はパソコンの画面を見て立ち尽くした。
本が無い。それはつまり知の消失。これまでの人類が蓄積して来た知恵の結晶が失われている事を意味する。
ゲームやアニメ、どこかのAIが書いた真偽の分からないニュース記事、企業の広告。ネットにはそれらが溢れ、テレビで流れるのはゴシップネタのみ。今ではネットからでしか情報を得られなくなっていた。それすら大半の人間はもはや興味が無い。興味があるのはスマホの小さな画面に映る動画サイトの映像のみ。ダンス、美容、美男美女のセクシーな映像。インフルエンサーが「地球は平らだった」なんて言えば一億人が本気で信じるような時代だった。
「確かにいつだって若者は本を読まないなんて騒いでいた物だが……まさか売らなくなるなんて。そんな事が、そんな事ある訳ないと思ってた」
「これじゃ研究にも支障が出るかもしれない。俺達の分野に関わりそうな本や資料はできるだけ集めるようにしなければ。出版社にも何かあるか聞いてみよう。もし廃棄されたら二度と手に入らないかもしれない」
調べると出版社は日本にわずか三社しか無かった。
三人は出版社に連絡を取り、もし何か本か資料があれば売って欲しい旨を伝えると、ノーベル賞受賞者の悟に快く協力してくれた。三人は数ヶ月でなんとか部屋一つ分の資料や本を集める事ができた。
海外になるとさらにひどかった。全ての国が様々な人種で入り乱れたため、それを機会にあらゆる歴史的な資料、小説、科学的な資料はほぼ全てが何らかの人種差別や宗教的問題だとして糾弾され、改ざんと廃棄が繰り返された結果ほとんど消失してしまい、個人主義の台頭によりあらゆる思想や団体は快楽と娯楽のために抹消された。
つまり世界にある本はほぼこれで全部だ。もしこれらも傷んでしまい廃棄せざるを得なくなったら……。三人は部屋の本を見ながら、人類が取り返しのつかない所まで来ているような恐怖を味わっていた。