ビールは最初の一口目が最高!
麻衣が友達を連れてきてから数日が経過していた。
俺は相変わらず自宅で仕事をしている。
今日も変わらずキーボードを叩きながらプログラムを書いていると、ポンという音が鳴ってきた。
『今日の夜空いてます?』
ダイレクトメッセージを送った相手は現在、取引している企業の女性社員だ。名前は黒瀬なつみ。自宅が近いということもあって、何度か一緒にご飯を食べた仲である。麻衣と一緒に住むようになってから少し疎遠になっていたので、黒瀬さんからお誘いのメッセージがくるなんて珍しい。
『夜ですよね?』
『うん。今日は早く上がれそうだから20時からで、どうでしょう?』
フリーランスとして活動を続ける上で、取引先と良好な関係を維持するのは重要だ。一流であれば仕事の結果だけで周囲を納得させられるかもしれないけど、俺の場合はそこまでの腕はないので、食事といった交流も仕事を続ける上で必要だったりする。
少し悩んだけど、今日は話に乗ろう。
スマホを取り出して麻衣に今日は外で食べてくる伝える。すぐに『私も友達とご飯食べますね』と返事が来た。これで家の問題はクリアした。
『大丈夫です。いつものお店でいいですか?』
『はい! そこでお願いしますね!』
『それじゃ予約だけしておきます』
『ありがとうー』
チャットを終えるとサイトから店の予約をする。今日は水曜日なので空いているようだ。すぐに予約が取れた。
楽しい食事会が待っていることだし、今日はいつも以上に集中してさっさと仕事を終わらせるか。
◇ ◇ ◇
無事に仕事を終えた俺は、地元密着型の小さな飲み屋に来ていた。黒瀬さんはまだ来ていないので、先に座ってお通しを食べている。
店内にあるテーブル席は、全部で五つ。後はカウンター席しかない。店内は狭いといっていいだろう。
魚料理が美味いことで有名なので、夜になると地元の客でいっぱいになることも多い。壁には色あせたサイン色紙やメニュー表があり、老舗といった雰囲気を出ている。デートには使えないけど、友達や同僚と来るには丁度いい。そんなお店だ。
「お待たせしました」
濡れたようにしっとりとした黒く長い髪が特徴で、メガネをかけた女性が俺の前に立つと、手を前にあわせて謝っていた。彼女が黒瀬さんだ。薄く化粧をしていてスーツ姿。会社帰りという見た目である。
「注文しました?」
「まだです。とりあえず飲み物を頼みましょう」
メニューを黒瀬さんに渡そうとすると、首を横に振られてしまう。
「私はビールって決めてます。涼風さんは?」
「僕もビールで」
「じゃあ、注文しますね」
黒瀬さんがカウンターの奥にいる親父さんを見る。視線に気づいたようで、隣にいる若い男性にメニューを取るよう指示を出した。
「ビールを二つと、お刺身盛りをお願いします」
飲み物と一緒に食べ物まで注文した黒瀬さんが、俺を見る。
「勝手に頼んじゃったけど、大丈夫ですよね?」
「もちろんです」
ここで何度も一緒に食べてるんだけど、毎回最初に刺身盛りを注文していた。そのことを覚えてていた黒瀬さんが、まとめて頼んだだけなので問題はない。むしろ、いつも通り気が使える女性だなと感じる。
近況を報告しながら雑談をしていると、最初に頼んでいたビールとお刺身が届く。追加で唐揚げやほっけなどを注文するしてから、乾杯といって飲み会が始まった。
「ぷはぁー。ビールは最初の一口目が最高!」
一気にジョッキの中身を半分ほど飲んだ黒瀬さんが、楽しそうに言った。俺はゆっくりとチビチビ飲んでいる。
「涼風さん。聞いてくださいよー!」
「なになに、どうしました?」
「今日の話なんですが『部長が髪型変えた? かわいいね』とか聞いてくるんです。ウザいと思いません?」
確か黒瀬さんの上司、部長は五十代過ぎの男性だったはず。若い女性と話したがる性格をしていて、数年前までは、今の時代ならセクハラで処罰されるようなことをしてきたという噂まで聞いたことがある。
今は少し落ち着いたみたいだけど、その代わりにグレーのラインを攻めているみたいだ。
「俺は気がつく男なんですアピール、すごく嫌なんですよね……!」
髪型も容姿に含まれる。仕事でしか関わりのない上司に言われて、嫌だと感じる人もいるだろう。少なくとも黒瀬さんはそう感じているみたいだ。
「そうですね。友達じゃないんだから、見た目について聞いてくるのはマナー違反ですよね」
「ほんと、それです! 涼風さんのように飲みに行く関係ならいいんですけど、あの人はダメですっ!」
相当なストレスを溜めていたようで、怒りを爆発させて愚痴を言っている。こういった話から内部の人間関係が見えてくるので、リモートで働いているフリーランスには価値のある話題だ。情報を集めるために、うんうんと相づちを打ちながら話を聞いていく。
他にも、関係を迫ってくる営業の男が面倒とか、女子同士の褒め合いに疲れた、といった話題に移っていき、ビールの消費量も増えていった。テーブルの上に空のジョッキが三つ並んだ頃になって、ようやく黒瀬さんの話が終わった。
「それで義妹ちゃんとの生活はどうなんですか?」
次は俺の番だ言いたそうな顔をしている。
アルコールがいい感じに回っているようで、少し目が据わってて怖い。
麻衣のことは言ってあるし、黒瀬さんに聞かれるのは嫌じゃないんだけど、なんだか答えるのに躊躇してしまう。
ビールを飲んで時間を稼ごうと思って、ジョッキに口をつける。
「どんな爛れた生活をしているのか、教えてくださいよー!」
変なことを聞いてきたので、思わず口に含んでいたビールを少し吹き出してしまった。




