九条の追憶・2
あー……その、俺の過去はうまく通じるか、わかんないんだけどさ……ざっくり話すならそうだな。厳しい父上殿の言いつけを、不出来な息子なりに守って生きてきたんだが、人生の転機で、初めて喧嘩しました……みたいな?
なんだそりゃ? 論理破綻も良い所だろ。今までまともに反論なんざしてこなかった俺は、完全にブチ切れて叫んだ。
「いつ俺があんたらに甘えたよ!? 一度たりとも甘えた事なんざねぇよ!」
――今日この日まで、俺は両親と口げんか一つもしたことのない、いい子ちゃんでした。
んなもんだから突然の反撃に、一瞬父親が驚き怯む。惑った目線を引き締めて、すぐさま反論を繰り出した。
「何を言っている! 散々親の恩恵を受けて置いてなんだその口の利き方は!」
「二人が俺のために頑張ってる事は良く知ってるよ! だから今まで、勉強頑張って来たんじゃん! 遊ぶことも抑えて、バイトだって社会勉強だって、陰口言われながらも我慢したし……ネットだって同年代と比べたら絶対抑えてるよ!?」
何せ部屋にはパソコンないし、スマホだって勉強の時間はリビングに置いてある。漫画や小説は部屋にあるけど、今日はどこからどこまで勉強しましたってのは、高校生まで提出していましたよね? 少なくても今のご時世で考えれば、俺は明らかに平均以下でございます。そのことはあなた方も承知だよなぁ!?
「二人が必死なのは分かったから、俺頑張って来たんだよ? 俺ワガママずっと我慢したよ? 甘えた事も心配かけたくないからって、自分の範囲で必死に堪えて来たよ!? なのにたった一度の泣き言で、良い年して甘えるなってふざけんなよ!? 良いだろ一番大事な時の一回ぐらい甘えても!!」
「「――――――」」
完全に絶句した両親の前から、俺は踵を返して部屋に行こうとする。慌てて伸びた手は、今までの父上殿と異なり、何か怯えるように震えていた。
「お前――お前に、何か夢や希望は……憧れはないのか?」
「あるっちゃあるけど、叶いもしない俗な夢かな? 金が欲しいとか」
「そ、そうじゃない。人生の目的とか――」
「? なにそれ?」
「お、お前……」
この時。父親の顔が蒼白に転じたのを覚えている。
当時の俺は全く意味が分からずじまいで、そのまま「悪かったよ」と取り繕って続けた。
「でも我慢すれば、努力すれば、ちゃんといつか報われるんだろう? そりゃ俺は要領悪いし、結果だって出せるか怪しいけどさ。将来のために今まで、俺はやりたいことを我慢して来たんだから、その分これからは良い事がある……だよね母?」
「え、えぇ……」
母親も凍りついていた。勿論その意味も分からない。そこまで亀裂はいるようなこと言ったか? と、当時の俺は呑気なもので、ひたすら就活の準備を進めていた。
――まぁ、全部失敗したんですけどね?
時期が遅かったとか、そういう話じゃない。提出する資料の時期とかは間に合わせてたけど、俺は悉く落選し続けた。
何でかって? それはな……「俺に俺らしさが、俺という人柄が、何一つ伴ってない空っぽだったから」だよ。
親のために、親の言う通りに、ずっと抑圧して我慢してきた俺は――自分を押し込める事ばかり得意になっちまって、自分の本音が、どこにあるのかさっぱり分からない状態だった。
だから「将来の夢は?」って聞かれたところで、俗な願望しか出てこない。
普通はさ、現実の経験と願望ってのは、当たり前のように持ってるもんさ。だから将来の夢とか希望とかは、何らかの体験と紐づけ出来る。
ビルが建って行くのが凄いと思いました→だから建築士になりたいです。
面白いゲームに感動しました→だからゲームデザイナーになりたいです。
近くの八百屋さんが凄く好きです→だから物産に関わる仕事に就きたいです。
そう、これはなんてことない、普通の人間なら誰だって持ってる感覚だ。ところがどっこい、俺にはこれが全くない。
だって、それは全部余計な事だって切り捨ててきた事だから。
とりあえず将来に困らないようにって、そういう喜びやきっかけに触れる機会はなかった。友達と遊ぶ時間も惜しんで、馬鹿な俺は勉学の時間に費やすしかなかった。それが致命的なるなんて、俺も両親も、これっぽっちも考えたことがなかったんだ。
俺は――いや俺達は今更になって、俺が生きていることに、自分自身であることに、全く情熱を持っていない事に気が付かされた。
当然、企業側……人を雇う側としては、そういう部分は間違いなく見ている。それもまともで健全な企業であればあるほどな。目の前で面接している人間の個性と経緯、言動と主張が合ってるかどうかは、注意深く観察するモンさね。
俺は――何の情熱のない俺は、簡単に上辺だけってバレちまうんだろうな。受かったのはとりあえず人さえいればどうでもいい、ブラックな所ばかりさね。
一年も続かなかったよ。
そりゃそうだ。特に生きる甲斐も、やりがいも情熱も持ち合わせちゃいないのに、キツい労働環境で頑張れるわけがねぇ。散々グダグダグヂグヂ周りから言われたけど、もう俺は完全にやけっぱちになっていた。
何か勤勉に生きるだ。何が誠実に努力して我慢するだ。
そんなもんは俺の人生において、何の役にも立たなかった。知った顔のSNS見て絶望したね。俺より成績悪くて、ちゃらんぽらんに遊んでたやつが――普通の企業に就職して、自分の生きたいように生きてる場面視ちまったもんだから、もう完全に無気力になっちまった。
俺の忍耐は、俺の我慢は、俺の勉学と努力は……悉く無駄に終わったあげく、裏目に出る最悪の結果を引き当てちまった。もう何もかも馬鹿馬鹿しくなった俺は、完全にグレてクソニートと化していた。
それの何が悪い。所謂世間一般の正論なんてのは――『世間一般レベル』の生活と人生を送れている奴の、戯言でしかなかった。そこより下の言葉なんてのは、全部愚者や弱者の言い訳や僻みらしい。努力が足りない、自己責任だそうですよ。
そんな言葉を目にするたび、俺は――すぐそこに流れている日常への憎しみが募っていった。目の前の普通が憎かった。当たり前が、憎くて仕方なかった。
例えば……『努力すれば報われる』とか?
俺は一応、頑張っちゃいたんですよ? 子供心なりに親に迷惑かけないように。必死に我慢して地道にやってりゃ、後々の人生もバラ色になるって信じてたんですよ? でもそうして積み重ねたものが、俺の欠陥になっちまってる。積み重ねた努力とやらが、ゼロどころかマイナスになっちまった。努力は裏切らないなんてセリフは、努力に裏切られた事が、ないから言えるんだよ。
両親の態度は、俺に直接文句を言う時もあれば、両親で言い合っている時もあった。
俺には、俺の育て方を間違った事の、責任転嫁にしか聞こえやしなかった。
日に日にやつれていく両親と俺。あくる日俺が目を覚ました時――俺の母親が、俺の部屋に入って首を絞めていた。
すごい顔だった。人間ってこんな顔できるんだなってぐらい、歪んだ顔だった。笑っていたようにも見えるけど、あからさまに狂っていたと思う。
俺に対する責任と、父親との不仲で限界が来たんだろう。俺の言動も酷いモンだったし、正直もう、生きる希望とか欲望とか、まるで残っちゃいない。このまま生きててもダラダラ過ごすだけだろうし、穀潰しを処分するのは至って自然さハハハ……
「はは……ははははは……」
全く素晴らしい人生ですよ。この世は理不尽極まりない! あぁ、なら今度は良い人生割り振ってもらえないかな。頑張っても努力しても勤勉に生きても、失敗者になって全部ポシャったんだから……次は何もしなくても、いい思いが出来ますように!!
まさにドクズの極みさ。こんな奴は死んで当然さ。
――ああなら世間様に迷惑をかける前に、産んだ母親が処分するのは、きっと綺麗に道理が通っているんだろう。
生まれて来てごめんなさいと、
あんたなんて産むんじゃなかったが、死に際の目線で交差した。




