21 雪溶け道
「… かさん」
背後の席のシュウから休み時間に話しかけられたのは、駅で遭遇した日の数日後だった。
あれからは特に話をするでもなかった。映有があえて、シュウとの距離を改めたからだ。やっさんとは、数日会話しない日もあれば、たまに休み時間に話し込む日もある。それぐらいが、心をかき乱さない適切な範囲だと思う。
「… はい」
恐る恐る振り返る。
机に前のめりになっていたシュウとの距離は思いの外、近かった。
「ちょっと、話したいんだけど、渡り廊下、行かない?」
視線を合わせないわけにいかない距離感のため、ゆっくりとシュウの顔を見ると、じっと映有に視線が注がれていた。
「… いいよ」
断れる雰囲気ではない。シュウの表情からは何の話かわからないが、いい話があるとも思えない。槙村はああ言ったものの、彼女できた報告を兼ねた、文化祭以降中断した図書館での勉強会の終了のお知らせだろう。気が重い。
「待って… それって、お説教? 心の準備、要る?」
相手がやっさんのつもりで、おどけた口調で言う。
「心当たりがあるなら、お説教でしょう」
シュウは軽く笑いながら立ち上がると歩き始めた。
映有がかすみの方を振り返ると、スマートフォンを握りしめて心配そうにこちらを見ている。
ブブッ
ーーーーーー
かすみ: スタンプを送信しました
ーーーーーー
映有の待ち受け画面に"がんばれ"のスタンプが現れる。かすみに頷いて見せると映有も立ち上がり、渡り廊下へ向かった。
渡り廊下には、何組か立ち話をする生徒がいるが、少し距離を置いた場所にシュウがいた。手すりに肘をつき、中庭を眺めている。
「話は教室でも良かったんだけど… あのさ、数学、再開しない?」
映有が横に並ぶと、シュウが切り出した。
「さ、再開?」
思わず聞き返した。
「そう。進んでる?」
「い、いや、まあ、ぼちぼち… 」
大して進んでいない。答えながら、目が泳ぐ。前にも、少し距離を置いた途端に数学の進度を訊ねられた。弱みを握られているような感覚になる。
「今日、図書館一緒にどう?」
想定とは逆だ。答えを用意していない。
「… 私のために、時間を取ってもらうの、申し訳ないなって思い始めちゃって… 」
言い訳のような言葉が口をつく。やっさんとだったら、二人で図書館に行かない。かすみを誘って三人で行くだろう。出だしから、シュウはやっさんとは違ったのだ。
「前も同じようなこと言われた気がするけど… 嫌じゃないなら、付き合わせて欲しい」
「嫌じゃないよ、とんでもない!」
慌てて打ち消し、隣のシュウを見上げる。
「そう? 最近、僕のこと、避けてない?」
シュウの視線が、映有の表情を捉えた。
「え… 」
これは、取り繕ったにしても、既に見抜かれている。
「… ちょっとね」
言い辛いが口にした。シュウは怒るだろうか。顔色を窺うと、やれやれという顔つきだ。怒ってはいない。
「やっぱり」
映有の答えを確かめると、シュウは再び中庭に視線を戻す。
「僕は、今まで通りがいい」
はっきりした口ぶりだった。これは、いいとか、嫌だとか、映有の答えを求めているように聞こえる。
今まで通りとは、図書館で言っていた、取り繕わなくていい関係のことだろう。それは、映有には無防備過ぎて、境界を超えてしまいそうな危うさがある。だから、"やっさん距離"に戻したかった。そんな説明をシュウにすることはできない。答えられないまま沈黙が流れる。
爽やかな風が二人の間を吹き抜ける。
「手伝ったり、助けたり、誰にでもするわけじゃない」
「うん」
前にも似たような話をした。その時は、誰に対してもではなく、シュウに対しては気を許して付き合ったらいい、と言われた。今は、シュウが誰に対してもではなく、映有にだから世話を焼きたいという話だ。
無防備な関係は、お互いにとって十分特別な関係だ。
文化祭の時に見たアオイとのやり取りは槙村の言った通りなのだろうか。映有の頭の中を巡る考えの内、どこまでを言葉にするか悩ましい。
映有はアオイとシュウの関係と、映有とシュウの関係を比べようとしている。だから、考えが拗れている。
今、シュウはシュウと映有の話をしている。彼は終始、映有が特別だと説明している。映有はその特別さを確かめようとするから、アオイの話が出てきてしまうのだ。
もしかして、確かめる必要などない?
シュウの真意を確かめるために、見上げる。映有だけがそう思っていて、裏切られるのは嫌だ。
「これ、この前のお礼」
映有が口を開く前に、シュウはブレザーのポケットから小瓶を取り出す。
「え?」
小瓶には、映有がシュウに選んだボディローションと同じデザインのラベルが貼られている。
この前のお礼とは、シュウにしてもらったいろいろなことに対して贈ったボディローションの礼のことだ。あの時、病院に付き添って貰ったお礼をすると言ったのに、まだしていないのを思い出す。
「同じ香りで押し付けがましいけど、嫌いじゃなかったら… 」
シュウがそれを差し出す。
「ありがとう… 」
シュウの顔を見ると、まるで特別な関係でいよう、というメッセージのように感じる。
差し出された小瓶の方に手のひらを出す。
シュウは小瓶を映有の手のひらに置くとき、そっと映有に触れていった。まただ。
「リネンミスト。気分転換したい時とか、部屋で使って」
頭の中で散らかった考えがまとまる前に、シュウの言葉が重ねて入ってくる。
「この香り、好き。嬉しい」
机の引き出しにしまい込んだままのハンドクリームを思い出す。同じ香りを纏っていていいというお墨付きのようだった。
「それなら良かった」
シュウは満足げに笑う。
「袋は、持ち歩いてくしゃくしゃになるからやめた」
「その話、どっかで聞いたことあるね… 」
整形外科の待合室で映有が言った言葉だ。
「話しかけたいときにいつでも話せたら、そうならないのに」
「… うん。いつでも、お気兼ねなく」
答えた瞬間、どの口が言うのだろうかと青ざめる。
「そ? 避けてたくせに?」
「ごめん… 」
避けていたことを素直に謝る。シュウも怒ってはいない。
「好きだから、渡した」
小瓶を握りしめる映有の手の甲をシュウがつつく。
「え?」
好きなのは、香りのことなのか、つつかれた映有のことなのか、どちらの意味にも取れた。
「じゃあ、図書館で待ってる」
シュウは映有の肩に触れると、教室に戻って行った。
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AU: (sparkling heart)
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かすみ: ついに?! "Previously on Hal's Life" プリーズ!
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AU: 仲直り?した
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かすみ: つまり?
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AU: 今日からまた図書館行く
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かすみ: 良かったじゃん!
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AU: (Thank you)
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かすみ: で、彼氏にしたの?
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AU: いや… 文字で説明しにくい…
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「なるほど… ハルが白鳥のこと、あんまり私に話してくれないことにモヤってたけど、そういうことね。ノンヴァーバルなコミュニケーションで成り立ってる関係だから、ハルはこのかすみちゃんに説明出来なかったってワケだ」
その日の晩、自室のベッドに横たわりながら、スマートフォンから聞こえるかすみの声に頷く。
「それなんだけど… 何でノンヴァーバルなのか、ずっと考えてたの」
「おう」
「初めから… アイコンタクトの種類が違ったの。私、かすみとアイコンタクトするけど、直前に喋ったことについての、Yes or No のアイコンタクトのような気がしてる」
「まあ、そうだよね。同意か、同意じゃないか」
「それがね、彼との場合、質問自体がアイコンタクト、質問の答えもアイコンタクト」
かすみに打ち明けてみて気づく。映有が同意を求めるアイコンタクトをする時、シュウは映有の本心かどうか見極めようとする。頭で考えた模範解答なのか、心が感じている答えなのか。本当に同意して欲しいのか、と問われている感覚になるのだ。
「何を質問されてるかわかるってこと?」
「そう。だから、アイコンタクトがどんどん増えちゃうの」
本当に?とシュウが目で問うとき、映有の一瞬の迷いはシュウに伝わっている。映有が次の言葉を口に出す前に、シュウはアイコンタクトで追加情報を引き出す。
「言わんでも伝わるなら、人間はラクな方に流されるわな」
「ラクだからか… 」
「え?」
「それ、言われて気づいた」
「え?」
かすみは呆れている。
「アイコンタクトし合うのが好きだからかなって思った」
「それ、単なる恋じゃん」
「え? これ恋じゃないの?」
「今は恋してるでしょ。じゃなくて、ハル、最初っからアイコンタクトの種類が違ったって言ったじゃん」
「うん」
「質問の意味がわかる、答えがわかる、ってセンサーの感度も結果も一緒なんだよ。つまり、情報のインプットからアウトプットまでのプロセスが同じ」
「捉え方が似てるってことか… 」
「相手がこう感じるだろうって予想がきちんとできるのって、いい関係だよ」
シュウは映有の迷いや建前を見抜くから、映有の気持ちを予想できている。しかし、映有はシュウの考えを見抜けているとは言い難い。何故だろうか。映有は感じたことよりも、頭で考えたことを優先してきたからかもしれない。映有が自分の目で見て感じたシュウの映有に対する態度は常に一貫していたにも関わらず、不安になったり、疑ってかかったりした。
それは、自分で感じたものだけでなく、シュウが口にした言葉さえ疑って、状況だけで判断したから、すれ違ってきたのだ。周囲の状況というノイズを取り除けば、シュウがいつも映有に寄り添ってくれていて、映有にだけ心を開いているという事実がある。
「両思いは必然かもね」
「そっか… 」
「あ、両思いって認めたね」
「あは… うん。アイコンタクトが間違ってなければ、そうだね。言葉にすると、気持ちが加速しそうで怖いけど… 」
言葉にしない、それは多分、シュウと映有の暗黙のルールだ。
「好きは好きでいいんじゃない? 溺れずに、お互いの励みになる関係にしたいっていうことでしょ?」
「うん。健全な十八歳、溺れずにいけるかな?」
「あの堅物相手なら、溺れないんじゃない?」
「自分が心配… 」
手を触れられるだけで、心が躍り、触れて欲しいと期待までしている。
「最近の情緒不安定を考えたら、気持ちが通じ合ったほうが落ち着いて勉強できると思うよ」
「そうだね… 」
映有にも初めてのことだ。こんなに短い期間に、こんな感情が芽生えるとは、自分でも信じがたい。しかも、あえて避けてきたはずの恋に自分が落ちるなんて。
「あのさ、念の為、訊くけど、映有はアイツと付き合いたい、とは思ってないんだよね?」
「え? 付き合う? 今は無理! 絶対勉強しなくなる!」
シュウがそれを望んでいたら、二の足を踏む。いや、拒絶反応を示したかもしれない。
「だよね。そんで、それ、アイツもそう思ってるの?」
「え? 付き合おう、とか言われてないし… 」
"今まで通りがいい" は、そういう意味だ。
「… ま、それがアイツだな… あ、ハル、ごめん、うるさいッて弟に壁蹴られた。そろそろ切らないと… 」
「ごめん、付き合わせて。また明日ね。おやすみ」
「おやすみ!」
映有はスマートフォンを置いた。




