冒涜の跡
『旧境界線の町』にも、残念ながら生存者は見つけられなかった。けれど町が荒れ放題って感じがしない。襲ってきた魔物も今までと何か違う感じがする。カーネリアの同意も得つつ、山を背にした家で休むことに。家を調べると、本棚の裏に隠し扉を見つける。彼女に協力してもらい開けてもらった後、俺たちが見たものは……
生ぬるい風の正体に、俺達は完全にまいっちまった。
嫌な予感はしていたけどさ……吊るされた魔物の死体が、そのまま放置されてるなんて予想はしちゃいない。思わず口を押えるカーネリアに続いて、ひとまず俺達は扉の入口まで戻った。
ヘタレだと思うかもしれないけど、ぶっちゃけ今までで一番キツい光景だった。そりゃ魔物どもは殺してきたし、何を今更と思うかもしれないけどさ……
あの死体は腐ってやがった。骨になって消えるはずの魔物なのに。腐乱臭はそんな強くなかったけど、わずかな残り香でも気分が悪くなる。俺は彼女に待っているように告げて、一人で洞窟の中に戻った。
正直目を背けて逃げ出したいけどさ、隠された場所を調べないのもダメだろう。ましてや、まるで荒らされていない気配があるなら、何でもいいから手を伸ばさないと。まぁ、酷い中身だし、俺もあんまりいい気分にはならないが……
出来るだけ死体を見ないようにして、残った紙やらノートやらを、アイテムボックスに投げ込んでいく。すぐに目を背けようとする本能に逆らって、俺は洞窟の中に観察の目線を注いだ。
吊るされた魔物の死体に、火の消えた燭台、転がった空のガラス瓶や、変な液体に漬けこまれた小型の魔物と、よくわからない無数の器具。理科の実験室と秘密の拷問部屋を足したような印象を覚えた。
多分凄い顔をしてたんだろうな……顔色の悪いカーネリアが俺と目を合わせると、申し訳なさそうに目を伏せた。あんな所で長居してたら気が滅入っちまう。二度と見たくもないと、俺とカーネリアは扉を閉めて封印した。
「「はぁーっ」」
ほっと一息……と言うより、疲れ果てたため息と言った方が正しい。俺たちはほぼ同時にそんな空気を吐き出してから、あの場所が何かを考えた。アイテムボックスから色々と取り出し、普通の家のテーブルに冒涜的な物品を並べつつ、だ。
「悪趣味が過ぎる……いったい何してやがったんだ……?」
「詳しくは分かりませんけど、研究……ですかね?」
「いったいどこのどいつが……いや、一人しかいない、か」
マーヴェルだ。こんなクソッタレな世界で研究を続けている奴なんて、他に俺達には思い浮かばなかった。けど研究所は移ったって書いてあったような? 現にマーヴェルらしき姿も見当たらないし……
首をかしげる俺達は、あの生臭い光景の中で研究を続ける一人の姿を頭に浮かべた。マットな気配は何となくあったが、これで確定したようなもんだ。あんまりお近づきになりたくない……
気が滅入るけど、詳細は調べない事には分からない。適当にとって来た紙束やノートに嫌々目を通し始める俺達。専門用語っぽいのが多くて、ちっとも頭に入ってこないけど……時折出る名前から、ここの正体は推察出来た。
ここは魔族と瘴気を研究していた場所だったらしい。砦で見つけた地図の通り、今は引っ越したから旧研究所って所だろう。後始末が不十分に思えたけど、それも残された記録の断片が教えてくれた。
「元魔族の魔物から、攻勢が強くなって放棄した……か」
新たな事実。どうやら魔族であろうとも、濃い瘴気を浴び続けてしまうと……彼らもまた魔物化してしまうようだ。ただ、書き示された内容によると、魔族から魔物化した奴は、多少知性が残っていたり、力や能力の高い個体になりやすいらしい。ここ『旧境界線の町』の魔物で感じていた違いは、これが原因なのだろうか?
他にも、魔物の修正について色々と。前々から感じていた縄張り意識について証明されていたり、元の人格の有無についても書かれている。ごく稀に記憶や正気を取り戻すらしいけど、今までやった事とか思い出しちまうから、結局すぐ狂ってしまうらしい。完全に意識とか魂と呼ばれる部分が消える時と、ほんのわずかに残る奴との違いは分からないそうだ。
こんな情報源が放置されていた理由は……慌てて移転したせいで、全ての資料の持ち出しは間に合わなかったのだろう。おかげで俺たちが漁れたわけだけど……それを素直には喜べない。
あんまりにもエグいので割愛するが、書かれている内容は正視に耐えない。真面目に研究はしているのだろうけど、倫理感はどこに置いていったんだ? 世界が壊れちまった以上、倫理もクソもないのかもしれないが……こりゃエイトさんのクソ呼ばわりも頷けるよ。
すっかり嫌になってしまった俺は、紙束を適当に投げる。もうアイテムボックスに入れるのも嫌だ。溜息を吐いた俺の横で、カーネリアも怒りに震えている。
「そんな……赤ちゃんまで実験体にしたんですか……!?」
「え……」
一瞬見えたカーネリアの横顔が、般若の面を被っているように見えた。見えたってのは勿論錯覚なわけだけど、ともかくそれぐらい、胃腸がきゅっと締まるような気迫が俺にもわかった。慎重に彼女の見ていた資料に目を通すと、淡々と書かれている事実に吐き気がした。
特記検体 生後九か月・魔族・男
死亡後墓から掘り起こし、大量の瘴気と接触させ蘇生を試みるも失敗。腐敗の度合いから、魔物としてなら蘇生可能段階と推定される。非常に高い瘴気耐性検体と判断。さらなる調査を――
(ここから殴り書きされている。末尾の文だけ読み取れる)
女魔族か魔物化し、『旧境界線の町』に徒党を組んで迫る。死んだ赤子の奪還が狙い? 旧研究所を放棄し、より魔族の領域で瘴気の研究を続行する。
……もう少しで、瘴気の謎を暴ける。
「ふざけやがって……」
死んだとはいえ赤子を掘り起こして……冗談じゃない。なりふり構ってられない環境は分かるが、にしたって超えちゃいけない一線はあるだろ。淡々と学術的な書き方なのが、余計腹が立つ。それとも俺たちの方がぬるいのだろうか? 一瞬差した考えを振り払い、怒りに染まった灰色の瞳をちらと眺めた。
――こういう怒りは、女の人にしか分からないのだろう。腹を痛めて子供を産めない俺には、多分一生分からない事だ。俺の事なんてまるで耳に入らない様子で、静かに、けれど確実に、怒り一色に染まった彼女の顔は……その、とても怖い。語彙力の少ない俺には、彼女の怒りを正しく表現する言葉が見つからなかった。
そっとしておいた方がいいだろうか? 少し外に出ようかとも考えたその時――
窓を激しく打ち壊す、けたたましい襲撃音が俺たちを包んだ。




