24 Interlude 05 歪んだ恋 1
「ここ、いいですか?」
塾の自習室で隣の空席にやってきた女の声に、顔も上げずに頷いた。同じ女がたびたび、隣にやって来ると気づいたのは数週間前だった。気づいたきっかけは、シュウとの間に置かれた鞄から物を取る時に、シュウの側に体を傾けるために、邪魔だと感じるからだ。
塾の講義と講義の間の時間は、人の出入りがあり、物音や人の話し声で騒がしくなる。気が散るため、イヤホンをしようとした時だった。
「… 高校の白鳥くんですよね?」
隣の女が話しかけてくる。面倒なため、肯定も否定もせずにやり過ごす。
「ごめんね。私、成真女学院の原あおい。東大英語、一緒だよね?」
まだ、続けるようだ。膝をシュウの方に向けて話し始める。
「用件は?」
「え… 」
視線を合わせると、上目遣いにこちらを見返してくる。
「… 今週の講義、予習した? わからないところ、教えてもらえたらな、って」
そろそろ、自習室に静けさが戻る頃だ。
「他の人に聞いてくれる?」
テキストに目を戻す。
「あ、邪魔してごめんね。また、時間のある時、話そうね」
彼女はすまなそうな顔をして、膝を戻す。
こういう人間関係は面倒だ。次の機会はない、と言いたいが、それも面倒だった。
それ以降、彼女はシュウの周辺に度々現れるようになる。
§
文化祭の一般公開の日、原あおいの姿を見かけた時は嫌な感じがした。
「断ってるの、伝わらない?」
シュウの文化祭に押しかけてきた原あおいに問いかけた。
「友だち付き合いしたいってことなんだけどな?」
何を言っても、響かない態度に苛つきを抑えるのに苦労する。
「悪いけど、友だち付き合いしたいと思ってない」
「私のこと、少しでも知ってほしいなって」
彼女はシュウに一歩近づいて話す。詰め寄られた分、一歩下がる。
何故、こんなに自分に自信があるのだろう。自分を知りさえすれば、好意を持つはずだ、自分の好意は受け入れられるはずだ、という押しの強さは、自信の現れだ。塾などで、彼女の容姿を褒める男の噂話を聞いたことがある。
今日は休日である。何故か彼女は自分の学校の制服を着ている。その制服が持つブランド力を行使したいのか、と勘ぐりたくなる。
彼女が、押し付けてくる容姿、ブランドなど、実態のない表面的なものは、シュウには何の魅力もなかった。媚びを売るような態度といい、関わり合いになりたいタイプではない。
「でも、学校の女の子とは友だち付き合いしてるでしょ? それと同じじゃない?」
思い当たるのは田中映有のことだ。彼女の存在に言及されるのは、不快だった。
「興味ないから」
原あおいが言い返して来ないことを確認し、踵を返す。
「待って! 私ね、シュウくんと友だちになりたいんじゃないの。それだけじゃなくて、私のことを知ってもらって、お付き合いしたいな、って思ってるの。受験が終わるまで、私は待てるよ」
まだ、言うか。危うく口に出そうになる。
「時期とかじゃなくて、あなたに興味が持てないから、関わり合いたくない」
これ以上、端的に説明できないというほど、率直な言葉を選んだ。彼女の表情から、これで決着が着いたと確認し、その場から離れた。
その後、映有を探したが見つからない。
どんどん彼女に惹かれていった。自然と、傍にいたい、話をしたい、彼女の助けになりたい… そして、その手に触れたい、という気持ちが湧き起こった。
原あおいにそんな気持ちが一ミリたりとも湧かなかったことは決定的だった。
映有に対して、どうこうしたいという気持ちはない。ただ、今は日常の中に彼女の存在があることが、ささやかな喜びだった。
文化祭という非日常に便乗するのは自分らしくないが、彼女の傍に偶然いたなら、後夜祭に誘っても不自然ではないのではないかと思っていた。
結局、彼女を探し当てることはできず、倉庫で片付けをしていると、槙村がやってきて、原あおいとの一件を槙村と映有が渡り廊下から見ていたと告げる。
原とは何もないのだが、槙村は映有がそれを見て動揺していると言う。それは、心穏やかでいられない感情を映有が抱いているという意味で嬉しさをもたらす一方で、もし、傷つけたなら誤解は早く解かなければならないというか焦りが生じる。
「… その誤解、どう解くんだよ。否定はできても、続きは… 今は何も言えない」
慌てる槙村に告げた。
「後夜祭いいの? 誘わなくて?」
「… いい」
原の件を考えると、弁明が必要であるし、弁明することで、二人の関係は望まない方向に変質する恐れがある。弁明しなかった場合のリスクは今時点では推し量れない。
「それ、間違ってる。友達が50だったら、今朝までのAUは65から70、今のAUは35。既に状況は変わってんだよ」
槙村の言いたいことはわかる。
「それ、何のスケール?」
考えをまとめるために、質問で返す。
「わかるだろ? あ、噂をすれば… 」
「あ! エーユー!」
槙村が叫ぶ。
「俺、今は話さない」
意思表示を込めて、倉庫の奥の段ボールに腰掛けた。
「… え… 」
槙村はシュウを睨みつけると、倉庫から出て彼女と話に行った。
§
「お前さ、全部聞こえてたんだろ? エーユーの言ったこと、どう思った?」
帰り道、槙村と並んで歩く。
「お互いに誠意を持って関わり合ってることを確認できた。お前にくっつけられたくない。ふわっとした関係に満足してる… または、満足していたって過去形かもしれない。この三つ」
最後の一つは、あまり自信がない。
「無駄にロジカルちっくな言い方すんなー」
「でも、お前の言う通り。彼女と話したい。少し考えるわ… 」
「合ってると思うよ… 」
「相性がいいのは知ってる」
「… 知ってんのかい」
彼女と過ごす時間はとても穏やかなのだ。それに、いつも強がったり、正しそうな答えを捻り出したりする彼女が、自分の前でだけ見せる素顔が好きだった。
槙村には白状しないが、映有に惚れている。惚れているからといって、今何ができるだろう。付き合って? 手を繋いで帰り? 人目を忍んでキスをして? そんな雑念に振り回されることは、自分も彼女も望んでいない。全ては今じゃない。
「気持ちが通じ合うことと、付き合うことは必ずしも同義じゃないんじゃないか?」
槙村が呟く。
「同義だと思ってるか、思ってないか、って認識が合ってないと… 」
口にしてみて思う。確かに槙村の言う通りだ。見立て通りなら、映有は理解して、同意してくれる気がする。
「マッキー、グッジョブじゃない?」
「ありがと。まだ、問題は解決してないけどな…」
交わした拳から、友達のありがたみを痛感した。




