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終電、初恋  作者: 一咲花詩音
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『2004年12月22日』

「今日も、終電か…。」


 どうして僕ばかり、こんな目に遭わないといけないんだ。先に入社したからって偉そうに…。今年入ってきた新卒も、仕事が残っているのに定時だからってさっさと帰るなんて…ありえないだろ。どうして誰も注意しないんだ。僕は自分の仕事をちゃんと済ませているのに、どうして僕だけが、あいつらの尻ぬぐいをしなくちゃならないんだよ…ッ!


 ストレス社会の代表のような顔をしているこの男、鏑木龍之介(28)は、駅のホームにある待合室で一人、最終電車を待っていた。この時間になると利用者もまばらで、駅には少しだけディープな雰囲気が漂っている。会社の最寄り駅はオフィス街にあるせいかビル風が強く、特に冬の季節は強風に冷風でとんでもなく寒い。ホームだけ極寒の地と化してしまうため、電車を待つ人々は皆、この待合室を利用している。暖房器具が設置されているため温かいのだが、ドアが開くと人と一緒に冷気も吹き込んでくる。温かさに癒されている身としては正直ムッとしてしまう気持ちもあるが、温かさに癒されたまま眠ってしまう可能性もあるため、冷気で刺激を与えるほうが結果的にいいのかもしれない。

扉が開いて人が入ってくる度、ほんの少しだけ目線を上げどんな人間なのか観察する。そしてくたびれた様子のサラリーマンを見て、あぁ…僕だけじゃないんだな、という安心感で心がほんの少し軽くなる。きっとこの人も、僕を見て同じようなことを思っているのだろう。特にこの時間は皆似たような空気を纏っていて、代わり映えしない。しかし、この日だけはいつもと違っていた。くたびれた男たちに紛れて、一人、この場には似つかわしくない…とても若い…いや、子供だろうか?高校生くらいの女の子が入ってきた。それだけでも驚いたのだが、更に驚くことに、その女の子はまるで真夏のような季節感のない服装をしていた。半袖にミニスカート。流行りなのだろうか。見ているこっちまで寒くなってくる程の異様ないでたちに、思わず目が釘付けになってしまった。そんな僕の視線を感じたのだろうか、女の子も僕のほうに目を向ける。そして目が合ったその瞬間、僕と女の子に一つの縁ができたような感覚が走った。咄嗟に目線を逸らしたが、女の子からの視線は変わらずあった。僕は立ち上がると、逃げるようにして待合室の外へと飛び出した。まだ最終電車が来るまで5分程あったが、あの空間にはいないほうがいい。そんな気がしたのだ。だってこんな厚着でも寒いのに、半袖って…。さすがに普通ではない。ある程度歩いたところで、僕は立ち止まった。凶器のように鋭く冷えた風が何度も刺さり、これ以上先へと進む気にはなれない。電車はまだかと電光掲示板を見ていると、突然後ろから声をかけられた。


「今日は、西暦何年の何月何日ですか?」


 振り返ると、そこには先ほどの女の子が立っていた。突然の質問に一瞬頭が真っ白になったが、すぐに会社のデスクに置かれているカレンダーを思い出し、今日の日付を口にする。


「えっと…さっき0時を過ぎたから、今日は2004年12月23日です。」


 女の子は僕の答えを聞いて、とても嬉しそうな表情を見せた。何がそんなに嬉しいのだろうか。いや、それよりもその格好で寒くないのだろうか。暖房のついている待合室ならまだしも、ホームでそれはあまりにも…。かといって、これ以上この子に深入りするのも気が引ける。ただでさえ残業続きで疲れ切っているのに、面倒事には巻き込まれたくない。他人と話すことすらしんどい、そんな気持ちを優先した僕はすぐにその場から離れた。待合室のほうへ歩いていると、最終電車を告げるアナウンスと共に電車がホームへと入ってくる。駆け込み乗車をする者はおらず、ホームも車内もとても静かだ。電車の走行音、つり革が揺れる音、汽笛、無機質な音色が乗客の沈黙を包み込んでいる。空席の目立つ車内を見て、僕はゆっくりと座席に腰をおろした。足元からは温かい風が吹き出ていて、冷えた体をじんわりと温めてくれる。


「このまま座っていたいな、もう…どこか遠くに行きたい…。」


 そんな寝言が宙を舞う頃、車掌さんのアナウンスで現実へと引き戻された。


「終点です。お忘れ物のないよう……」


 ドアが開き、ホームに降りる。別の車両からも乗客が降りてきて、皆同じように改札へと向かっていく。膝を上げ、足を前に運ぶ。足に合わせて、腕も振ろうとした。が、腕は後ろに引っ張られ僕の体は前に進むことができなかった。体勢を崩しそうになりながら振り返ると、またしても先ほどの女の子が立っていた。そして次の一言で、更によろめきそうになった。


「私を、あなたのおうちに泊めて下さい!」

「な?!」


 なんで?!どうして?!泊めるなんて無理に決まっている!僕はその手を振り払って逃げようとした。しかし彼女の力は思いのほか強く、両手で抱きしめられている僕の腕はびくともしない。強固な意志で微動だにしないその両手を、僕は振り払うことができなかった。


「は、離してください。どうして僕が君を…自分の家に帰ったほうがいい。親御さんが心配するよ。」

「ここに私の親はいないんです。どこにも、いないんです。」

「いないって…。」


 この子は、施設か何かから逃げてきたのだろうか。


「君、年齢は…?」

「20歳です。」

「あぁー、、そう…。」


 彼女は、僕が思っているよりも大人だった。二十歳なら一応成人はしているし、彼女を泊めても法律上は何も問題がない。それなら別に…泊めてあげても…。いやでも…もし彼女の後ろに怖いおじさんがいて、事件か何かに巻き込まれたりでもしたら…。それに何よりこの格好…変わっているとしか思えない。うぅーん。一人脳内会議をしながら迷っている様子の僕を見て、彼女が更に訴えかけてくる。


「お願いします。とても、とても寒くて…。」

「それは確かに…いやでも…」

「お願いします。少しの間だけでいいんです。」


 彼女の瞳がウルウルと光って見える。そんな…子犬のような目で見ないでくれ…。僕は溜息を付き、あぁもう!と……身を震わせると同時に、気づいたら頭を縦に振っていた。


「あ!ありがとうございます!」

「ただ、僕は仕事で疲れていて…何のおかまいも…。」

「大丈夫です。泊めてくれるだけでいいんです。」

「じゃ、じゃあ……はぁ。。」


 僕という人間は、こんなにも押しに弱かったんだな。いやでも、もしこのまま彼女を放置して…もし彼女の身に何かあったら後味が悪いし…でも…知らない女性を泊めるなんて怖いな。本当に大丈夫なのだろうか。部屋に金目のものはないからその点は問題ないけど、命を狙われたりでもしたらどうしよう。僕は彼女と二人歩きながら、ネガティブな妄想を次から次へと巡らせていた。本当に大丈夫なのだろうか…。家に近づくにつれて、彼女に対する不安が増していく。早く自分の家に帰りたいのに、まだ家には着いてほしくない。しかし一度決めたことをやっぱり無しに…なんて、そんな恥ずかしい真似もできない。モヤモヤした気持ちのまま、僕たちは帰り道の途中にあるコンビニエンスへと立ち寄った。家に帰っても何も食べる物はないし、僕は会社の近くで済ませるにしても彼女の食事だけは調達しておく必要がある。店内に入ると、彼女は嬉しそうな様子でサンドイッチと菓子パンを手に取った。そして何の躊躇もなく、僕が持つカゴに入れた。まぁそれはいいのだが…。

会計を済ませ店内を見渡すと、彼女は本棚の前で雑誌を見ていた。僕の視線に気が付くと急いで雑誌を戻し、こちらへ駆け寄ってくる。


「あの女優さん、最初は読者モデルだったんですね。」


 彼女が指差すポスターには、眩しい笑顔の女性が写っていた。


「えぇっと…僕そういうの疎くて。」

「覚えていて損はないですよ。あの人、これからすっごく人気が出ますから!大河の主演もやるってこの間ニュースで見ました。」

「へぇ、あんな若い子でも大河のヒロインなんてやるんだ。」

「あ、今すぐではないですよ。いずれ…ですよ!えへへ」


 なんでもお見通しとばかりに話す彼女に、僕は自分のコートを着せた。


「え。あ、あの!いいんですか?!」

「さすがにその格好は寒いでしょ。」

「ありがとうございます……!」


 彼女は、さっきまで僕が着ていたコートを愛おしそうに。襟元を持って顔をうずめている。


「あったかい……。」


 じっと見つめていると、彼女が僕の視線に気づいたようで嬉しそうに笑って見せた。その瞬間、もっと早く着させてあげるべきだったと後悔した。お店を出ると、外は勿論極寒の地で。コートを脱いだばかりの体には、耐えがたき寒さで。僕は歩くペースを速めることで体を温めることにした。すると彼女が小走りで僕の後をついてくる。彼女が得体の知れない存在であることに変わりはないが、その姿は僕になかったであろう父性というものをくすぐるような可愛らしさだった。僕は彼女の手を握り、導くように家路へと急いだ。

 

「あれが、僕が住んでいるところだよ。」

「え!私、このアパート知ってます。ここってけっこう古かったんですね。」

「え?まだ新築物件だよ?」

「あ!そっか、そうですね。」

「もしかして近所に住んでいるの?」

「え?いや…えへへ。」


 何かと不思議な様子の彼女が気になりつつも、残業続きで疲れている僕にはそんな些細なことはもはやどうでもよくて。帰宅した瞬間、僕は死んだように眠りについた。

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