第二十四話
悟は思わず顔を上げ、皆の顔を見回した。
「こ、これは?」
「あなたの時代風に言うと……やっぱり神はいたんです」
その本に書かれていた内容は未来の人類が知った世界の姿だった。
『序文
この宇宙はやはり創造主によって作られた世界だった。
創造主は新たな宇宙を作るのにいわば魂の輝きが必要で、人間が死ぬと魂が創造主に渡される。人類は、創造主がたった千人程の清らかな魂の輝きを使って宇宙を作れる事を知った。人類は今まで認識していなかったが、創造主によって作られた宇宙は今までも無数にあり、魂の集合体によって作られた宇宙はその後、星が出来て、人が出来て、そして新たな魂の集合体を生み出していく。創造主はそれを悠久の時の中で繰り返し、今も宇宙を優しい目で見守っているのだ。』
悟は困惑した。
「魂? 急にオカルトだな……本当なのか?」
隆は頷いた。
「ビッグバンてあっただろ? 爆発して宇宙が広がってできたっていう。でも何が爆発するかが分からなかった。魂だったんだ。目には見えないんだよ。紫外線や電波もそうだろ? それらは人間の五感ではもちろん感知できないけど機械なら観測できる。でも魂は地球上の物質から作った機械では観測できなかった。
そう……地球上にある物質から機械を作っても観測できない物質があって、それはビッグバンで広がっているこの宇宙の端、つまり宇宙の『外』にはまだまだあるんだよ。そして別の宇宙もそのさらに向こうにある。宇宙の間を貫通し、さらに地球上の物では観測できない……そんな物質が太陽系の他の星にも散らばっていたんだ。他の星の資源から作った機械でそれが分かった。そして他の銀河団に辿り着き、その物質達はどんどん更新されていった。魂もその中の一つだ」
「待ってくれ。じゃあ……つまり……周期表には言ってみればA面とB面があった。B面の物はB面の物で作った機械でしか測れない。魂はB面に入っている。だから魂の存在を信じるのに人類は千年以上かかった、という訳か」
「その通り」
悟がはっとして老いた悟に問いかけた。
「もしかして俺達の記憶が移せなかったのは……」
「そうだ。新しい体には違う魂が宿るからだ」
「やはりか。技術の問題じゃなかったんだな。分からない訳だ」
悟は窓から外を見ながら考えた。
「ビッグバンは何かが生まれてそれが爆発したと思っていたが……液体が蒸発して気体に変わるように、物は消える訳ではなく形を変えるだけだ。総量は変わらない。という事は……」
悟は口元を手で押さえた。
「何かが生まれた訳ではなく、B面にあった魂がA面の物質に変わった瞬間にビッグバンが起きていたのか」
「何かが誕生して宇宙が生まれたんじゃない。俺達はずっと同じ総量の中の世界を永遠に一緒に生きているのさ」
『太陽系を知らなかった人類は、地球中心の天動説、神の存在という宗教を頼りに「神が作った世界の一員」として暮らしていたが、科学により神を否定し、宇宙の広大さを知ると、無力感に苛まれ人生の意味を見失った。しかし科学を進歩させ、西暦二千五百年、月に辿り着くと、地球のために月に移住した人類に対して創造主は自分の存在を示し始めた。
西暦三千八百年。二千年代時点よりはるかに広大な空間やエネルギー、そして宇宙の『外』を認識できるようになると、人類はついに創造主と複数の宇宙の関係を知った。月に来る前の宇宙論でできた世界観はいわばまだ途中の段階で、人類の生きる意味はその先の、宇宙を創造するエネルギーと創造主のためにあったのだと気付いた。
人間は一人ではなく、宇宙と、他の生命と繋がっていた。我々は全世界を制御する法則と、生を平穏に過ごすための良心に従って懸命に生きなければならない。この終わりなき輪廻を保つために。以下にこの説に至った根拠を記す。』
それ以降のページは新しく発見された物質やデータ、宇宙を探索する技術などが写真付きで書かれている。死者の魂を感知できる物質や異なる宇宙との間を行き来できる物質など、今までの常識では考えられなかった新物質を発見した観測班、新物質を取り入れたコンピューターにより進化した無人探索機、宇宙外の魂の集合体の発見、そして……創造主の存在に気付いた観測班。それを知り喜びの涙を流す大勢の人達の写真……。終盤には賛歌を歌う者達の写真や、美しい女神のような創造主が多数の宇宙を抱きかかえているイメージイラストなども描かれていた。
悟は顔を上げると老いた悟は頷いた。
「観測班が創造主に気付いたあの時、俺もそこにいたんだよ。とても……とても美しい輝きの集合体があって……一晩中震えが止まらなかったな。『俺』だけしかこの感動を味わえないのが本当に残念だよ」
隆が続けた。
「ここまで分かったのは今から二十年程前の話だ。つい最近さ。
広大な宇宙の中で、ちっぽけな人間の人生に意味など無いと思っていた時代……つまりお前の時代だが、意味が無いならばと快楽だけを求めた結果、人類は他人を気にかけず自分の事だけを考えるようになった。しかし俺達には意味があった。ちゃんと生きる意味があったんだ。そして死後も独りじゃなかった。
人間が死んだ後はどうなるのか? その答えに辿り着いた今、自分の事だけを考えるのを止め、顔を上げると、周囲の者達が目に映るようになった。
全宇宙も含めて俺達全てで一つなんだ。それが分かった時、俺達は争うのをやめ、手を取り合うようになったんだ」
「そうか、それでボードゲームをやったりするようになったのか」
「そうですね。一人で遊ぶ、例えば悟さんの時代のスマホゲームなどの方が快楽や楽しさの面では上かもしれません。しかし質素に、穏やかに周囲と調和して暮らすようになった今、そういった物は不要になりました」
「そうか……」
悟は、窓からドーム内を見下ろして、地上の光景を見た。カーブした道と緑の芝生がある公園で子供と遊ぶ三人家族。ベンチに座ってにこやかに会話をする者。挨拶をしながら道を行き交う者達、老人の荷物持ちを申し出る者……。いずれも自分の時代には無かった物だ。
「落ちたリンゴを見て始まった旅は、リンゴの作り手に出会って終わったのか」
悟は振り返って凛に問いかけた。
「俺達は、前に進んだんだな?」
「はい。人類は今、幸福です」
佐藤隆は立ち上がった。
「俺達の仕事はあと一つ」
老いた悟も頷いた。
「地球が癒えたら、彼等を地球に連れて帰る事だ。いつになるかは分からないが……それまで俺達に力を貸して欲しい」
ある日、遠山悟は目を覚まし、口元のマスクを外してタンクを降りた。目の前に穏やかな顔をした中年の男性が立っている。
「やあ。体の調子はどうかな?」
「大丈夫だ。あんた、俺か?」
「ああ。六十歳の君だよ」
服を着た悟は部屋を出た。六十歳の悟と共に通路を歩いていると、どこからか鳥の鳴き声がした。立ち止まって窓から外を見ると、ここはどうやら少し高い丘に立っている建物のようだった。
「俺が前にいた研究所じゃないのか?」
「そうさ。新しく建てたんだよ」
遠くに街が見える。白を主体とした街。半円状の建物、滑らかな曲線のビル。緑豊かな風景……。
絵に描いたような穏やかな美しい未来がそこにあった。
悟は窓を開けた。風が静かに髪を揺らす。
通路の向こうから悟を出迎えるため、白衣を着た者達が集まって来た。六十歳の悟は頭を指でポリポリと掻くと、ニヤッと笑った。
「さて、どこから説明するかな。とりあえず……」
彼は握手を求めた。
「未来へようこそ、遠山悟」
完




