26 温かな家路
翌日の学校も平穏だった。
廊下を歩いていても、噂されているような気配もなく、周囲の視線が映有に集まるようなこともなかった。
しかし、授業後に職員室に呼び出されて担任教諭から聞いた話には少し驚いた。
昨日、レッドランタンに来る前、白鳥父子がアオイの自宅を訪問したと聞いていたが、それを受けてアオイの両親が映有の学校に謝罪に来て、更には映有に謝罪したいと言っているという。学校側は映有の保護者が同席する必要があると言って、一旦引き取って貰ったそうだ。
思った以上に、話が大きくなっていて困惑する。
一方、シュウはというと、至って普段通りだった。
「今日、僕は塾だけど、田中さんは?」
「えっと… 当面、シュウくんが塾の日は、自宅で勉強します」
今までは、一人で図書館で勉強してから帰っていたが、母と話し合った結果、それはやめることにした。
「そう… それなら、少し電話で話したいんだけど、夜掛けてもいい?」
「うん」
学校で話しにくい話なのだろう。手元にあった小さな付箋に番号を書き留めて渡した。
タラタンタンタンタンタン
21時になる前だった。勉強机の隅に置いていたスマートフォンが鳴る。シュウから電話があると思い、音が鳴るように設定していた。画面には、11桁の番号が表示されている。シュウに違いない。小さく咳払いをして声を整えた。
「もしもし… 」
「もしもし… こんばんは」
電話を通じて聞くシュウの声は低く、なおさら落ち着いた声に聞こえる。外にいるのか、電話越しに車の音が聞こえる。
「こんばんは… 」
落ち着かず、椅子の上で膝を抱える。
「勉強してた?」
「うん。今、帰り道?」
「バス停から歩いてる。手短に言うね… 謝罪の話、ご両親に対応してもらって。田中さんは会わなくていいと思う。それで、謝罪の場に、うちの父か、父の同僚の弁護士が同席するんでも大丈夫だから、どうしたいか、明日教えて?」
慌ててノートの切れ端にメモする。
「ありがとう。私はいなくていいってことだよね…」
「そう。はるさんは気にせず、普段の生活をして。謝罪したいって話、ふゆさんとした?」
「あ、まだ。帰ってきてないから… 」
「じゃあ、僕が今した話も一緒に伝えて」
「わかった。ありがとう」
本当に学校で話しにくい用件だった。
「… 今回のこと、本当にごめん。気に病むよね… 」
もう、通話はお終いかと思うような間の後、シュウが続けた。
「ううん。学校も平気だったし、あと一ヵ月もしたら冬休みだし、冬休み終わったら、受験だし… 気にする余裕ないかな」
事実、勉強以外にすべきことなどないところまで来ている。口に出してげんなりする。
「何かあったら、すぐ言って。この番号、いつでも掛けてくれていいから」
責任を感じているからだろうが、嬉しい言葉だった。困った時、助けてくれる人がいるというのは不安を和らげる。
「ありがとう。あの、私の番号も… どうぞ… 」
シュウが困って映有に電話してくるなんてことは考えにくい。歯切れの悪いことを言った。
「… ありがと」
やはり、どう捉えていいのか困惑しているかもしれない。
「バス停から家、遠いの?」
まだ、切りたくない気がして、別の話題を振ってみる。
「3分かな。もうすぐ着く」
「そっか… 」
じゃあ、と続けようとすると、シュウが遮った。
「もう少し、話す?」
「うん」
即答である。
「話したいこと、ある?」
少し笑いを含んだ声で返ってくる。
「… うん… って言っておいて、思いつかない… 」
映有も笑う。
「じゃあ… 夕飯食べた?」
まだ面白がっているような声だ。
「食べた。今日は八宝菜」
「いいね。自分で作るの?」
「作れるよ! 八宝菜ぐらい… でも最近は作らなくなっちゃった。勉強優先でいいって。母が作り置きしてくれるから、温めて食べるだけ。何か恥ずかしい… 」
女子力が高いわけでもないが、特別低いわけでもない。自立できていない感じが恥ずかしい。
「作れるのすごいね。僕は全然。覚えないと、一人暮らしやばいな、って思ってる」
揶揄うでもなく、穏やかな反応だ。
「確かにね… 」
今はそれどころではないが、親元を離れるとはそういうことだ。
「大学、受かったら一人暮らしする?」
「東京で… 受かれば、そうなるはず」
映有の場合、第二志望までに受からなかったら、滑り止めの国立か、いや、国立は滑り止めになるかわからないのだが、または、地元の私大に進学する予定だ。いずれにせよ、それは何としても避けたい。
「そっか。教えてよ、八宝菜。多分、野菜不足になる。教えて貰ったら、毎日八宝菜になりそうだけど」
「いいよ。野菜の料理、一週間分教える。たまに、作って私に届けてね」
一緒に料理する? 一人暮らしの部屋で? 部屋にシュウを呼ぶ?
言った後で、とんでもない発言をしたような気がする。
「味の保証はしないけど、持っていくよ」
シュウの答えには、当然という含みがある。慌てた映有の方が不埒なようだ。でも、そんな日が来たら、楽しいに違いない。
「… 楽しみだね、大学生活。行きたい場所も、やってみたいこともいっぱいある」
地元じゃなく、東京に出るのは、都会を見たいからだ。そこじゃなきゃ得られないものがあるから、この街から出たい。
「うん。どこ行きたい?」
「美術館とか、映画館とか、お芝居見たり、ライブに行ったり… 」
「博物館もね。東京なら、いろんな刺激がある。東京観光もしないと… 」
シュウも同じように感じていると思うと嬉しくなる。
「そうだね… お上りさんだもんね。雷門行ったり、東京タワーのぼったりしないと」
メディアの中でしか知らないたくさんの場所がある。
「東京行ったら、真っ先にそれだね。一緒に行こう、一人じゃ恥ずかしい」
「うん。行こ」
シュウの来春のプランに組み込まれたことは嬉しい。
「まずは、受からないとね」
「うん。楽しみが待ってる」
「楽しみだね… 約束?」
「約束するよ!絶対受かって、一緒に黄色いバスで東京観光する」
そんなに、私と約束したかった? やっさんが相手なら、そう返しただろう。シュウにはそんな言い方をする必要はない。約束したい気持ちを隠さなくていい安心感が心地いい。
「そだね。八宝菜も忘れないで」
「もちろん。ごめん、引き留めすぎちゃった… 家、とっくに着いてない?」
もう家に着くと言ってから10分は経っている。
「近くの公園のベンチ」
「ほんとごめん… 寒くない?」
「楽しかったから、寒くない」
「… 私も楽しかった。ありがとう。また明日… 学校で。明日は図書館行く?」
「うん。一緒に行こう」
「うん。おやすみ」
「おやすみ… 」
スマートフォンから耳を離すと、通話が切れた。
間もなく12月だというのに、スマートフォンに小さな水滴がついている。握りしめていた手にも汗をかいているし、握りしめ過ぎて指が固まってしまっていて痛む。
シュウの言葉を思い出すと、口元が緩む。緊張からの解放と、躍り狂う心を落ち着かせるため、椅子を回転させて、そのままベッドにダイブした。




