6. 少女は熊の家にお邪魔する
ふふふっと思わず笑みが溢れる。
朝日に向けてそれをかざせば、それを通過してワインレッドに染まった光が私の机をほんの少し彩った。
この間、革小物屋のデイビッドさんからもらったワインレッドの石。すっかりお気に入りになって、私は毎日持ち歩いている。ウィルと私で、瞳の色で対になっているのも兄妹で最高にお洒落だと思う。ウィルの方が、あれをどうしているのかは知らないけど。
「ジェイダ、朝だぞ。いつまで寝てるんだ。遅い。」
扉の外から呼びかけてきたウィルに、「もう起きてるわ!」と返す。
実際もう起きて着替えていたんだから、別に嘘ではない。遅くなった自覚はあるけど。
眺めていた石を丁寧に小さめのポシェットへ入れ、座っていた椅子を飛び降りる。扉を開ければウィルが腕組みして立っていた。
「遅い。」
「そんなに遅れてないでしょ。」
でも、ウィルが時間を気にするのも分かる。何せ、今日はデイビッドさんのお店に行ってみようという話になっているのだから。
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「デイビッドさん、見た目は怖かったけど、話してみたら感じの良い人だったわよね。」
「確かに外見はゴツかったな。オレたちが特に何かしなくても、自分であのナイフ男を捕まえられそうだった。余計なことしたか……?」
市場の強盗未遂の一件から一週間。デイビッドさんのお店を目指しながら、私たちはあの日のことを思い出す。
ちなみにあの日、ウィルと私は帰ってからおじいちゃんに長いことお説教された。「ジェイダが予知を視てしまったこと自体は仕方ない、まだ力の制御ができていないのは分かる」「しかしその後の対処が」「すぐに私を呼んでくれれば」「何故お前たちだけでなんとかしようと」「武器を持った大人相手に何を」「下手をすればお前たちの命が狙われた可能性だって」と延々叱られた。普段優しい人が目を吊り上げて怒るの、本当に怖い。
そんなおじいちゃんなので、「デイビッドさんなら一人でナイフ男をなんとかできたかも」という今のウィルの発言にも、もちろんだと賛同するものと思ったのだけど。
「いや、攻撃を受けると言う現象に慣れている人間でないと、なかなか咄嗟にナイフをいなすことはできないよ。危険な目に遭いそうだと認識しても、動けなくなってしまう人が殆どだからね。もちろん私としては、孫二人が危険な目に遭うことは決して賛同できない。しかし、お前たちがデイビッドさんを助けたことは、まさしく彼の命を守ったことになるんだよ。それを分かっているから、デイビッドさんもお前たちにお礼と言ってあんなに良いものをくれたんだろう。」
そう言っておじいちゃんは私のポシェットを指差した。
「彼は『あまり高価ではない』という言い方をしていたが、それは本来とても価値のあるものだよ。無くさないようにしなさい。」
「もちろん。それに、せっかくウィルとお揃いなのよ。絶対に無くさないわ。」
そういって、石をしまってあるポシェットをぽんぽんと叩きつつ胸を張る。私の予知が少しは役に立ったと思えば、この石もより価値のあるものに感じられた。
そのまま歩き続け、デイビッドさんの店を目指す。けれどお店が近づいてきた頃、私はふと通りの向こう側に何やら異変を感じた。
「ねえ、おじいちゃん、あれ。」
「ん? 何だって?」
「……? あ! 煙、煙だわ! 大変!」
道を渡った向こう、今いるところのちょうど反対側に一軒、もくもくと黒い煙をあげている店がある。どうやら小火らしい。周囲には、野次馬らしい人たちがふらふらと集まってきている。
「け、けむ、煙が出てるの、大変!」
「落ち着け。俺たちには何も見えていない。……たぶん、また例のやつだ。」
「えっ!?」
ウィルの言葉に驚いて先程煙がもくもくと上がっていた辺りを見れば、人混みもなければ煙も上がっていない、いつも通りの日常が広がっていた。
煙が上がっていると思った店から、職人らしき人が煙管を吸いながら出てきて、私の方を怪訝そうに見る。通りの反対側とは言え、店の目の前で大声で叫んでしまったのだ。私の声が聞こえていたのかもしれない。
「頼むから落ち着いてくれ。」
「もう落ち着いたわよ! けど実際この後火事が起こるなら、知らせてあげなくちゃ……!」
私がウィルに引っ張られて、小声で言い争っていると、おじいちゃんがぽんぽんと私たちの頭を撫でた。
「ジェイダ、ちょっと待っていなさい。」
そう言うと、おじいちゃんは私たちを置いて通りを渡り、先ほど出てきた職人に向かって歩いて行った。
おじいちゃんはその職人の男に話し掛ける。おじいちゃんの話を聞いてくれるのかと思ったら、相手の人はどうでも良さそうに煙管を吸い続けた。そして、話を続けるおじいちゃんを無視して店の中に戻って行ってしまった。
通りを渡って戻ってきたおじいちゃんは言った。
「あの工房で煙管を吸うのは火事を招くから危ないと注意しようとしたんだが、ちゃんと聞いてはもらえなかったよ。」
「なるほど。『煙管』からの連想で『火事』という言葉に結びつけて注意を呼びかけたわけか。じいちゃん上手いな。」
「いやあの男の場合、ジェイダの言う通り火事を出すなら、本当に煙煙管が原因になる可能性が高いと思ってね。まぁ、聞く耳を持ってはもらえなかったが。」
警告はした、後は本人の問題だと言って、おじいちゃんは私たちに「もう行こう」と促した。
――――――――
「あぁ、あのパン屋な。あそこは店主が代替わりしてから質が悪くなったって聞いてるよ。」
デイビッドさんのお店は、先ほど私が予知をした辺りから、何度か角を曲がり十分ほど歩いた所にあった。
私たちを笑顔で出迎えてくれたデイビッドさんは、いかにも工房の職人といった出立の上に、なぜか水色のフリルたっぷりのエプロンを付けていた。あまりに気になるので尋ねてみれば、奥さまの手作りの品なのだとか。なんとなく一人暮らしのイメージだったので、愛妻家だと言うデイビッドさんの恥じらう姿にちょっとキュンとした。
わざわざ奥から小さなテーブルを持って来て、お店の一角に置いてくれたので、そこで私たちはお茶をさせてもらう。そこで出た話題が、先ほどの店のことだった。
おじいちゃんが、職人らしき人が煙管を吸っていたことを話せば、デイビッドさんはすぐにその店のことを思い当たったようだった。なかなかに評判の悪いパン屋さんらしい。
「前の店主は違った。それなりに味が良いって話だったし、仕事も丁寧だった。無愛想だがズルっこい事はしなかったし、職人気質な頑固者だったってさ。」
聞けば、前の職人はそれなりに評判が良かったらしい。
「けど息子の方は違ってよ、元々仕事にも興味なかったらしいんだが、頑固親父が死んで渋々始めた仕事は雑だし、小狡い詐欺をいろいろ働いて、自分に都合の悪いことは全部他人のせい。もとからいた顧客が全部離れちまって、代替わりして半年にもならないのに、今じゃもう閑古鳥が鳴いてるってさ。」
「そうでしょうなぁ、あの様子では。」
おじいちゃんは溜め息を吐きながら言った。
「すみませんね、いろいろ教えてもらって。どうにも気になったものだから。」
「いや、別に大したことは俺も知らねえし。よし、これでシケた話は終いな。それより、なぁ、せっかく来てもらったんだから。この間の石、持って来てんだろ?」
俺が革紐をつけてやるからな、とニカッと笑うデイビッドさんは、相変わらず熊みたいだ。
私とウィルはそれぞれ石を取り出して、デイビッドさんへ渡す。デイビッドさんはそれを受け取ると、石に開けてある小さな穴に革紐を通し、すぐに返してくれた。
「ほれ、これでペンダントになった。そうしとけば持ち運びもしやすいだろ。」
「ありがとうございます!!」
自然と笑みが溢れる。私は受け取ったペンダントをすぐに首から下げて見せた。
「おじいちゃん、どう?」
「あぁ、綺麗だよ。」
「折角なんだからウィルも!」
「いやオレ、は……、遠慮しとく。」
「良いでしょ、せっかくのお揃いなんだから。ね、お願い。」
「……分かったよ。」
ウィルは渋々と言った様子で首元に巻いたストールを取り払い、マントのフードも外した。デイビッドさんは「ほう」と意外そうな顔をしたけれど、特に何も言わない。ウィルはそんなデイビッドさんをちらりと見つつ、ペンダントを首に下げた。
「うんうん、良い感じ!」
「本当に、良いものを頂いたね。改めて、ありがとうございました。」
おじいちゃんがお礼を言うのに合わせて、私も改めてお礼を伝えた。
「いやいや、それはこの間の礼だから。」
デイビッドさんはパタパタと手を振って、気にするなと言った。
「にしても、お嬢ちゃんは大きくなったら相当アレだろうと思ってたが、そっちの坊主もかなり女を泣かせそうだねえ。さてはレオンさん、あんた若い頃相当アレだろ、入れ食い状態だったんじゃねえか。」
「……はい? いや、そんなことは。」
よく分からないことを言ってくるデイビッドさんの言葉に、おじいちゃんがちょっと困ったような顔をする。私はデイビッドさんの言葉に憤慨した。
「変なこと言わないでください! ウィルは絶対に、女の子泣かせるような真似しないですー!」
ウィルはどんな女の子にでも優しいのよ! と主張すれば、デイビッドさんは「いやそれはまさに女泣か……」と言いかけたけど、途中で苦笑いして言葉を濁した。
おじいちゃんは息巻く私の頭をぽんぽんと撫でて宥める。
「ジェイダ、お前がこれ以上喋ると話がややこしくやるから黙っていなさい。それよりデイビッドさん、ウィリアムの素顔を見ての第一声で、そんなこと言ったのは貴方が初めてですよ。」
「ん? あぁ〜、黒髪だからってか? まぁこの国では暮らしにくいかも知んねえがね、俺は別に気にならねえよ。」