27 狸寝入りの道
週一度の塾の日がやってきた。
共に学校から塾へ行き、映有の講義中、シュウは自習室で勉強する。
映有の講義が終わり、部屋を出ると、シュウが少し離れた場所で待っていた。同級生たちの目もあるのが気になり、二人で足早に階段を降りてビルを出た。
「車停めにくくて、裏で待ってるって」
ビルの狭間の狭い道だが、同じように塾生を迎えに来る親たちの車が行き交っている。雨が降ったのか、ただでさえ暗い路地なのに、路面が街路灯の明かりを反射して、見えにくい。
シュウの少し後ろを歩いていると、シュウが突然振り返る。
「手、貸す?」
何のことかわからなかった。
「暗いし」
差し出された手を握って歩くという意味だとわかるまで、反応出来なかった。
「お願い!」
手を引っ込められる前に嫌じゃないと伝えたくて、妙に大きな声が出る。シュウが小さく笑う声がしたが、どんな顔をしていいかわからず、俯いたままシュウに手を預けた。今まで何度も映有の手を掠めていったあのシュウの指と手である。温かくて大きな手のひらがふわりと映有の手を包んだ。
黒いSUVに近づくと、シュウが手を離す。気持ちを切り替えて、シュウの父に挨拶をする。
「寝ていいからね。受験生は寝不足でしょう。シュウもいつもすぐ寝るしね」
気を遣う必要はないと、念を押される。
二人で後部座席に乗り込むと、シートは温かく、眠くなるのは必然だと感じる。シュウの父も音楽をクラシックに変え、完全に寝かしつけモードだった。シュウを見ると、頷いている。気を遣って何か会話するよりは微睡むほうが良いのかもしれない。
それに、目を瞑ればすぐにも寝られる気がする。
「もう少ししたら、映有さんを起こして。近くまで来てるから」
シュウの父の声がぼんやり聞こえるが、心地よくてまだ目を開けられない。
「寝てるね。この前の店から、二つめの信号を右」
「お前、覚えてるなら案内して」
「うん」
映有が寝ている体で父子の会話が進み、起きるタイミングを失う。
「本当に付き合ってないの?」
「ない」
思わず、息を飲むが、今必要なのは寝息だと気づき、ゆっくり鼻から息を吐いた。
「付き合う気は?」
「まあ… 次、右」
「まあ?」
胸が詰まりそうだが、無理矢理息を吐く。
まあ、の続きを知りたいのは映有もである。
「受験終わってから… 」
「ふうん」
「この先、道なりに左」
シュウのガイドで、かなり家の近くに来ていることがわかる。もう間もなく、マンションの前に着いてしまう。
まあ、受験終わってから、の続きを聞く前に、車が止まった。
「着いたよ」
シュウが映有の手を揺する。
「… あ、ありがとうございます」
今、起きたばかりを装って答える。
まあ、受験終わってから。
その言葉が頭の中をぐるぐると回る。
付き合う? 考える? 話し合う?
シュウの中では、映有はOKする前提なのだろうか。
「少しは休めたかな? また来週ね」
頭が混乱して、シュウの父にまともな返事ができているのかよくわからない。
促されて車から降りると、続いてシュウも降りた。
「入り口まで送る。ちょっと待ってて」
シュウが父に告げた。
また降り始めた雨を避け、小走りでマンションのエントランスに滑り込む。
「塾の日、こんな感じでいい?」
シュウが口を開く。
「あ、うん。ありがとう。眠らせてもらえて、助かった」
先ほどの会話が頭にこびりついて離れない。
「寝れたなら良かった… 気は遣わないで」
「うん。ありがとう」
シュウはまだ何か言いたそうだ。
「途中で起きた?」
「え?」
反射的に見上げる。
どう答えるのが正解かわからない。寝息は保ったはずである。
起きたと答えると、今は付き合えないなどと言われ、要らぬダメージを受ける気がする。
「起きてないならいい… 」
映有が答える前に、シュウが結論付ける。
「… うん」
「… ミスト、使ってる?」
唐突な話だ。
「使ってる、毎日」
リネンミストを貰った時のことを思い出す。
好きだから、渡した。
シュウはそう言った。
「すごく… 好き」
ミストの香りが、ではない。シュウはそれに気がつくだろうか。
何を好きなのかと問われたら、香りが、と答えればいい。
悪戯心が照れを上回った。
「そっか。俺も… 好き」
シュウを見上げると、エントランスの煌々とした照明の元、少し動揺した表情を確認できた。俺と言う時のシュウは素である。映有の言葉の意味を正確に捉えている。
「… だよね。知ってる」
勝ち誇りたいのをグッと堪える。堪えられていないかもしれない。
「僕も知ってたけど?」
映有の悪戯心に気づいたのか、シュウも言い返す。
シュウの目が笑っている。
映有が頷いて見せると、シュウも頷き返す。
シュウのスマートフォンが振動する。
「あ、寒いから早く解散しろ、って」
シュウの父からのようだ。
「あ、ごめん… 待って… 」
「ん?」
「私の、LANE、伝えていい?」
「もちろん」
スマートフォンを取り出すとコードをシュウに見せる。
「待って… 」
差し出したスマートフォンと映有の手をシュウの左手が支えると、右手でスキャンする。
「… 」
これは、わざとというレベルではない。映有がちらりと顔色を窺うと、ニヤリとシュウが笑う。
「できた。今更だけど、改めて、よろしく」
「こちらこそ… 」
思わず二人で笑う。今更、「友だち」になったのだ。
「… じゃあ、また明日」
車の窓からシュウの父がこちらを見ている気がして、シュウに伸ばしかけた手を戻す。
「おやすみ」
シュウから差し出された拳に映有も拳を合わせた。




