魔物と瘴気
≪残された遺留品と資料から、騎士の身に起きたことを推察した≫
女性の声がようやく落ち着いた所で、俺も騎士サンの残した手帳を手に取ることが出来た。
まだ彼女は涙声のままで、ぐずついていた。手帳にも新しい涙の後が滲んでたけど、内容を見れば無理もない。
……想像通り騎士サンは、最後までここを守り抜こうとしていた。
しかも騎士団……国の仲間にも剣を向けてでも、自分が魔物になってしまっても、最後の最後までこの場所と、彼女を守ろうとしていたんだ。
やりきれない思いがあるけど、感傷に浸り続ける事も出来ない。騎士サンが残した情報のお蔭で、俺も少し今の状況が見えてきた。
魔王は討伐されていた。でもその一年後に瘴気って物が発生して、人間が次々化け物に……魔物になっちまった。真っ先に王様も魔物になったって書いてあるが……俺には心当たりがある。
多分、城の中で遭遇したあのドデカい髑髏だ。確証はないけど、王冠が残ってたし……俺のチートパワーも効かなかった。最初期に魔物化したなら、向こうも何か特殊な力を持っていてもおかしくない。
そしてもう一つ、見落とせない事がある――
「瘴気は、今はこの塔から出た瞬間……魔物化しかねない濃度になってる……?」
俺が言うと、女性も俺の方を向いた。
手記に書かれたとおりの見た目の彼女は、戸惑ったように口を開く。
「別に平気……ですよね?」
「あぁ……俺は心当たりあるけど……」
水色の髪を揺らして、彼女は戸惑う。彼女は変わった紫の衣服を着ていて……例えるならそうだな、手術着とか無菌室とか、ともかく普段着には程遠い衣装だ。肌もちらちら見えちまうし、俺は出来るだけ顔を見つめる。
灰色の瞳に向けて、本当に雑な推論を述べた。
「俺はさっき……急に目覚めたような物で、王城から出たって言ったの、覚えてる?」
「えーと……ご、ごめんなさい。ちょっと整理がつかなくて……」
「そんな大事じゃないから、気にしないでくれ。で、何が言いたいかって言うと……俺は多分、召喚されたんだと思う。かなりボロボロだけど、魔法陣が残っていたから。その時に耐性とか能力とか、色々付与されたんじゃないかな」
――本当はチートスキルの影響だと思うけど、こう説明しておいた方が、彼女を納得させられる気がした。無理だったけどな。
「どうでしょう……あなたを召喚するにしても、遅くないですか?」
「俺もそう思うよ……王様が魔物化した直後とかなら、世界の荒れ方はマシだったはずだ。召喚する魔法使いだって、どこにも見当たらないし……この世界の常識としてはどうなの? そこの所」
「えぇと確か……魔法陣は紋章さえ書けば、後は魔力を……エネルギーを注げは術者は必要なかったと思います」
「そっか……でも誰もいなかったんだよな。まともな人間は」
つまり、呼び出す魔法使いがいなくても、紋章が無事なら……そこに魔力を注げは発動は出来る。その条件なら例えば……転生の時女神サマが、力を注げは使えるって事だ。
不可能じゃない。一人で納得する俺に対して、彼女も彼女で「何か事情があったのでしょう」と呟いた。その可能性も、確かにあると思う。
で、俺の方はいいとして……彼女が無事な理由がわからない。分からないが……やっぱりそれも、騎士サンの手帳にヒントがある。
彼女は――厄災が訪れた時の希望らしい。
この状況が厄災と当てはめる事も出来るし、なんか色々特別な事も示されてる。この手の崩壊で希望と言ったら、俺の心当たりは一つだ。
「君が無事な理由は……瘴気に耐性を持っているからじゃないか?」
「耐性……?」
「どんな毒や病気でもいるんだ。ごく稀に全く……悪いモノの悪影響を、一切受けない体質の人が」
瘴気の正体は分からないけど、的は大きく外れていないと思う。医療パニック物やパニックホラーでよくある奴だ。世界を壊した汚染物に対して、絶対的な耐性持ちの存在……
現に今この世界において――俺は瘴気の自覚がないけど――彼女は平然としていられる。手記の通りこの世界が瘴気に溢れているなら、耐性持ちの人間は確かに希望だろう。大切に守る価値も、惨状を考えればわかる気がする。
唇に手を当てて、彼女は考え込んだ。肌の色素が薄い分、唇の赤が鮮やかに見える。ちきしょう絵になるな。暢気な俺と裏腹に、彼女は「でも」と切り出した。
「もし、その通りなのでしたら……瘴気による厄災は、はるか昔に予言されていた……?」
「!」
凍り付く俺。
そうだ。この塔の中に一人、瘴気に耐性のある人間を生かし続けていたのなら……いずれ厄災が起きると、予言されていたことになる。確か騎士サンは『エイト』って名前で八代目だったな。ってことは……何百年も前に予測されていた事になるのか?
この人頭いいな。一瞬で気づいちゃったよ。俺の反応で、彼女は憶測が確信に変わったらしい。呆然とした表情で立ち尽くしてしまう。
何も知らない俺だけど……彼女も大変な立場にいる。なんとなしに察した俺は、彼女に向けて手帳を返しつつ伝えた。
「少し落ち着くまで休んだ方がいい。俺は……その間、墓を作っておくから」
「……ごめん、なさい」
「いい。気にしないでくれ」
突然訳の分からない状態に、投げ込まれたのは同じだけれど
この世界と関係を持っている、彼女の方がショックは強い。
気の利いた言葉の一つも、言えない俺が恨めしい。
後味の悪さを隠す様に、俺は墓穴を掘り続けた。