第四話
悟のもう一人の自分との生活が始まった。同僚にはばれないように片方は研究室に寝泊まりし、自分のマンションには日替わりで片方だけ帰る。研究中の食事は時間をずらして部屋を出た後、職員用の食堂と外食の二手に分かれた。
「あれ? 遠山さっき食堂でカレー食ってただろ。またカレー食ってんのか?」
買い出しのために食堂で食事を済ませて外に出た同僚が、チェーン店でカレーを食べているもう一人の悟を見つけると不思議そうに声をかけてきた。
「ん?」
事情を察した二人目の悟はなんとか調子を合わせた。
「ああ、今日はなんか腹減っちゃって。塩分が欲しかったのかな」
「そんなもんかね。なんで着替えたんだ?」
「カレーが服に付いてたんだよ。気になるから着替えたんだ」
「また付いたらどうすんだよ。まあいいやじゃあな」
「ああ」
同僚が去ると悟は冷や汗をぬぐった。悟は部屋に戻るともう一人の自分に声をかけた。
「これから先に食った物を知っておいた方がいいな」
「ん?」
「話を合わせるためにな。さっきお前を見た奴に見られて話しかけられたよ。ごまかしといたがああいう事が続くと困る」
「あー、なるほどな」
双子のふりをして外出もしてみた。周囲の人にはもちろん気付かれない。服屋に入ると悟達は同じ服の所で立ち止まった。
「おっ、これいいな」
「本当だな」
気に入る服は同じだったのでどんな物でも一着買えば十分だった。
映画を見に行けば同じ部分を同じように気に入り、レストランで感想を話し始めたら盛り上がり過ぎて止まらなかった。
お互いを気に入るなんて物ではない。双子以上のシンパシー。仕事も二人で分担すれば倍速で終わるため、たまに頼まれた仕事を驚異的な速度で終わらせると周囲を驚かせる事もしばしばだった。
そんな生活が十五年続いたある日、白髪が混じった悟達は椅子に座り、コーヒーを飲みながら落胆していた。
「やっぱり駄目だな」
「ああ、無理だ」
びっしりと書かれた紙の前に二人は腕組みしてため息をついた。二人は会話をほとんど交わさなくても互いの気持ちが分かってしまった。
二人は協力して、現在の記憶を引き継ぐ二十五歳の悟、つまり本当の意味での不滅の悟の完成を目指した。
二十五歳の時の自分の細胞を分裂させ、若い悟を作る。するとそのできた悟が持つ記憶はその時まで。もし現在の記憶の悟を作ろうと思って現在の自分の細胞を分裂させると四十歳の悟になってしまう。タンク内の四十歳の悟を目覚めさせることはせず、そのボディは液体に染み込ませ元の細胞のサイズまで戻して廃棄した。
記憶をなんとかデータ化して若い悟に移植する案も考えたが自分達は四十歳。今の状態で二十五歳の悟をもう一体作ったらさすがにバレてしまうし、もし失敗したら……。殺す訳にはいかない。できた新しい悟は本物の人間なのだ。それを察して逃げる事も考えられる。どう転んでも大騒ぎになるだろう。新しい悟を作っても問題無い環境でなければとても試す気にはなれない。
「新しい悟には現状を口頭で伝えるしかないか」
「そうだな。また何か閃くかもしれない。これからは細胞分裂機を小型化する研究に切り替えよう」
「……そうだな。そうすればタンクさえ用意すれば研究所を出られる」
二人は新しい空っぽのタンクを見上げた。自分達が定年退職する時がタイムリミットだ。研究所を去れば資金の援助は受けられない。それは研究の終焉を意味していた。
二人で十五年研究を続けても、若い自分への記憶の移植は不可能だった。