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終電、初恋  作者: 一咲花詩音
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『母』

―2024年8月22日―


「うぅ……。」


 二日酔いに頭を抱えながら、私はリビングへ続く廊下をゆっくりと歩いた。若い頃は、どれだけ飲んでも翌日に残ることなんてなかったというのに…。40歳って、想像していたよりも若くないんだな。

アルコール耐性が落ちた肉体に対する悲壮感。そしてまたしても、酔った勢いで娘に初恋の話をしてしまったことに対する後悔の念。


「はぁ。」


 朝から気分は憂鬱だ。鏑木さんに関しては…まぁ、さすがに20年も前の話だしもう吹っ切れてはいる。だけど、お酒を飲むとどうしても思い出してしまう。じゃあお酒を飲まなければいい話なのだが、毎日の肉体労働にはお酒が必要なのだ。どんなに疲れていても、お酒を飲むと体が生き返る。それが今までの私だった。しかし副作用に初恋のフラッシュバッグだけでなく、二日酔いも入ってくるとなると…もう、飲まないほうがいいのだろうな。それに、母親の重い恋愛トークを聞かされる娘の身にもなってみろ。私は自分の肉体に喝を入れながら、仕事着に袖を通した。


「夢原さん、今日は本社の人が来ていて。対応お願いします。」

「はいはい。」


 大学を中退した私は、実家に戻り出産と育児に専念した。そして娘が3歳になった頃、再び鏑木さんと出会った街へ娘と共に引っ越してきた。本来ならここには戻るべきではないのだろう。あぁ、それなのに…私はあろうことか、鏑木さんが轢かれた駅のホームで駅員として働いている。今年でもう17年目だ。どうしてこの場所を選んだのかはわからない。鏑木さんが幽霊になって会いに来てくれたら…なんて妄想をしていたのかもしれない。そんなわけないのに。だって鏑木さんは、あの日私の所には現れなかったんだから。いや、鏑木さんは約束を破るような人じゃない。頭ではわかってる。だけど…大切な人を失うというのは、こんなにも…まるで呪いのようにずっと付いて回るのだな、と嫌でも思い知らされる。吹っ切れている、忘れたい、だけど忘れられない、忘れたくない。私と鏑木さんが接した時間なんて、人生の尺で考えたら一瞬だったけど…それでも私は…。駅で勤務していると、スーツ姿のサラリーマンを毎日目にする。その度に私は、鏑木さんの影を追ってしまう。


「はは。全然吹っ切れてなんかいないじゃないか…。」


 変わらない日常を淡々と過ごし、今日最後の電車が発車する頃。隣の駅で飛び込みがあったとの連絡が入った。振り替え輸送や誘導で天手古舞となり、帰宅時間がいつもより遅くなってしまった。


「ただいまぁ…。」


 くたくたになって帰ると、玄関に娘の靴がなかった。いつもの「おかえりなさい。」という娘の言葉もない。サークルの飲み会が長引いているのだろうか。もしかしたら連絡が来ているかもしれない、そう思って携帯電話を確認すると、娘から不思議なメッセージが届いていた。


『お母さんの初恋、成就させてくるからね!』


 これは一体どういう意味なのだろう。冗談だろうか。でもあの子が鏑木さんのことで冗談を言ったことなど一度もなかった。いつも優しく頷いてくれて…あぁ、もしかしたら飲み会で酔っぱらっているのかもしれないな。きっと、もうすぐ帰ってくるだろう。私はメッセージの画面を切り替え、ニュースサイトを開く。速報マークと共に、人身事故に関する記事が更新されていた。


『飛び込む前の様子をたまたま見ていたんですけど。その人、なぜか靴を脱いでから飛び込んだんです。これがその時の写真です。』


 写真には、ホームの白線に揃えられた靴が写っていた。それは特徴的な色味で。一瞬見ただけでも印象に残るデザインで。気になった私は、その写真を拡大表示した。画面いっぱいに大きく写るその靴には、見覚えがあった。


「やっぱり…あの子の靴と同じ……。」


 これが何の変哲もないただのスニーカーだったら、特に気に留めることもなかっただろう。しかしこの靴は、今はもう手に入らない限定モデルだ。数年前、娘の誕生日にお願いされて私がプレゼントしてあげたもの。娘に連れられてお店に行き、色やデザインについて悩みに悩んで購入した靴を見間違えるわけがない。でももしかしたら…偶然同じ靴を履いていただけかもしれない…うん、きっとそうだ。そうに違いない。だけどそうは思っても、一度抱いたこの気持ちをなかったことにはできない。現に娘は、変なメッセージを残していなくなってしまったのだから…。このままベッドに入ったところで、きっと眠れはしないだろう。私は急いで、事故が起きた駅へと向かった。


「お疲れ様です、夢原です。」

「あれー夢原さん!お疲れ様です。こんな時間にどうされました?」

「あの、数時間前の飛び込みの件で…」

「あぁーそれなんですけどね。実は…誰も飛び込んでいなくて。」

「え?」

「いや、確実に飛び込んだはずなんです。目撃者も多かったですし…防犯カメラにも映ってましたから。でもね、電車に何かが衝突した痕跡も、線路に人が落ちた様子も……そもそも飛び込んだ人がどこにもいなくて。」

「そんな…。じゃ、じゃあ靴は?ネット記事の書き込みには、靴があったって。」

「あぁ、それならここに。落とし物として保管してます。ちょっと待っててくださいねー。はい、これです。」

「……やっぱり。これは娘の……。」

「え?」


 限定モデルのシリアルナンバーには、娘の誕生日である『1001』の刻印が入っていた。私は受け取りの手続きを済ませると、娘の靴を持って自宅へ帰ることにした。一体、何がどうなっているのか。頼み込んで防犯カメラの映像を確認させてもらったが、映像には娘が飛び込む姿がしっかりと映っていた。それなのに、娘はどこにもいない。


「そういえば……」


 私はすぐに、娘から届いていたメッセージの受信時刻を確認した。娘からメッセージが送られてきたのは、飛び込み時刻の数分前だった。まさか本当に…いや、そんなことあるわけがない。初恋を成就させるなんて、そんなことは絶対に無理だ。どんなに願ったところで、死者は生き返らない。そんな夢のような話は…。これは、私のせいなのだろうか。私が娘に、鏑木さんのことを何度も話したから…。誰かに聞いてほしくて話してしまった私の弱さが、娘を殺してしまったのだろうか。冷静に考えたら、自ら電車に飛び込んで死んでしまった人の話なんて、教育上良いわけがない。今更後悔しても遅いが、私はなんてことをしてしまったんだろう。私は鏑木さんだけでなく、大切な一人娘まで失うというのか…。しかも鏑木さんの時と同じ駅、終電の飛び込みで…。


「う…うぐぅ……ん…」


 娘の靴を抱きしめ、私は大粒の涙を流した。もう、どうすればいいのかわからない。帰ったところで、娘はいない。大切な人を失ったこの世界で、これからどうやって生きていけば良いのか。力なくふらつきながら歩いていると、道端に黄色い封筒が落ちているのが見えた。誰かの落とし物だろうか。


「この形……」


 どこかで見たような。なんだろう…。黄色…封筒…。この瞬間私の頭の中には、先ほど確認した防犯カメラの映像が飛び込んできた。この封筒が、飛び込む直前の娘が握りしめていたものに酷似していたからだ。娘は、確かに黄色い封筒のようなものを持っていた。普段なら道端に落ちている物なんて、ましてや封筒なんて絶対に触らないし開けるわけもない。だけど娘に繋がる手がかりかもしれないと思ったら、もう居ても立っても居られず、私は封筒を拾ってすぐに封を開けた。そして封筒に入っていた内容から、娘に何が起きたのかを理解した。こんなこと現実にあるわけがない、ということはわかっている。だけどこの封筒を信じる他に選択肢はなかった。この内容が正しいなら、きっと過去に飛んだ娘は今頃この靴を履いているのだろう。だけど…過去から未来へ戻る時は、その靴を履いている状態で飛び込まなければならない…。このルールにおいて、靴は未来との絆ってことなのかな。過去に置いてきてしまうと、戻ることはできない…か。とにかく、私も急いで向かわねばならない。

 鏑木さんを救うために過去へと飛んだ娘を救うため、翌12月23日。最終電車に飛び込むことを決意した。

 

 目を開けると、そこは最寄り駅の待合室だった。周りには駅員や野次馬が数人集まっている。


「…ん……。」

「大丈夫ですか…?どこか痛いとか…ありますか?」

「あ、あの…ッ!今日って何年の何月何日ですか?!」

「ん?えぇっと…さっき0時を過ぎたから、今日は2004年の12月24日ですよ。」

「本当に…こんなことが起きるなんて…。あ、ありがとうございます。えっと…もう、大丈夫ですので。」


 辺りを見渡し、ここは隣駅…鏑木さんが利用していた駅の待合室だと気づく。過去に戻る時に使った駅と同じ駅ではないのか…


「ってことは…ッ!」

 

 待合室にある時計は、0時5分を指していた。鏑木さんが撥ねられたのは、0時20分。隣駅までは全速力で10分…よし、急げば間に合う!すっと立ち上がると、隣に座る女性から声をかけられた。


「あのー良かったらこれ。着てください。その格好で外に出たら、風邪をひいちゃいますよ。」

「そっか…12月……あ、ありがとうございます!」


 待合室から出ると、あまりの風の冷たさに一瞬だけ体が強張った。が、そんなことを気にしている場合ではない。私は一目散に隣の駅へと向かった。電車に乗れたら良かったのだが、この駅の最終電車が鏑木さんを撥ねることになる。それでは意味がないどころか、更に深いトラウマを抱えることになってしまう。自分が乗っている電車が、大切な人を轢き殺すなんて…恐ろしいにも程がある。私は無我夢中で走った。走るなんて久しぶりだが、40歳なのにこんなに軽く走れるものなんだな、愛の力だな。そんなことを思いながらショーウインドウに映る自分を見ると、その姿はまるで2004年頃の…若かりし頃の自分だった。私は過去に戻ることで、肉体も若返っていたのだ。だからこんなに走れるのか…これなら鏑木さんに会っても怪しまれないで済む。鏑木さんを救いたい、早く鏑木さんに会いたい、会って大好きだって伝えたい。逸る気持ちの赴くままに、私は全速力で深夜の住宅街を駆けた。


「ッハァハァ…待ってて、鏑木さん……ッ!」


 駅に着き、時計を確認する。0時19分。ギリギリの所で間に合うと、ポケットに入っていたお金で切符を買い急いで改札を抜けた。階段を昇り切ってホームに出ると、誰かが倒れているのが見えた。まさか間に合わなかったのだろうか。駆け寄ろうとした瞬間、倒れている男女が鏑木さんと娘だとわかった。娘は宣言通り、鏑木さんを救っていた。娘は、私の初恋を成就させるために頑張ってくれていたのだ。私は嬉しさのあまり、すぐに二人の元へと駆け寄ろうとした。しかし、なんだか二人の様子がおかしい。それは女の勘だった。何か…なんだろう、胸騒ぎがする。鏑木さんが生きているというのに…娘も生きているのに…私は見つからないよう身を潜めながら、二人と一緒に最終電車へ乗り込んだ。

私は今、とても良くない考え方をしている。わかっている。だけど、だからってこんな気持ちのままではいられない。私は二人の後をつけることにした。二人は、手を繋いでいた。今日はクリスマスイブ、いや…もうクリスマス当日か。本当なら私とご飯に行く予定で。私が悲しい気持ちで眠っている頃で。それなのに、鏑木さんは娘とあんな…。いやでも…もしかしたら娘が、鏑木さんを唆しているのかもしれない。私は何を不安がっているのだろう。私は二人を救うために過去へ戻ったというのに。何をしているのだろう。何を…見せられているのだろう。

 電車から降り、改札を抜け、暗い夜道を進む。その間も、二人はしっかり手を握り合っていた。そして小さなアパートへと入っていく。部屋の表札には、『鏑木』と書かれていた。


「鏑木さんの部屋。私だって、まだ入ったことないのに…。」


 廊下側の窓が少し開いていて、中の様子を確認することができた。部屋の中からは、カレーの匂いがした。私はどうしても二人のことが気になり、廊下から観察することにした。幸いにもこの辺りは人通りが少なく、通報される心配もなさそうだった。


「鏑木さんの声だ…。」


 カレーの匂いと共に、鏑木さんの声が聞こえてきた。私の頬には嬉し涙が伝っていた。優しい鏑木さんの声。鏑木さんが生きている。もっと聞いていたい…。私は耳を澄ませ、鏑木さんの声に全神経を集中させた。すると、段々鏑木さんの声が大きくなっていくのがわかった。酔っぱらっているのだろうか。でもその声は、鏑木さんの当時の内面そのもので。魂の叫びで。とても…とても苦しいものだった。私は涙を流しながら、鏑木さんの話を聞いた。そして部屋には沈黙が流れた。二人とも眠ってしまったのだろうか。それならいい。私もここに長居するわけにはいかないし、そろそろ移動しよう。そう思った瞬間。部屋の中からは耳を塞ぎたくなるような、悍ましい男女の声が聞こえてきた。それは鏑木さんと娘の…私の涙は、憎悪へと変わった。


 怒りとは恐ろしいもので。真冬にも関わらず、私は鏑木さんの自宅前に腰をおろしたまま一睡もせずに朝を迎えた。


「ん……眩しい。」


 太陽が昇り、陽の光に照らされて我に返る。とりあえず、ここから離れないと…。私は近くの喫茶店へと入った。そして、今自分は何をすべきなのか考えた。煮えくり返る腸を落ち着かせるように、胃から腸へとホットコーヒーを流し込む。そしてテーブルに置かれていたボールペンを持ち、アンケート用紙を裏返した。


え…何あれ…どういうこと。

なんで鏑木さんと娘がセックスしてるの?

娘は、私の初恋を成就させるために来たんだよね?

母親の初恋を成就させるために、鏑木さんを救ったんだよね?

鏑木さんが生きてくれていて嬉しいけど…

いやでも、そもそも…そもそもそれは私がやりたかったことで。

鏑木さんの隣は、私の居場所なのに。

あの子、まさかここに居続けようとしてるんじゃないでしょうね…

そんなこと…許さない。

鏑木さんは……私のもの。


 声にならない心の叫びを、無我夢中で文字に起こしていく。テーブルとぶつかるボールペンの音に、周りの客も異様な視線を向ける。しかし私は、周りの目などお構いなしにこの感情をぶつけ続けた。乱雑に書かれた文字の上にまた文字が重なり、純白のキャンバスが漆黒へと染まっていく。何度も何度も重ねられた文字がキャンバスをすり減らせ、終点へとたどり着く。その瞬間、私は我に返ったように手を止めた。爽やかな朝にふさわしい店内BGMが、ゆっくりと聞こえ始めその場にいる皆の歯車が回り出す。手から零れたボールペンが、そのままテーブルの上を気持ちよさそうに転がっていく。


「ふぅ…。」


 私は心を落ち着かせるように、コーヒーを一口含んだ。湯気がたつほどに熱を帯びていたコーヒーは、人肌程度の温度になっていてとても飲みやすい。


「どうせ私は、この時代の人間じゃない。」


 鏑木さんのことは娘が助けてくれたし、あとは娘を連れて20年後に戻るだけ。頭ではわかっている。だけど、本当は私だって鏑木さんと一緒に過ごしたい。でもこの時代には、20年前の私がいる。まだ何も知らない、何の苦労も知らない私が。私は…大好きだった鏑木さんを失って、やっとの思いで入った大学を中退して、娘を一人で育てて…。それなのに大切な娘に裏切られ、鏑木さんとも幸せになれないまま…そんな…そんなの…あんまりじゃないか。私だって幸せになりたい。鏑木さんと幸せになりたい。幸せを、鏑木さんと作っていきたい。でも、私がいる。同じ人間が二人いる。邪魔者は二人。私がこの世界で、鏑木さんと幸せになるには…どうすれば…


「あぁ。私が、この時代の夢原小梅になればいいのか。」


 そうだ。簡単なことじゃないか。そうしたら、私は鏑木さんと幸せになれる。あの頃できなかったこと、諦めたこと全てを手に入れることができる。

 私は鼻歌まじりの明るい表情で喫茶店を出ると、2004年頃に自分が住んでいたアパートへと向かった。合鍵の隠し場所は、電気メーターの裏。静かに鍵を開けると、部屋の中からは話し声が聞こえた。覗いてみると、2004年を生きる夢原小梅が誰かと電話をしている最中だった。私はキッチンにあった包丁を手に取り、電話を終えた瞬間の自分を刺した。


「同じ人間は、二人もいらないよ。」


 自分を殺すことには何の躊躇いもなかった。この世界で生きると決めたんだから、もう何も迷いはない。

 テレビでは、当時流行っていたバラエティ番組が流れていた。若かりし頃の芸能人が笑っている。だけど、この部屋は静寂に包まれていた。無音。何も聞こえない。ただ、心臓の音だけが大きくこだましている。脈を打っている。私は生きている。だけど、目の前で私が死んでいる。人を殺したのに、まるで人形を壊したような感覚。目の前に転がっているのは、人の形をした肉の器だ。人間じゃない。そう思い込むことで、冷静さを保つ。だけど肉の器から流れる液体は、血の気が引く程に赤くサビついていて。とても、とても温かかった。張り詰めた部屋の空気を打ち消すように、携帯電話の着信メロディが流れる。そういえば2004年はこういう音が流行っていたな…。私は少しはにかんで、懐かしい携帯電話を手に取った。


『鏑木龍之介さんから、メッセージが届きました。』

『電話に出てくれてありがとう。今夜19時に、駅北口で待ってます。』


「あはは。娘とセックスしたくせに…。でも、そっか…私に会いたいんだ。」


 乾いた笑い声が宙を舞う。鏑木さんは、娘よりも私のことを選んでくれた。その優越感が、非現実的で非日常な光景に蓋をしてくれる。私は、私だったモノをクローゼットへ押し込んだ。今日は時間がないから、明日処分しよう。緊張の糸が解け、鏑木さんとのデートが決まってホッとしたせいだろうか。突然の睡魔に襲われた私は、懐かしい部屋の馴染みあるベッドで仮眠を取った。深い眠りの中で、未来の私が何かを叫んでいる。きっと、今の私を怒っているのだろう。でももういい。私はこの時代を生きると決めたのだから。

 目が覚めると、窓の外は黄昏色に染まっていた。昼から夜へと変化する、曖昧な時間。心が落ち着かない。そんな思いを断ち切るように、私はシャワーを浴びて身を清めた。そして当時の私が鏑木さんとのデートに着て行こうと思っていた、お気に入りのワンピースに着替える。現時刻は17時。まだ鏑木さんとの待ち合わせまで時間がある。私はマスクと帽子を装着すると、鏑木さんの自宅から駅までを歩き回った。そして…


「いた。」


 娘が一人で歩いていた。どこへ向かっているのだろう…私は後をつけることにした。距離をしっかり保ったまま歩いていると、娘のポケットから黄色い封筒が落ちるのが見えた。娘は封筒を落としたことに気付いていない様子で、立ち止まることなく歩き続ける。私は急いでその封筒を拾った。中には、2024年行きの切符が入っていた。やはり、娘は2004年行きの切符でここに来たんだ。私は娘の切符を自販機の隣にあるゴミ箱に捨て、見よう見まねで作った自作の切符を入れ直した。


「一応、念には念を入れたほうがいいか。一枚くらい減ってもバレやしないだろう。」


私は切符だけでなく、説明書も丸めて捨てた。そして芝居めいた表情で、娘の元へと駆け寄った。


「あの!これ、落としましたよ。」


 私は笑顔で娘に話しかけた。私の声に驚いた様子の娘を見て、自分が誰なのか勘付かれたのかと思い焦る。しかしそれは杞憂だった。娘は感謝の言葉と共に安堵の表情を見せ、封筒を受け取った。まだ時間があった私は、娘と少しだけ話すことにした。私はカフェに向かい、家から持ってきていたお金でココアを買うと娘に渡した。ココアは、娘が大好きな飲み物。娘は嬉しそうだった。


「そのコート、ぶかぶかだけど…流行りですか?」

「あ。いえ…これは…」

「あ、もしかして恋人からのプレゼント?」

「いえ。これは、母の大切な人からもらってきちゃいました。」

「お母さんの大切な人…ですか?」

「はい。ただ、私にとっても大切な人で。頭ではわかっているんですけど…。自分の気持ちに蓋をするためにも、この服は記念にもらってきちゃいました。」

「へぇ、そうなんですね。」

「本当はもっとここにいたいけど…これ以上いたら、別れがつらくなっちゃうから。でもやりたいことはやったんで。終電まで時間があるから、適当にぶらついてるんです。」

「そう…。あ、そろそろ時間だ。……気を付けて帰ってくださいね。」

「はい。ありがとうございます。」


 私にとっても大切な人…か。あの子はほんと…何しに来たんだろう。でももう帰るみたいだし、私には関係のないことだ。私はこれから鏑木さんに会って、一緒にご飯を食べて…もうこれ以上、誰にも邪魔はさせない。私が鏑木さんを守る。絶対に。アルバイトのシフトも増やして、鏑木さんの邪魔をする人間は今日やったみたいに消していこう。今の私は19歳だけど、中身は40歳。クソガキ共に鏑木さんを潰されてたまるか。私は駅ビルのパウダールームで、メイクを整えた。


「よし!」

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