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終電、初恋  作者: 一咲花詩音
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『2004年12月25日』

 目を開けると、そこに彼女の姿はなかった。


「……いない、のか?」

「……。」


 僕の質問に答える声はない。急いで玄関に向かうと、いつも綺麗に揃えられていた靴がなくなっていた。鍵を開け外に出たが、通り道にもいなかった。部屋に戻るついでにポストを確認すると、中には家の鍵が入っていた。


「本当に、出て行ったんだな。」

 

 部屋に戻ってキッチンにある鍋の蓋を開けると、彼女が作ってくれたカレーが残っていた。そして部屋を見渡すと、いつも同じ場所にかけてあったスーツ用のコートがなくなっていることに気が付いた。ふとテーブルのほうへ視線を落とすと、チラシの裏に何かが書かれているのが見えた。


『鏑木さん。お母さんのこと、幸せにしてあげてください。未来の娘より。』

『外を出たらあまりに寒かったから、コートだけもらっていきますね。』


「ハハ。そりゃ、あの格好で外に出たら寒いだろ。」


 それにしても、未来の娘って…一体どういう意味だろう。僕は将来、彼女の父になるということか?まさか、未来の娘が父親を救うためにタイムスリップしてきた…とか?いやいや、そんなわけない。きっと彼女の冗談だろう。いやでもしかし、彼女はとても不思議な子だった。名前も何もわからないけど、でも何かが引っかかる。もしかしたら、本当に…。

 視界の奥で何かがチカチカと点滅しているような気がして、ベッドのほうへと目線をずらす。その先で、携帯電話が緑色に点滅していた。画面を開くと、夢原さんからメッセージが届いていた。


「もう、連絡は来ないかと思ってました。お仕事、お疲れ様です。」


 僕は急いで、夢原さんへ電話をかけた。そして何度も何度も謝罪をした。夢原さんは笑って許してくれた。昨日は夢原さんから誘ってくれたけど、今度は僕からお誘いの言葉を伝えた。何時間も待たせて、不安にさせて、断られたら仕方ないと思っていたけれど、夢原さんは明るい声で「行きましょう」と答えてくれた。電話を切り、喜びを噛み締める。ベッドに仰向けになり、静かな時間が流れる。


「そういえば…。僕、もう童貞じゃないんだ…。」


 彼女がいない今、もはやあれはただの夢だったんじゃないのか?と思ってしまう。だけど、でも確実に、僕はこの部屋で、このベッドで、彼女とセックスをしたんだ。そのおかげなのか、今の僕は少しだけ大人になれたような気がする。夢原さんとのデートにも、自信を持って向かうことができる。清々しい気分だ。そして…本来なら、僕は終電に轢かれて死んでいたことを思い出し、とても怖くなった。働き方の異常性、味方のいない環境、それらに慣れて自分のことを犠牲にしてしまっていた。誰かのせいで死を選ぶなんて、死にたいなんて思っちゃいけない。そして僕を救ってくれた彼女には感謝しかない。もうここにはいないけど…いつかまた会うことができたら、その時は改めてお礼を言いたい。

 

 家を出る直前、廊下の窓が開いていることに気が付いた。そういえば、料理の時に換気したいからって彼女が開けていたな。もう彼女はいないし、閉めておこう。


 待ち合わせ場所に向かうと、夢原さんが立っていた。約束の時間よりも30分早いのに…いつから待っていたのだろうか。夢原さんは本当に怒ってなくて、むしろ生きていてくれてありがとう!と涙を流しながら僕に抱き着いてきた。まさか、昨夜起きたことを知っているのだろうか。自殺未遂の話はまだ誰にも…なんなら今後も誰かに話す気はないのに…。でも精神的にまいっていた話はしたから、僕を思っての言葉なのかもしれない。あぁ、ありがたい。普段の夢原さんはこんなに感情を出す性格ではないから驚いたけど、こうやって僕のことを心配して泣いてくれる人がいる。夢原さんの姿に、僕も涙が零れそうになった。きっと、僕の居場所は夢原さんの隣なのだろう。一瞬彼女の顔が頭をよぎったけど、彼女は僕の元を離れた。彼女はきっと、未来からやってきた僕の救世主…もしかしたら本当に娘なのかもしれない。いや、娘は父親とセックスなんてしないか。あの置き手紙は、やっぱり彼女の冗談だったのだろう。

 僕と夢原さんは、昨夜行く予定だったレストランへと向かった。食事を終え外へ出る。この後はどうしようか…そんな空気が流れると、夢原さんが僕の部屋に行きたいと提案した。


「昼間に掃除しておいて良かった。どうぞ。」

「お邪魔します…。」

「何もなくて…飲み物、お茶でもいい?」

「はい、ありがとうございます。」

「適当に座ってて。」


 お茶を持って行くと、夢原さんはテーブルに置いたままだった彼女の置き手紙を眺めていた。


「あ…ッ!」

「これって…。」

「いや、あの…気にしないで。」


 僕は急いで、彼女からの置き手紙を取り棚の奥へとしまった。夢原さんは、ただじっと僕の様子を見つめている。


「鏑木さん。鏑木さんは、今、気になる女性とかお付き合いしている女性とか…いますか?」

「彼女なんていないよ。いたら夢原さんと食事になんて行かない。」

「そうなんですね。」

「えっと…あの……。」

「はい。」


 僕は彼女の隣に座り、彼女と向き合う。ここで言わなければ、男が廃るというものだ。意を決して前を向くと、彼女も真剣な表情で僕を見つめていた。


「僕は、夢原さんとお付き合いしたいって…思ってます。」

「え…。あの…本当……ですか?」

「うん。そうじゃないと、クリスマスに自分の部屋に連れてくるわけないよ。」


 夢原さんは、とても嬉しそうな…幸せそうな表情を見せた。そして、大きく首を縦に振る。その様子を見て、僕も嬉しくなる。僕は彼女との練習を思い出し、夢原さんをエスコートした。恥ずかしがる夢原さんはとても可愛くて、もし童貞だったら緊張でそれどころではなかっただろう。今の僕は一皮剥けた大人の男なのだ。昨夜の手順通り、電気を消し、キスを交わした。

 行為を無事に終えた僕たちは、初々しいカップルらしくまどろみの時間を過ごした。時計の針が0時20分を過ぎた頃、夢原さんの携帯電話が鳴った。


「ニュースの通知です。えっと……終電で人身事故だそうです。電車、止まってる。」

「え、もうそんな時間だったんだ。今日は泊まっていきなよ。もう遅いし…。」

「ありがとうございます。」

「どこの駅?ちょっとその記事見せて。……これ、今日待ち合わせで使った駅だ。」


 記事には、現場に偶々居合わせた記者が撮影したらしい写真も載っていた。見慣れたホームの写真、人がごった返す写真、そして…ホームに置かれている、女性の靴。写真の補足には『電車に飛び込んだ者が残した靴』とある。この靴…どこかで見たような…僕の玄関…あれ……。僕が真剣な表情で写真を見ていると、夢原さんが僕の唇を奪う。


「もっと…したいです。ダメ、ですか?」

「ダメじゃないよ。」


 鏑木さんの背中越しに、自分の顔が鏡に写る。

 

 あぁ、幸せ。

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