第三話
(大丈夫だ)
金はある。優秀だし、まだ若いから体も健康だ。しかし年を取れば病気にかかり、治療費も必要になるだろう。有名になってしまった今、近付いて来る女性ももはや信用できない。人類を救うために奮闘している佐藤隆という物好きな友人がいるが、それ以外に悟に信用できる相手などいない。
(大丈夫だ、落ち着け。間違ってないはずだ)
そもそも現代では他人は信用しないというのが大前提だった。利己的に生きるのが当然となり、結婚して幸せな家庭を築き、家を建て……という幸福論は西暦二千百年までに完全に形骸化した。今では孫の顔すら興味が無いのが当たり前。老人もスマホを見つめ、死ぬまで自分の娯楽のために金を使うのが普通の事になっている。
それでも子供ができた場合は育児ビジネスによって育てられる。子供を捨てるのは違法なので、親は国から補助金をもらって指定された企業に依頼する。企業の優秀なスタッフと医者が連携して、子供をきちんとフォローする。育児もビジネスの時代になった。人口はかなり減ったが同じレベルの教育を受けた健康な子供がきちんと育つようになった。自分の親の名前は分かるが顔を知らないという者も多い。もちろん自分で育てる者もいるが、もはや少数派だ。
「できた……!」
二十五歳になった悟がそう言葉を発してからもう三十分が経っている。興奮で手が震えている。
この時代においては大事なのは自分自身と金。要するに個人の資産だった。そして悟の中で今一番大事なのは自分自身、遠山悟だ。
悟は細胞分裂機を作り出した。大きなコンピューターに繋がれた、液体が満たされた円筒状のタンク。プラスチックのケースに髪の毛一本程の細胞を入れると、それを分析して遺伝子のデータを読み込む事ができる。そしてモニターには遺伝設計図により悟が立体的に映し出されていた。自分のこんな場所にホクロがあったのかと驚く程、読み取りは正確だった。
前回の研究を発表したあの日、既に究極の資産は自分自身だと考えていた。そして研究の末、ついに自分の細胞を高速で増殖させ、自分を複製するための機械を作り出した。これが悟の本当の研究内容だった。
(生命はしょせん自己複製する物質の集合体に過ぎないじゃないか。俺の手も、足も、この細胞の一つ一つが遺伝子に従ってコピーし続けているだけだ。今の俺は細胞が全て入れ替わり、五年前の俺とはもはや違う細胞の集合体だ。それを俺と言えるなら、今の俺と同じ集合体を複製して自分で作り出せれば……俺は不滅になれるんだ!)
人間が人間を作る。今、悟は人間の禁忌を乗り越えようとしていた。
「よ、よし……! 行くぞ! 押してやる!」
悟は汗をぬぐう事もせず、震える右手をもう片方で押さえ、ついにスイッチを押した。
タンク内の液体がゴボゴボと泡を立ち始め、タンク内が泡で充満した。泡が静まるとタンク内の水位が下がって行く。悟は固唾を飲んでその様子を見守った。
そしてタンク内の液体が抜け切ると、分裂過程が終了し、その中にはもう一人の悟が全裸で立っていた。ゆっくりとタンクの前面が開き、タンク内の悟が目を開いて口元のマスクを外した。
「ど、どうだ……?」
裸の悟が降りて来て首を回し、手足を上げたり体をひねったりして自分自身を確認すると笑顔を見せた。
「も、問題ないみたいだぞ!」
「や、やったぞ! 成功だ!」
「よくやった俺!」
悟は自分自身と抱き合った。
「誕生日おめでとう俺!」
「誕生日は来月だろう!」
「そうだった! やったぞー! うおおおーッ!」
「はーっはっはっは!」
これでいつでも若い自分を作り出せる。遠山悟という個体が不滅になった喜びを嚙み締めた。