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22 仕掛けられた罠道


 


 文化祭から一ヶ月、穏やかな日々が続いた。

 お互いに塾のない日は、シュウと図書館で一緒に勉強した。学校で会って、喋って、また図書館で落ち合う。変化があったのは、休み時間にシュウが話しかけてくることだ。他愛もない話をして休憩時間が終わってしまうこともある。


 明日は図書館に行くかとか、何時に行くのかとか、どの部屋を使うだとか、LANEがあれば、一瞬で済んでしまうやり取りも会話した。固定曜日なのだから、あえてする必要はないのに、別れる前に次の日の約束をした。

 そして、それは明日も一緒に、という温もりあるやり取りだった。






「白鳥、この後、進路指導室に」

 朝のホームルームの後、担任がシュウに告げる。

 この時期、推薦入試や総合選抜などでひっきりなしに誰かが担任に呼ばれている。だから、よくある光景なのだが、シュウが呼ばれることに違和感があった。


 結局、シュウは次の授業が終わる直前にひっそりと戻ってきた。


 授業中ではあるが、後ろから背中をつつかれ、振り向くとシュウが走り書いた付箋が目に入る。映有が手の甲を差し出すと、ペタリとそれが貼られた。



ーーーーーー

休み時間になったら、すぐに進路指導室に行って

トラブルに巻き込んでごめん

ーーーーーー


 思わず、シュウを振り返ると、眉を寄せ、口を斜めにして見つめ返してくる。

 映有に対し、申し訳ないという顔だ。

 シュウは大丈夫なのか、と問うつもりで見つめ返すと、シュウの口角が上がる。



 間もなくチャイムが鳴った。すぐさま振り向き、何のトラブルなのかシュウに尋ねようとした。しかし、シュウは首を横に振る。シュウの視線の先には映有を見つめる担任教諭が待っていた。




   §


 

「え? 仰る意味がわからないです」


 映有は、担任教諭、生活指導教諭、教頭の三人に囲まれている。


「学校への連絡では、白鳥くんが繁華街のラブホテルに出入りしている、と。その相手は、左手に包帯をした我が校の女子生徒だ、とのことだ」

 映有は左手を見遣る。もう包帯はしていないが、二週間前まではしていたし、今も大きな白い絆創膏のようなものが手の甲を覆っている。


「交際すらしていません。図書館へ行ったり、駅まで一緒に歩くことはありますが… 」

 デマにしては悪意あるデマだ。


「まあ、包帯と言うと、田中さんしかいないから、こうして事情を聞かせて貰ってるわけなんだけどね… 」

 教頭が口を挟む。


「親と共有している位置アプリ、見ますか? 家と学校、塾、図書館しか私の行き先はありませんよ?」

 映有はポケットからスマートフォンを取り出す。


 映有が完全に否定の態度を取ったことで、教諭らが顔を見合わせる。



「いえ、いいのよ、田中さん。担任の私としては疑ってるわけではないの。二人とも分別があるのはわかっているし、学校への通報の信頼性も高くないと思ってるわ」

 担任が擁護する姿勢を取ってくれて、安堵した。


「そうですね、仮にそうだとしても、証拠がなければ処罰のしようもない。学校側としては、二人に風評被害が出ないよう厳重に情報統制する方針だよ」

 進学校の生活指導教諭はおおらかというか、進学実績に影響が出ることの方を心配しているかのようだ。


「田中さんには、一応の、形式的な事実確認だね。我々としては、二人共、あと数ヶ月を心穏やかに勉強に専念してくれたらそれでいいと思っているよ」

 教頭も厳しい顔をしていたが、それは、形式的なものだったようで、柔和な表情に戻っている。


「間違い、勘違いというものもあれば、イタズラとか、嫌がらせみたいな事実無根の通報もある。後者じゃないといい。何かあれば、いつでも相談に来なさい。話は以上だよ」


 時計を見ると十五分程度しか経っていない。シュウはゆうに一時間絞られていたように思う。映有が形式的なもので済んだのは、シュウが抑え込みをしてくれたからかもしれない。



 進路指導室を出ると、もう次の授業が始まっている。このまま教室に戻る気分ではない。授業をサボったことはないが、クラブハウス棟なら授業中に見つからないと聞いたことがある。立ち入ったこともないが、ふらりとそちらに足を向けた。

 ラブホテルに出入りするほどの不良生徒ではないが、一コマの授業をサボる程度の不良行為は一度ぐらいしてみたっていいかもしれない。どうせ授業に出ても上の空になることは目に見えている。


 少し忍び足で、クラブハウスの外階段を上る。

 部室のいくつかは、ドアが開いている。横目に覗きこみながら、居心地の良さそうな部屋を探す。男子の運動部の部室は砂埃が気になるし、異臭がしそうだと気づき、通り抜ける。


 間もなく、女子の運動部の部室の前にに差し掛かろうというときだった。


「田中さん?」

 シュウの声だった。

 二、三歩戻ると、それなりに散らかった部室の中にシュウがいた。


「サボる場所探してる?」

「… うん」

 


「ここ、来ない? ちょうど、話したかったんだ」

 そこは、バスケ部の部室だった。


 


 先程、異臭と懸念したものは、制汗剤や香水の入り混じった香りだった。


 シュウは小さなスツールを誰かのユニフォームで拭って、映有に勧める。そして、自分は向き合うように床に座ると、映有を見上げる。


「ごめん。酷い話に巻き込んで。嫌な思いをさせた。心から謝る」

 シュウは頭を垂れる。


「大丈夫だよ。私は、無罪って先生もわかってて呼んだみたいだし… 」

「責められたり、叱られたりしてない?」

 映有が頷くと、再びシュウがごめんと呟く。



「シュウくんの方が大変だったんじゃない?」

 呼ぶことに躊躇いがある彼の名を口に出す。呼ばずに済むような、センテンスは咄嗟に組み立てられなかった。



「俺は… 名指しされた方だし、男だし… どちらかと言うと、田中さんを誑かしている立場に見えるだろうから、強く言われても仕方ない。きちんと否定したけど、心配だった」

 俺は(・・)と始めて、暫く口をつぐんだ後、言葉を選びながら、ゆっくりシュウは続けた。


「… 私は大丈夫」

 安心させようと映有が笑顔を見せると、シュウも口角を上げて頷く。二人とも素行の良いタイプだが、教師の目には、シュウが悪いと見えたのだろうか。


「… 誑かしてる?」

 強い表現が気になった。


「… 」

 シュウは口を開いて何か言おうとしたが、口を噤んだ。

 その様子を見て、映有は自分のした質問が、自分に気があるのかとか、自分を女として見ているのかとか、そういった意味合いに捉えられたと気づく。

 慌てて、答えなくていい、と口を開きかけると、シュウは悪戯っぽく、眉を上げて笑う。


「… 田中さんが僕を誑かしてる風には見えないでしょ?」

 質問の答えではなかった。逆に、映有の方が答え辛い質問だ。キッパリと否定して、気がないとも、男とは見てないともわざわざ宣言するのもおかしい。

 映有が答え辛い質問をした仕返しだ。


 シュウはクスりと笑う。

「… ファムファタール?」


「悪女って意味?!」

 少なからず、映有に女としての魅力があると言う意味に聞こえるが、不名誉な意味に聞こえる。


 本来の意味は、運命の女…だったか。


 不確かな記憶をたぐりながら、シュウの揶揄いの意味を探る。

 本来の意味なら、大告白である。

 そう考えると、非難がましく向けていた視線の攻撃力は一気に落ちた。そうとわかったのか、シュウは声を上げて笑う。


「どうだろね?」

 シュウはまだ笑っている。

 映有は、眉を顰め、爪先の先にあるシュウの膝を軽く足先で小突いた。


「あのさ、通報は嫌がらせだと思ってる。文化祭の時に来てた他校生… 付き合いたい、って言われて… 僕の断り方が悪かったんだと思う。あの後も何度か接触があって、拗れてるから… 」

 アオイの話だ。槙村との会話が頭を過ぎる。


 シュウは先ほどシュウを蹴飛ばした映有の靴を捕まえる。足癖悪いな、と呟きながら。

 ちょっと、と足を引っ込めようとするが、シュウが上履きを掴んでいるから、引っ込めると靴が脱げてしまう。上履きは暫く洗っていないし、匂いや中敷きの汚れ、靴下だって新品ではないから毛羽立ってもいるだろう。靴を脱ぐわけにはいかない。スカートの中が見えることはないだろうが、ムダ毛は剃れているだろうか、カサついていないだろうか。そう気づくと、途端に恥ずかしくなり、引っ込める力を強める。

 そうやって抵抗する映有をシュウは面白そうに見つめている。


「田中さん、親に連絡するって、先生に言われた?」

 足元の攻防など存ぜぬ体でシュウが続ける。


「え? 言われてないよ」

 足元が気になって、会話に集中できない。

「そう… ご両親に謝りと弁明に行ってもいい?」


「え?!」

 ご両親に(・・・・)? 付き合ってるわけでもないのに、である。いや、付き合っていないからなのかもしれない。

 驚いた勢いで、足が自分の元に戻ってきた。


「他の誰かから話を聞く前に、自分から言いたい」

 もっともである。父と母の顔が目に浮かぶ。耳に入れば、その男は誰なのだと追求され、シュウに対する印象は大きなダメージを受ける。


「えっと、ウチ、父は単身赴任で今は一緒に暮らしてなくて、母はバリキャリな人で帰りも遅いの」

 普段の父の予定を思い浮かべても、週末までは帰るのは無理だろう。


「今晩、お母さんにお会いできる?」

「聞いてみる」

 早速、LANEを開いて母にメッセージを送る。


ーーーーーー

映有: 今日、帰り何時? 学校でちょっとしたトラブルがあって、その件で友だちに会って欲しいんだけど…

ーーーーーー


「ありがとう。もし、大丈夫なら、時間を連絡してくれる? その時間に家に行くよ」


「うん… 連絡… 」

 LANE問題だ。その時、母から返信が来た。


ブブッ

ーーーーーー

風有: 19時に赤提灯でいい?

ーーーーーー

映有: 居酒屋? 家じゃダメ?

ーーーーーー

風有: 片付いてないからダメ

ーーーーーー

映有: 赤提灯で食事するって意味?

ーーーーーー

風有: 険悪な会合?

ーーーーーー

映有: 険悪ではないけど

ーーーーーー

風有: 個室のあるお店を探すわ

ーーーーーー


 深刻な話であると伝わったのかわからない。母の呑気なメッセージにため息が出る。

 カスミと一緒に女三人で夕飯、という軽いノリだ。


「これ… 」

 映有は、シュウに画面を見せる。


「うん… 19時ぐらい。わかった… 田中さんがハル、で、お母さんは、フユ?」

 シュウは手早く確認して、自分のスマートフォンにメモしていく。


「そう… 冬から春に… 」

「フーユーなんだ、お母さんは。有って漢字も合わせてある… 」


「単純なネーミングだよね… 」

「いや、映有はいい名前だと思う。サカエの方の、栄え有るって言葉が最初のイメージかな… それで、より女性らしく、漢字を当て直して、映え有る?」


「そうそう! サカエにアリだと、男っぽいから」

「女の子なら、映え、容姿も美しく、って親心か… 」

 シュウはそう言うと、映有の顔を見上げる。


「?」

「今晩は、映有(はる)さん、って呼ぶよ。田中さん、じゃおかしい。お母さんのことは、風有(ふゆ)さん? 田中さん?かな」


「… はい」

 はるさん、響きとしては、小料理屋の女将さんみたいだ。しっくり来ない。はるちゃん、幼稚園児みたいだ。はる、呼び捨ては親密過ぎるし、親の前ではイマイチだ。エーユー、これは、シュウが嫌がるだろう。


「やっぱり、はるさんじゃなく、田中さんにする?」

「え? 大丈夫! 他の選択肢を考えたんだけど、場にそぐわないね… 」


「… 普段通り、田中さんにしよう。慣れないことはしないほうがいいね」

 シュウがそう言うなら、それがいい。

 はるさん、田中さん、はる、シュウの声で脳内再生してみる。


「ひぃ〜〜」

 三つ目の再生で思わず、変な声が出る。


「え? 良くない?」

「ごめん、どれがいいか、頭の中でシミュレーションしたら、ちょっと恥ずかしくなった!!」


「ん? はるさん… 田中さん… ?」

 シュウはニヤりとする。

「いやいや、まあ。ごめん、いいよ、田中さんで!」


映有(はる)?」

 真顔で名前を呼ばれた。悪くなかった。悲鳴が出るほどでもなく。


「わ、悪くない… 」


 ハハっと小さく笑うと、とシュウは立ち上がる。



「今日は帰る。僕も親に弁解しないといけないし、着替えてから行くよ。制服で行っていい場所とそうでない場所がある、ってさっきも言われたばかりだしね」

 そうでない場所…


「ま、待って!」

 慌てて、シュウの手を掴んで、止める。


「あのさ、お母さんと話すとき、その、今日の先生たちの話を言うんだよね? えっと… 私と… シュウくんが… どこに行ったのか、って… 」

 母ではなく、お母さんと言ってしまい恥ずかしいが、それよりも恥ずかしいのは、内容だ。

 どさくさに紛れて掴んでしまった手を慌てて離す。


「ああ… 行ったわけじゃなくて、目撃されたとされる場所ね… ハルちゃんが間違えると、大変だよ」

「そうだ… 行ってないし… 」

 ハルちゃん、わざと言っているに違いない。


「えーっと、つまり… 健全な母娘関係で、ラブホテル、なんて言葉を会話で出したことがないから、動揺してる、ってことね… 」

 シュウは映有が口に出来なかった行間を言葉にする。


「まさしく! 親とそんな会話しなくない?!」

 シュウの反応を見ると、男子は違うのかもしれない。

 

「ん〜、その話は僕が説明するから、任せて」

「ありがと… 」


「心配しないで。話す必要があるのは僕だから。もし、気まずいなら、同席しなくてもいいよ?」

「そういう訳には… 」

 母とシュウが険悪になるとは思わないが、シュウを援護するのは映有の役割だ。


 シュウはちらりとスマートフォンの画面を見る。

「ごめん、何かあったら、連絡して。とりあえず、帰る。これから父さんの職場に行く約束なんだ」

 教室に戻るつもりもなかったのだろう。シュウは部室に持ち込まれていた荷物をまとめる。

 

「私は… 次の休み時間までここにいる」

 映有が言うと、シュウは映有の頭に優しく触れて部屋を出て行った。

 

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