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15 健全な道



 文化祭の一日目は校内公開、二日目は一般公開。二日目は一般客の退場後、片付けをし、その後、後夜祭のキャンプファイヤーへと続く。


 例年、一日目は校内恋愛のターニングポイントで、二日目のキャンプファイヤーではカップル誕生を在校生一同が目撃するという流れである。一年生と二年生の場合は。

 三年生の場合は、受験勉強の佳境を迎えるにあたり、勉強と恋愛の両立に悩んだカップルが、この文化祭、キャンプファイヤーに前後して、文字通り、炎上して燃え尽きていく。



「ま、関係ないけどね、私は」

 とは、客の呼び込みに疲れて、渡り廊下でサボっているかすみの台詞だ。


「晴れて、東京で美大生になれたら、恋愛を謳歌してやるッ。今は勉強!!」

 かすみは校内でも珍しい芸大志望だ。


「3組のさやかと島本くんは既にバーンアウト、陸部のあんちゃんと高橋も付き合い始めたばっかりなのにバックファイヤーだって」


「かすみの情報網はすごいね」

 映有はスマートフォンの電卓をアプリを弾きながら答える。


「何やってるの?」

「仕入れよ… 何故か、今日、特売日で、予算より仕入れ額少なくて済んじゃってさ… 後でもいいんだけど、忘れそうだから、会計に報告入れてる… 」


「真面目!」

 かすみが揶揄う。


「ハル… まださ、山下のこと気にしてる?」

 唐突に出て来た名前に困惑する。

「山下…?」

 文化祭の話ではなく、先ほどの校内の恋愛事情の続きなのだと理解した。

 山下は、苦々しい過去だ。映有がピアスホールを開けるきっかけになった男。今まで、かすみがその話題を避けてくれていたのはわかっていた。


「全然、気にしてないよ」

 今となっては廊下ですれ違っても挨拶すらしない仲だ。挨拶ぐらいすれば、と思ったことはあるが、もはやどうでもいい。そもそも、好きにすらなれなかった。


「ハル、高校で恋しなかったのは、山下との噂を気にしてとかじゃない? 気にするなって何度も言おうと思ったけど、今まで言えなかった」

 かすみがしんみり言う。


 山下との噂は、映有と山下が何度かデートした果てに、映有がフラれた、というものだ。後半部分は事実無根だが、真相は二人しか知らない。山下が勝手に言い寄ってきて、ある日、突然それをやめただけだ。

 映有は山下の言動よりも、山下にフラれたというレッテルを貼られたことが苦痛だった。


 同級生を見渡しても、恋愛フラグは一人一つ。二つ以上あるのは、恋多き人と映有は思ってしまう。そんなくだらない体裁を気にして、男友だちとの距離感を意図的にコントロールしてきた。快活で隙を見せなければ、相手がその気になることもほとんどない。友だち枠から外れないような言動はすっかり板についていた。

 無理をして恋人を作らなかったわけではなく、そこまでの気持ちになる相手に巡り合いもしなかったから、苦にもならなかった。むしろ、新しいテクニックが手に入ったことは、映有の成長の一つでもある。

 


「いい人いなかっただけ。彼は関係ないかな… 」

「そう? 映有はさ、アノ男と進展したりしてないの?」

 映有はスマートフォンを触る手を止める。


「え?」

「文化祭、一緒に回ろうよ、とかさ?」

 例の記者会見か、とかすみに言われたシュウとの関係のことだ。


「ないない!」

 医務室に行った時のことを思い出して、心が乱れる。


「ド健全だってのは聞いたけど」

「とても、良好な友人関係」

 しがみついたシュウの首の香りが過ぎる気がして、頭の中で全否定する。


「へ〜え! ハルがそう思ってても向こうはそうじゃないかもよ〜?」

 かすみが目をキラつかせている。しかし、好奇心で訊いているのではないことはわかる。今までの映有が掛けた心配の積み重ねなのだ。


「こらこら、茶化さないでよ。今まで経験したことのないような良質なコミュニケーションができてて、恋とか愛とかと違う感じがしてる」

 特別な関係ではあるが、色恋かというと違うと言いたい。


「ほお〜!語るじゃん? このかすみちゃんを超える親友だなんて言ったら、ちょっと妬くけど?」

「超えない! かすみはかすみ。いつもありがとう… かすみの気遣いに、ずっと感謝してる。サイコーの親友… 」

 戯けて、かすみに抱きつくと、秋の爽やかな風が吹き抜ける。



「高校最後の文化祭だね… サボってないで思い出作りに行こうか… 」

「せっかくの浴衣だしね、みんなで写真撮らないとね!」

 二人で互いの浴衣の襟元を改め、ニンマリと笑う。

 

 高校一年で同じクラスになり意気投合し、クラスが離れてもかすみとの縁は続いた。二人とも東京に進学しても、できなくても友達付き合いは続くだろう。しかし、同じ学舎で毎日顔を合わせることはなくなる。

 爽やかに吹きつける風は、これから始まる厳しい受験シーズンと、その後の別れの季節を予告するようで、急に寂しい気分になった。



   §



 シュウの見立てが良かったのか、一日目はいい按配で全メニューが売り切れた。早めの店仕舞いをして、クラスの皆は他の模擬店や出し物に繰り出していく。映有は片付けのために早々に浴衣からTシャツに着替えた。祖母譲りの浴衣は麻で織られていて、皺がつきやすい。


「ハル! 吹奏楽のステージ、15時半から! 私、先に行くけど、現地集合にしよ!」

 吹奏楽部OGのかすみはステージの準備を手伝うらしく、浴衣のまま飛び出していく。


「後でね… 」

 映有の返事を聞く前に、かすみの姿は消えた。


 二日目の準備のため、紙皿や紙コップをカウンターの下に補充していると、近くに誰かやって来た。


「代わるよ。片手じゃ大変じゃない?」

 シュウだった。映有の左手の包帯を指差す。


「もう終わるよ、大丈夫」

 しゃがんだまま、紙コップの入った長い筒を段ボールの中に並べながら答えた。


「この後、吹奏楽の、行く?」

「そのつもり」


「その前に、まだ時間ある?」

 かすみと数時間前にした会話を思い出す。かすみの言った "一緒に回ろうよ、とか" なのだろうか。潜り込んだカウンターの下から這い出て、シュウを見上げる。


 "頑張って話しかけてるんだけど、つれない"

 アオイという他校生が言っていた言葉だ。


 頑張らなくても、シュウから話しかけてくる。

 頑張る?



「うん… どこか見て回る?」

 思わず、口をついた言葉に自分で驚く。じんわりと額に汗が滲んだ。自分から誘ってどうする。これは "ド健全'' の範囲を越えた。

 もしかしたら、片付けを手伝って欲しくて、時間があるか聞いてきたのかもしれない。だとしたら、噛み合わない返事だったに違いない。

 額の汗を拭うふりをして、シュウから目を逸らす。


「何がいい?」

 頭上からシュウの声がする。噛み合っていたのだろうか。

 もう一度、シュウを見上げる。映有の答えを待っている。


「… あんまり、時間ないけど… 」

 いつもの映有なら、ノーアイデア! と叫び出しそうな場面だった。

 "まごついているのを隠す" ための、"はっきりした切り返し" は要らない関係だと言われている。


「… 美術展、書道展、写真展とか?」

 一呼吸おいて、声を張らずに答える。

 お化け屋敷で、大して怖くもないのに、キャアキャア言って同行者にしがみつくのは映有らしくない。巨大迷路や、謎解きイベントで、はぐれないように、なんて言って同行者と手を繋ぐなんていうのもらしくない。

 何なら、過去二年間、そういう場面で怖がる女友達に腕を貸し、手を繋いでやってきたのは映有の方である。

 いや、何故、そんな不健全な妄想をしたのか、自分でも嫌になる。



 地味な提案に、シュウはどう感じただろうか。

 シュウは、斜め上を眺めながら考えている。


「それなら、吹奏楽のステージに間に合いそうでしょ?」

 教室の壁時計を指差して、ダメ押しした。地味な提案には理由があるのだ。

 映有は立ち上がろうとするが、左手が使えないことに気づき、右手を床に付こうとした。

 するとシュウの手が差し出され、自然とその手につかまった。


「なるほどね。じゃあ… 写真、行こうか」

 かすみの言う "ド健全" の範囲だ。


"ド健全"


 映有は心の中で反芻した。




   §




文化(・・)祭なのに、一度も、文化部系の展示見たことなくてさ」

 写真部の作品展示会場は藻抜けの殻だった。一般棟の生徒の喧騒は遠く、静まり返っている。


 写真部の部員が撮った風景写真に続き、次に部活中のスナップ写真が並んでいる。


「バスケ部だったっけ?」

 映有はESS部に半年だけ在籍して辞めている。高校は運動部には入らなかった。熱中しすぎると、他のことが疎かになりそうだったからだ。体育館を使う部活同士仲良さそうにしているのは何となく羨ましくはあったが、自分の時間を持てたのは良かった。


「そう。文化祭じゃなく、球技大会が見せ場」

「あ、コレ… 」

 映有が指差した写真には、一年か二年の時のシュウが写っていた。


「県大会の時のだ… 」

 シュウは懐かしそうに眺めて立ち止まる。


「結構、上手かったんだ。知らないかもしれないけど」

「噂には聞いてたよ」

 聞いていた。背格好は目立つが、性格に派手さのないシュウがバスケの優秀選手に選ばれた、とか。そんな噂で、女子たちの注目を浴びていた。


「え? 僕のこと知ってた?」

「名前と顔ぐらいは… 」

 シュウは意外そうな顔で映有の顔を覗き込んでいるが、実はそれ以上はほとんど知らない。ちょっとした悪戯心が湧く。


「もしかして… オレ(・・)写真を見せようと思って連れて来た?」

 映有は、わざとオレ(・・)と言ってみる。シュウを見上げて、見つめ返す。

 

「まさか!! 試合の時、写真部が写真撮ってたのは知ってたけど、オレ(・・)の写真を撮ってたなんて、今知ったし、展示されてるのも、今初めて見た!! そもそも、写真は苦手なんだよッ」

 いつもより勢いよく喋る様子から、相当動揺しているのがわかる。悪戯成功だ。


「アハ! オレ(・・)の写真、撮られて、飾られてたね」

 映有と話す時はいつも()と言うのに、動揺するとオレ(・・)になる。それが可笑しい。


「田中さんの写真、探そ」

 笑っている映有にやり返したいのか、シュウは写真に目を凝らして写真の中の群衆に映有を探し始める。


「見つからないでしょ」

 部活に入っていないも同然、映有には写真に映り込むような場面が思いつかない。

 シュウは一人で大股に展示パネルをすり抜けでいく。



「見つけた!」

 展示ルートの先からシュウが声を上げる。



 追いついて、シュウの隣に並ぶ。

「あ、コレ」

 一年生の体育祭の写真だった。四人五脚リレーを完走した映有とかすみ、楢崎とやっさんが肩を組んで笑っている。16歳の映有は、今よりもふっくらしていて、恥ずかしい。体育祭とは言え、太ももも露わだ。


「このメンバー、同じクラスだったんだよな… 」

 シュウがしみじみ言う。


「うん、私と楢崎、かすみとやっさんはそれぞれ中学も一緒」

 楢崎とは腐れ縁だ。


「へぇ。こういうの、卒業アルバムにも載るのかな… 」

 今日は何だかしんみりした話になる。


 卒業アルバムなんて気にするタイプ?

 茶化す言葉は飲み込む。


「このまま、受験まで勉強漬けで、卒業式。その時はまだ、結果出てない人もいるし、その後、後期試験を受ける人もいるだろうし… 進路が決まらないまま、別れがやってくるのは寂しいよね… 」

 毎年、三年生は不安なまま卒業していく。卒業式の当日でも、終わればそそくさと、図書館や塾の自習室へ向かう人もいる。


 かすみとの会話から、どうしても感傷的になってしまう。

 最近芽生えた映有とシュウの友情は、きっと何の形にも残らない。卒業した後、一時期仲良くした男子がいた、と映有はシュウのことを思い出すのだろうか。


「写真、撮っておきたいな… 」

 この青春の一コマを記録に残しておきたい気持ちが湧き上がる。

 写真は苦手だと言われたばかりだが。

 今の私たちの写真を撮ろう、そんな直球は投げられなかった。伝わらなくても仕方ない。



「… そうだね」

 シュウはスマートフォンを取り出すと、腕を前に伸ばした。


 画角に入るよう、肩を寄せ合う。


「田中さん、笑ってよ」

「え? 笑ってる」

 二人で画面を見ながら、表情を変える。


「もっとじゃない?」

 シュウはパシャパシャとシャッターボタンを押し続ける。

「え?」


「このぐらい」

 画面の中のシュウは戯けて、変顔をする。

「ちょっと! 反則!!」


 何枚もシャッターを切り続けたシュウは、スマートフォンを高く上げると、撮った写真を確認する。


「見せて!」

 映有が画面を覗き込もうとすると、シュウはクルクルと向きを変えて、映有を避ける。


「バスケ部っぽい動き! ズルい!」

 背の高いシュウが向きを変えながら、スマートフォンを映有から遠ざける。シュウは完全に楽しんでいる。


「後で、傑作を選んで送るよ」

「もう! 補正入れてよ」

 手を伸ばしてもシュウの手には届かない。


「記録だから、そのまま渡すよ」

 シュウがニヤリと笑う。


「… 」

 記録、映有が思っていたのと同じことだった。

 一番記録しておきたいのは、こうして言葉にしなかったことをシュウと共有できたその感覚だった。これは、いつまでも忘れたくない。





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